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終(つい)の花 12 

「一衛!今、何刻だと思っているのですか。」

一人息子を心配する、母の厳しい叱咤の声が飛ぶ。
きっと長い間、表で待っていたに違いない。

「それにまあ……あきれた。泥だらけで、武家の子が何という恰好です。」
「叔母上、帰りが遅くなってすみません。」
「直さまは良いのです。一衛が又、日新館の表で終わりになるまで待っていたのでしょう?直さまは、お勉強や武術の鍛練があるからお邪魔をしてはなりませんと、きつく言い置いていますのに、この子はもういつまでもややのように、直さまの後ばかり追って申し訳ありません。」
「いいえ。此度は、わたしが原因なのです。一衛を叱らないでやってください。」
「そうなのですか?」
「わたしが川へ入ってので、一衛は心配してくれたのです。流れが速かったので、上がる時に手を借りました。なので、袴の裾が汚れてしまったのです。叱らないでやってください。」

母は、ちらと訝しげな視線を息子に向けた。

「直さまがそうおっしゃるなら仕方が有りませんね。あなたは菊やにお願いして、すすぎと着替えを用意してもらいなさい。父上がお帰りになったら、夕餉に致しますからね。」
「あい。直さま、さようなら。」
「ああ。またな、一衛。風邪を引かないようにな。」

一衛の姿が見えなくなったのを確かめると、直正は正直に叔母に告げた。

「叔母上、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。実は一衛は今日、わたしが川で溺れていると思って、鶴沼川の細い橋を駆け抜けたのです。一衛は小さくても勇敢です。叔母上が思っているような甘えん坊でも臆病者でもありませんよ。」
「まあ。橋を?あの子が一人で?」
「ええ。水かさが増えたら大人でも怖じる橋を、わたしを心配してわき目もふらずに真っ直ぐに走ったんです。」

直正の言葉に嘘はないと、叔母は知っている。一衛と瓜二つの美しい叔母は、話を聞いてふっと笑った。

「あなたという人は……。本当ならば小さな子供の相手など、面倒な時もあるでしょうに。」

直正は頭を掻いた。

「叔母上は、一衛がいつも後を追ってばかりいると心配なさいますが、わたしは迷惑だと思ったことはありません。身体が小さくて病気がちだけど、一衛はいつもわたしに追いつこうと一生懸命です。直正はそんな一衛をいじらしく思います。それに実を言うと……わたしは一衛がいるから何でも励めるのです。」

「そうですか?わたくしは、一衛が直さまにいつも迷惑をかけていると思っておりますよ。」

叔母は不思議そうに尋ねた。

「いいえ、そうではありません。わたしは、常に一衛にいいところを見せたいのです。おかしいでしょう?一衛の自慢の直さまで居られるように、藩校でも必死に励んでいるのですから。でも、この事は叔母上だけに打ち明けました。誰にも内密にしてくださいね。他言無用ですよ。」
「まあ……」

明るくそう言うと頭を下げて、直正は自宅へと向かった。




本日もお読みいただきありがとうございます。(〃゚∇゚〃)
直正はとんでもないブラコン(?)みたいです。さすがの叔母上もΣ( ̄口 ̄*)……
明日もお読みいただければうれしいです。  此花咲耶

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