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杏樹と蘇芳(平安) 3 

平安のころの話である。




三人の旅の理由を聞き、船頭はいたく同情した。
徒歩で陸路をはるばる行くよりも、船で海路を行った方がはるかに早く筑紫へ着くでしょうと親身に勧めてくれた。
優しい言葉を鵜呑みにして、世間知らずの一行が小舟に乗り込もうとしたところ、もう一人の船頭が母はこちらへ乗るのだよと言う。

「さあさあ。若い者はそちらに、母御はこちらにお乗りなさいまし」

船が傾くからと言われ、そうしたものの小舟は川の支流で違う水路へと向かった。

「あっ、船頭さん。母上の小舟があっちに行ってしまいます」
「いいんだよ、あんたらは違う土地へ行くのだからね」
「それは、どういう……?」

あっという間に、小舟は別れ別れになってゆく。

「何をなさいます。船を戻してください。母上――――っ!」
「母上―――っ!」

母もまた、船べりから乗り出すようにして、愛し児の名を呼んだ。

「杏樹―――っ!蘇芳―――っ!」

必死に呼び合う声は、渦の逆巻く波間に消えた。

「杏樹、蘇芳を頼みましたよ。どうか、どうか」
「母上っ!必ず!必ず!父上のところに参ります!」
「母上―――っ!うわーーーんっ……あぁ~ん……」
「もはや、これまでです。ここでお別れです。南無妙法蓮華経……」

声は強い風がかき消した。
固く抱き合った杏樹と蘇芳(すおう)の目の前で母は、ざぶりと船首から深い海に身を投げた。

「あっ、こやつめ、何をする」

流れゆく母の着物は艶やかで、まるでそこだけが山つつじの花の色に染まったようだ。
人買いに売られてしまっては、かよわい女の身はどうなるかわからない。
父への操を立てて、母は入水したのだろう。
母の姿を杏樹と蘇芳が見たのは、それきりとなった。
幼い弟は動転してしまい、ただただ泣きぬれるばかりだった。

「母上―――っ!」

母を求めて船端で泣く幼い弟を、ただ抱きしめているだけの杏樹であった。
襲い来る運命の荒波に投げ出され、二人してまるで渦に揉まれる木の葉のようだった。

「さあ、山椒大夫さまに、きちんとご挨拶をおしよ」

鉄漿(おはぐろ)の年増が、杏樹をつついた。
ご挨拶と言われても、かどわかされて無理やり連れてこられた二人には、何が何やら判らない。
言われるままに、ただ畏まりその場に頭は下げたが、杏樹にも蘇芳(すおう)にも不安で胸が張り裂けそうであった。
何故、ここに連れて来られたのかも、二人にはわかっていなかった。
山椒大夫と呼ばれた恐ろしい人買いが口を開いた。

「年若の方は、陽のあるうちに塩を酌め。小童(こわっぱ)、天秤棒を担いだことがあるか?」

ふるふると蘇芳は首を振り、杏樹の着物の袖を握った。
袖を握った手が、恐怖で小刻みに震えていた。

「ならば寺へやって、坊主どもの稚児にするかの」

弟を庇い、思わず杏樹は進み出た。

「塩ならば、わたしが弟の分も汲みまする」

からからと人買いは、声を上げて笑った。

「塩汲みは年端もゆかぬ小者の仕事じゃ」
「お前にはほかの仕事が似合いじゃ。戦で疲れた男たちの慰み者となれ。元結を切ってしまえば女子と見分けもつかぬ。」
「そんな!杏樹は、遊び女ではありませぬ。」

杏樹は余りの言葉に、息を呑み白くなるほど腕を握り締めた。
その場にいる男たちが寄せる隠微な視線に、杏樹は今更のように気が付いた。
これから自分がどうなるのか。
寺に連れて行かれる、稚児がどのような処遇を受けるのか杏樹は知っていた。
本来ならば、お前は寺にやられていただろうよと、その昔、捨て子だったと叔父から話を聞いたときそういわれたのだ。

「そなたを拾ったのが、兄上で良かったのう。さもなくば、お前のような美童は寺に売り飛ばされて、寺男や僧兵たちに柘榴(ざくろ)のようになるまで、後孔を使われるだろうよ」

柘榴のようになる後孔と言われても、想像もつかなかったが、ただ稚児勤めが恐ろしいことだとは分かったのだ。
弟を、そんな目に遭わせてはならなかった。
見返り無しにこれまで養育してくれた優しい父母に、守ると誓ったのだ。
思わず、あぁ……と小さく声が漏れた。

「お……弟をお助け下さるのならば、わたしは、どんな事でも、い……たします」

ついた手に、はらはらと涙が散った。






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