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真夜中に降る雪 8 

おぶった背中の春美に向かって、前を向いた聡一が声をかけた。

「春。何を食う?何でもおごってやるぞ」
「この格好で、歩き回るのはごめんです。そこの、中華で良いです」

ラーメンが来るまでの間、聡一はこれまで春美にしなかった話をした。
春美は黙って話を聞いた。
伸びたラーメンの味は、前に食べたときよりもひどくしょっぱい気がする。
春美はやたらと水を飲んだ。

「あのな、春。俺は、親の都合で高校二年のとき、親戚と養子縁組をしたんだ」

聡一は語った。
子供のいない伯母の実家は跡継ぎのいない金持ちだった。
親が勧めた養子縁組に、未成年の聡一の意思が入り込む余地は、どこにもなかったのだという。
理由は簡単だった。
聡一の父親が、立ち行かない事業に油を注ぎ込むように、大金を借りていたからだ。
悪い話じゃないだろう?と、親だけではなく周囲の親戚も言った。

「君は進学校に通っているのに、大学進学を諦めるというじゃないか。すぐに働くのが悪いというわけじゃないが、勿体ないな。別に赤の他人の家に入るわけじゃないんだから、少し考えてみたらどうだね?」

養子縁組と同時に、待ちかねたように伯父のほうの親類と結婚話が持ち込まれ、早々に決まった。
親の借金も反故になり、聡一の未来は約束された。

「今時、家に縛られるなんてドラマだけの話だと思うだろう?俺もそう思ったよ」

聡一はじっと春美を見つめた。

「卒業と同時に、俺の名前はおまえの知る「宮永」から伯母の嫁ぎ先の「芳賀」になったんだ。言ってたろ、昔。放課後は女に会うって」
「あ……はい」

悲しくてたまらなかった昔が、フラッシュバックする。
問わず語りのように聡一の話は続き、春美と聡一の間にあった果てしなく深かった溝が少しずつ埋まってゆくようだ。
いくら聞いても応えてくれなかった、聡一の過去がそこにあった。

「最初、嫌われるつもりで会いにいったんだ。縁談だったら向こうから、断らせればいいんだと思ってガキなりに、懸命に考えたんだ。その子、今の女房なんだけど……驚くほど性格が春に似てた。一生懸命なんだ、何にでも。どれだけ冷たくしても、一生懸命無理して笑ってるところか……まるで春そのままの性格だった」

そんな話、不愉快なだけだ。

「あいつには生まれつき心臓に欠陥が有って、学校にもまともに通えてなかったんだ。それで結婚相手も、心配した親が決めたんだな。俺の最後の夏の試合、テレビで見てたんだとさ。初恋だったんだそうだ。初めて会った日に、一度だけ会ってみたいと、わがままを言ったら会えましたって、涙ぐんでた。正直、それを聞いたときは、悪い気がしなかった」

胸が重くなる。

「担架にかきついて、わんわん泣く春がすごく可愛かったって言ってたぞ。DVDに焼き直ししてあるから、今も家にある。その頃の春美は、色が白くて女の子のようだったな」

懐かしむように、聡一がつぶやいた。
中等部の試験日、二人は初めて言葉を交わした。
転がってきたボールを投げ返してきたとき、聡一は春美のことを、男子校の校庭なのになんの不思議もなく少女だと思った。

「その春が、今やいっぱしの営業だ。」
「限界ですけどね……。復帰したばかりだけど、この通り足がもたないんで、悔しいけど今の仕事は辞めなきゃと思ってます」
「やめなくていい。違う部署に移動させてやる」

何を言ってるんですかと、ちょっと春美はイラついた。
たかだか、2年しか違わない聡一に人事権などあるはずも……

「……あっ」
「わかったか?副社長の名前、思い出した?」
「は……がって、そうなんですか」

それが今の義父なんだと、聡一は笑った。
逆玉かよと、春美は小さくごちた。

「春をいっぱい泣かせた罰だったんだろうな。俺はセクスの出来ない女と結婚した」
「子供さんいるって、誰かに聞きましたよ。養子をもらったんですか?」
「いや、実子だ。人工授精でその後、子宮に着床させた。……医者に止められたが、女房は子供が欲しいと言い張って、帝王切開で子供を生んだんだ」
「そんな思いをしてまで」
「ああ。俺の遺伝子を残すことが、何もできない自分と結婚してくれた俺へ、報いる唯一の方法だと言ってね」

ブル……、何度めかの携帯のマナーモードが震えたのに、気が付く。
息をつきたくて、話を切った。

「ちょっと、すみません」

開くと驚く数の着信の嵐だった。
電話に出ると悲痛な孝幸の声が響いてきた。



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