真夜中に降る雪 11
高級とは言えない場所へ春美を連れて来たのを、聡一は申し訳ないと口にした。
「誘っておきながら、こんな場所ですまないね」
春美はかぶりを振った。
「いえ……先輩に付いてきたのは自分ですから。あの……話はどこででもできますし……」
口ごもってしまった春美を、そっと大切に寝台の上におろす。
そして、聡一はそのまま風呂へと向かい、蛇口を捻ると声をかけた。
「湯を張るよ。春の足は、強張ってしまっているから、マッサージをする前に、ゆっくり浸かって温めた方がいいね」
春美は黙って、聞いている。
「かわいそうに。全身が、すっかり冷え切ってしまった。湯に入って温まったらマッサージしてやるからな。ああ、そういえば、試合後は春がアイスパック抱えて、いつも俺のところへ走ってきたなぁ」
優しい声に、ふと顔が緩んだ。
「ぼく、野球はからきしで、殆どマネージャーみたいなものでしたから」
「うん、そうだった」
ユニホームに身を包んだ華奢な春美の姿をふと思い出し、聡一の口角が僅かに上がる。
「ユニホーム、似合ってなかったよなぁ。ぶかぶかでさ」
「裏で、「女子マネ」って呼ばれていたの、知ってます」
「それだけ、可愛かったんだよ、春は」
湯船を覗き、聡一が何気なく……自然に春美のスーツに手をかけた。
「しわにならないように、しておかないとな。あご、あげて、春」
「は……い」
筋張った細い指の腹が、そっと春美のワイシャツのボタンを外し、薄い頬を往復した。
やがて細心の注意を払って、春美の尖ったあごがそっと上へとつまみ上げられる。
見上げれば、優しく視線が絡む。
聡一のそんな顔を見るのは初めてだった。
沈黙が怖くて、春美は必死に言葉を探した。
「先輩……。あの、ぼくは……」
「春は、変わらないな。可愛い小さな顔だ」
近づく顔に気づいて、思わず目を閉じたら、瞼に唇が落ちてきた。
大切な壊れ物の梱包を解くように、衣類が衣擦れの音を立てて足元に落ちてゆく。
自分の耳に届く鼓動に、どうかもう少しだけ静かに音を立ててくれと願った。
ふわりと掛けられたタオルごと軽く抱き上げられて、浅い湯船にそっと下ろされた。
冷え切った身体にはぬるい湯も、ひどく熱く感じる。
「あつ……」
「どうした?熱かったか?」
湯船に立ち尽くしたまま困ってしまった春美は、他に術なくどうしようもなく聡一を見つめている。
「そんな零れそうな目で見られたら、困った事になるだろう……?」
何とか悲鳴をあげる身体を沈め、バスタブの肩に置かれたフェイスタオルに、春美は身体を倒してそっと顔を埋めた。
どうしていいかわからない。
自分は何をしに、ここへ来たんだ。
妻子のある聡一と、こんなところで一体何をしようというんだ。
「話をする」ために、ラブホへ来るわけがない。
「はあちゃん」と名乗った自分と同じ名の小さな娘に、父親として言い訳の出来ない事をさせようとしているんじゃないか?
そんなことをしてしまったら、ぼくは……他人の物が欲しいと地団太を踏む、聞き分けのない子どもと同じになってしまう。
自分に説明のつかない事をしていると、わかっていた。
今すぐ、この場から去るのが一番正しい。
それなのに、思いがけずひくっと喉が鳴った。
……きっと、宮永先輩も困っている。
本当に行くのかと、孝幸は聞いた。
頷いたのは自分だ。
ぼくは、どこへ行くんだ?
何も知らない聞き分けのない子どもになって、聡一の前で泣きじゃくりたかった。
取り止めのない思考が、ぐるぐると脳内で交錯する。
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「誘っておきながら、こんな場所ですまないね」
春美はかぶりを振った。
「いえ……先輩に付いてきたのは自分ですから。あの……話はどこででもできますし……」
口ごもってしまった春美を、そっと大切に寝台の上におろす。
そして、聡一はそのまま風呂へと向かい、蛇口を捻ると声をかけた。
「湯を張るよ。春の足は、強張ってしまっているから、マッサージをする前に、ゆっくり浸かって温めた方がいいね」
春美は黙って、聞いている。
「かわいそうに。全身が、すっかり冷え切ってしまった。湯に入って温まったらマッサージしてやるからな。ああ、そういえば、試合後は春がアイスパック抱えて、いつも俺のところへ走ってきたなぁ」
優しい声に、ふと顔が緩んだ。
「ぼく、野球はからきしで、殆どマネージャーみたいなものでしたから」
「うん、そうだった」
ユニホームに身を包んだ華奢な春美の姿をふと思い出し、聡一の口角が僅かに上がる。
「ユニホーム、似合ってなかったよなぁ。ぶかぶかでさ」
「裏で、「女子マネ」って呼ばれていたの、知ってます」
「それだけ、可愛かったんだよ、春は」
湯船を覗き、聡一が何気なく……自然に春美のスーツに手をかけた。
「しわにならないように、しておかないとな。あご、あげて、春」
「は……い」
筋張った細い指の腹が、そっと春美のワイシャツのボタンを外し、薄い頬を往復した。
やがて細心の注意を払って、春美の尖ったあごがそっと上へとつまみ上げられる。
見上げれば、優しく視線が絡む。
聡一のそんな顔を見るのは初めてだった。
沈黙が怖くて、春美は必死に言葉を探した。
「先輩……。あの、ぼくは……」
「春は、変わらないな。可愛い小さな顔だ」
近づく顔に気づいて、思わず目を閉じたら、瞼に唇が落ちてきた。
大切な壊れ物の梱包を解くように、衣類が衣擦れの音を立てて足元に落ちてゆく。
自分の耳に届く鼓動に、どうかもう少しだけ静かに音を立ててくれと願った。
ふわりと掛けられたタオルごと軽く抱き上げられて、浅い湯船にそっと下ろされた。
冷え切った身体にはぬるい湯も、ひどく熱く感じる。
「あつ……」
「どうした?熱かったか?」
湯船に立ち尽くしたまま困ってしまった春美は、他に術なくどうしようもなく聡一を見つめている。
「そんな零れそうな目で見られたら、困った事になるだろう……?」
何とか悲鳴をあげる身体を沈め、バスタブの肩に置かれたフェイスタオルに、春美は身体を倒してそっと顔を埋めた。
どうしていいかわからない。
自分は何をしに、ここへ来たんだ。
妻子のある聡一と、こんなところで一体何をしようというんだ。
「話をする」ために、ラブホへ来るわけがない。
「はあちゃん」と名乗った自分と同じ名の小さな娘に、父親として言い訳の出来ない事をさせようとしているんじゃないか?
そんなことをしてしまったら、ぼくは……他人の物が欲しいと地団太を踏む、聞き分けのない子どもと同じになってしまう。
自分に説明のつかない事をしていると、わかっていた。
今すぐ、この場から去るのが一番正しい。
それなのに、思いがけずひくっと喉が鳴った。
……きっと、宮永先輩も困っている。
本当に行くのかと、孝幸は聞いた。
頷いたのは自分だ。
ぼくは、どこへ行くんだ?
何も知らない聞き分けのない子どもになって、聡一の前で泣きじゃくりたかった。
取り止めのない思考が、ぐるぐると脳内で交錯する。
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