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真夜中に降る雪 1 

企業は、いまだに長引く不景気から脱しきれずに、軒並み新卒採用を控えている。
里中春美(さとなかはるよし)は、4年間野球をしてきた以外の売りはなく、資格は持っているといっても即戦力のスキルがあるわけでもない。
そんな就職氷河期時代、信じられないことに本命の会社に内定が決まり、多少浮かれていた。
周囲は就職戦線の早期離脱を決め、浪人覚悟も多いというのに。

「おう、来たな、里中!」
「え!……宮永先輩?何で、ここにいるんですか?」

入社式当日、春美の心をいまだに支配する野球部の先輩、宮永聡一に再会した。
人好きのするまぶしい笑顔は、何も変わらない。
一瞬でぐらりと仄暗い過去に引き戻されそうになって、踏みとどまった。
彼は春美には、危険すぎる男だった。
陽の似あう美しい容姿で、平気で春美を傷つけ踏みにじって笑っていられるそんな男だった。

けして正面から会うべきではなかった。
分かっていたのに……会ってしまった。

「お前の履歴書、見つけてな。人事部長に、推薦して置いたんだ」
「え?」
「花形選手よりも下積みの苦労を知っている奴のほうが、長い目で見りゃ会社には向くのさ」
「なんだ~、そうだったんですか。自分駄目元で受けたのに受かっちゃって、回りに奇跡だって言われてました。先輩のおかげか~、あの、……ありがとうございました……」

実力ではなかったのかと、軽く落胆した。
そんな春美に気がついたのだろう、誤解を解くように言葉を繋いだ。

「あのな、春。勘違いするなよ。組織は採用に私情を入れたりしないよ。実際に使えると思ったから獲った、それだけの事だ。勘違いするなよ。受かったのは、おまえの実力だ」

昔のように春と呼び、ぽんと肩を叩く。
触れた肩から、電流が走りその場に崩れ落ちるかと思った。
世界で一番大好きで、世界で一番大嫌いな男がそこにいた。
震えそうになる指先を、そっと握りこんだ。

先輩と呼ばれた男も、目の前の懐かしい後輩に目を細めて、気ままに翻弄していた頃の昔の面影を探していた。
相手も、瞬時に過去に立ち戻っていた。
目の前にいる後輩は、背は伸びたが、先輩と慕っていた頃の輝いた瞳は変わらない。
中性的だった儚さは消えたがやはり線は細く、太れない体質のようだった。
続けていたと履歴書に書いてあった野球は、恐らく大学でも雑用ばかりだったのだろうと笑ってしまう。
着慣れないスーツの袖口から覗く手首は、相変わらず女性のように白く華奢で、気の毒になるくらいだった。

里中春美(さとなかはるよし)は、北国生まれの母に似たせいか長時間、直射日光に晒されても日に焼けなかった。
中高一貫校の中等部の頃は、黙っていると花の風情で、まるで少女のようにさえ見えた。
ユニホームに身を包み、野球部に入ってきた時、聡一他上級生一同は、本気で守ってやらなければと秘密の会合を持ったくらいだ。
懸命に練習についてくるいじらしい姿に、口にはしなかったが聡一はひと目で恋に落ちていた。
聡一には決して春美に恋を告げられない事情があった。
恋情を秘めて、わざと春美を酷く扱った。

「先輩……」

涙ぐみ耐える姿さえ、愛おしかった。

当時、彼らの野球部は地区予選に出ると、一回戦負け必至の弱小チームだった。
だからこれまで野球経験のなかった春美も、練習についてゆけたのだと思う。
中学から野球部の聡一のポジションはピッチャーで、全試合を独りで投げ抜き、弱小野球部を三回戦まで引っぱってきた。
最後に、とうとう痛めていた腰が悲鳴を上げてマウンドに崩れ落ち、聡一の夏は終わった。
倒れた聡一をめがけ、真っ先にベンチから飛び出した、一年生スコアラーの春美は白いシャツが目立つ夏の学生服姿だった。

「先輩っ!先輩っ!先輩が、死んじゃう~」

最後の言葉はどうやら周りには聞こえなかったみたいだが、聡一には聞こえた。
周囲が苦笑するほど泣き濡れて、担架の上で動けないはずの聡一が、何とか手を伸ばして頭を撫でてやった。

「ばか……春。泣くな……さっさと病院に連れて行け」
「は……い~っ」

担架につきそい、泣きじゃくる後輩を可愛いと思った。
もっともその時は、痛みでそれどころではなかったのだが。



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