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明けない夜の向こう側 第三章 17 

鳴澤が、陸と郁人に血のつながりがないと知ったのは、手術後の事だった。

表示灯が消され、郁人が集中治療室に運ばれてゆくのを追おうとして、鳴澤は櫂に別室へと呼ばれた。

「お義父さん。手術は上手くいきました。郁人の左の腸骨窩※に植えた腎臓は問題なく動いています」

※普通は小骨盤腔のことを骨盤腔という。大骨盤腔は上前方へ広く開いた部分で,その左右両側部は腸骨でできており,その部は軽くへこんでいるので腸骨窩という。普通は、ここに腸の一部が入る

「そうか……」

鳴澤は脱力したように、廊下に置かれた長椅子に腰を落とすと、顔を覆った。

「良かった……何と言っていいか分からない……櫂……ありがとう。これで郁人は生きてゆけるのだな……陸にも無理をさせた。どれだけ言葉を尽くしても、感謝しきれない。お前たちには、一生をかけて償うつもりだ……」

嗚咽交じりにそう言うと、鳴澤は肩を震わせていた。
だが、櫂には息子としてではなく、執刀した医師として話をする必要があった。

「お義父さん。手術の時には、患者の血液型を確認することになっています。郁人は母親と同じ血液型でA型でした。お義父さんは、O型で間違いないですね」

「ああ、そうだ。妻と子供たちは同じ血液型だった」

「検査の結果、陸の血液型はB型でした」

一瞬呆けたような顔で、鳴澤は櫂の顔を見つめた。

「B型……?……それは、どういう……?」

「お義父さんには酷な話になるかもしれませんが、陸と郁人の血は繋がっていないという事です。A型とO型の両親から、B型の子供が生まれることはありません。つまり、お義父さんと陸は、義理の関係ということになります」

「血が繋がっていない……」

驚愕の視線が櫂に向けられた。
愛人の不義を、疑いもしていなかったという事だろうか。

「それでは、郁人はどうなるんだ。印南先生は、同じ血液型でないと、酷い拒否反応が出る危険性があると言っていた。郁人は無駄な手術をしたのか……由美子のように郁人も……」

「それは違います。郁人の手術は上手くいきました。実は腎臓に癌を持った患者がいたんです。患者は郁人と同じA型で、他に何の病歴もありませんでした。ご家族にも廃棄腎の使用許可をいただいています。闘病の辛さはよくわかりますから、捨てる物ならば使ってくださって結構ですと言っていただきました。摘出した腎臓の表層数パーセントの癌部分を取り除いた後、印南教授が郁人の左腸骨窩に植えました。腎臓はきちんと働いています」

「ちょっと待て……病気の腎臓を郁人に使ったのか……そんなことをして郁人はどうなる?再発するようなことはないのか?」

「一つの決断だったと思っています。廃棄腎については、まだ誰も手を付けていない分野です。しかし、印南教授も僕も、治療した廃棄腎が再発する可能性はほとんどないと考えています。新薬は、近親間以外の生体腎の移植を可能にしたんです。これまでだったら、術後の拒否反応を抑える為に副作用の強い薬を使わなければならなかったのですが、新薬は素晴らしい効果を発揮しています。同じ血液型という事で、危険性も減らせたはずです」

鳴澤は信じられないような思いで、櫂の話を聞いていた。

「免疫抑制剤を一生飲み続けなくてはいけないのは確かですけど、新薬のおかげで近親間だけに限られていたこれまでの移植が、他人からの移植も可能にしました……お義父さんのこれまでの苦労は報われたんです。これから郁人は普通の生活を送れます。透析から解放されたら、体も成長します。郁人は大人になれるんです」

「わたしの……夢がかなったのか……?だが、陸はどうなったんだ……?」

櫂はほんの少し躊躇したのち、本心を口にした。

「陸の身体に傷はありません。……お義父さんが郁人を大切に思っているように、僕も陸を何物にも代えがたい存在だと思っています。上野で出会った日から、陸はおれの肉親以上の存在でした。絶対に陸を傷つけたくないし、陸を傷つけようとするお義父さんを許せませんでした。一時は二人で家を出ることも考えましたが、陸はお義父さんや郁人が大好きで、おれたちを救ってくれたお義父さんが望むのなら、自分の腎臓を郁人にあげたいと言ったんです。だから、もし廃棄腎が使えないような状態だったら、お義父さんの望み通り、陸の腎臓を郁人に植えるつもりでした」

「そうだったのか……」

「運が良かったんです。すべて上手くいきました」

「君たちの思いも知らず……美代吉にも詫びねばならないな……わたしはこれまで理不尽に、何という身勝手を押し付けて来たか……」

櫂は時計を確認した。

「もうすぐ郁人の全身麻酔が切れるはずです。行きましょう。一番最初に、顔を見せてやってください」

「……年を取ると、どうにも涙腺がもろくなっていけないね。櫂……わたしはいい息子たちを持った」

鳴澤にとっても、気の遠くなるような時間だったと思う。
だが掌中の珠は、傷付かずに済んだ。
戦後、ほんの気まぐれで引き取った少年が、自分と郁人の救いになるとは思いもしなかった。
それを「運命」と呼ぶのは短絡的だろうか。




本日もお読みいただきありがとうございます。
もう少しで着地します。

透析患者さんに話を聞いたり、色々、調べながら書いておりますが、腎臓透析初期の頃の設定なので、あやふやなところも多いです。
なので、あくまでもこのお話はフィクション……という事でお願いします。

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