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明けない夜の向こう側 第三章 6 

郁人に最新の治療を尽くせたのは、鳴澤家が日本でも有数の金持ちだったからに他ならない。
透析を始めて二週間後、郁人は奇跡的に意識を取り戻し最悪の状態から脱出した。
傍に居る櫂に向かって、寝台の郁人は瞼に青い隈(くま)を拵えて、薄く微笑んだ。
あれ程むくんでいた顔が、嘘のように細くなって細かな皺が頬に目立っている。
透析によって、体内に溜まった老廃物や毒物がうまく排出されたのだろう。
腫れが引いて、くっきりとした面差しは、最初に出会った頃を思い出させた。

「……櫂……おにい……さま……」

「郁人。気分はどう?」

「お腹が空きました……」

「そうか。何か食べてもいいか、先生に聞いてこようね」

櫂は喜んで、教授の部屋に走った。

「印南先生。郁人の意識が戻りました」

「そうか。薬が効いたか」

「あの……郁人が何か食べたいと言っているので、飴を一つ、食べさせてやってもいいですか?」

「苦しい治療と戦っているんだ。欲しがっているんだろう?……ほら、ここにあるから渡してやりなさい」

「ありがとうございます」

「一つ峠を越えたな」

引き出しに入っていた甘露雨を、一つ櫂に渡した印南教授は、家族としての顔を隠して懸命に治療に当たってきた櫂をねぎらった。
印南教授が外務省を通じて米国在住の友人に頼み、急遽、米国の大学病院で臨床試験の進んだ最新の降圧剤を取り寄せたのが効いたようだ。
これから先も、予断を許さない日々が続くだろうが、透析の効果は目を瞠るものがあった。
仕事で席を外していた鳴澤は、郁人の意識が戻ったと聞き、安堵の余りその場に脱力して座り込んだ。
鳴澤は、殆ど食事も睡眠もとらないで、郁人の傍に付きっ切りだった。いつか倒れるのではないかと周囲は身を案じ、ことに最上家令は我が事のように気を揉んでいた。

鳴澤は郁人の状態を、必死の思いで見守っていた。
それは病気の家族を持つ者なら、当然のことかもしれない。
不幸にして、戦時中に長女の由美子はあっけなくこの世を去ってしまったが、もう一人の子供、郁人がもしそんなことになったらと考えるだけで鳴澤は濡れ手で心臓を掴まれるような恐怖を覚えていた。

意識を取り戻した郁人を抱きしめて、鳴澤は人目もはばからず男泣きに泣いた。

「良かった……ああ、良かった。郁人……」

「おとう……さま……」

悲壮な父親の思いは、やっと報われたかに見えたが、これが終わりではない。
慢性腎不全となりながらも何とか小康状態を得た郁人は、そのまま大学病院に入院することになった。

「櫂お兄さまは、この病院でお仕事をしているの?」

「そうだよ。だから毎朝、一番に郁人に会いに来るよ。担当の印南先生は、ぼくの先生なんだ」

「郁人はお注射が嫌いだから、やめてくださいってお願いしてね」

「郁人はいい子だから、先生が腕のここに頑張って「外シャント」というものを作ってくれるそうだよ。そうしたら、透析の度に太い針で血管を探さなくても良くなるんだ」

「……シャント?」

外シャントとは動脈と静脈にカテーテル(管)を入れて、身体の外側でつなぐことから外シャントと呼ばれる。透析時、静脈の血量が少ないため、動脈の血液を静脈に通すことが必要となる。外シャントは透析時の痛みが少ないが、血管がむき出しになっているために感染リスクが高くなるため、現在ではあまり行われていない。

「そうだよ。みんな郁人が大好きで大切だから、どうすれば元気になれるか、痛くないようにできるか一生懸命考えているんだ。透析をしたら、体がずいぶん楽になっただろう?だからもう少しだけ、痛いのを我慢しよう」

ちらりと郁人は視線を壁の方に向けた。

「……陸お兄さまは?」

郁人の枕元には、陸が使用人と一緒に願いを込めて作った千羽鶴が吊るされている。

「陸も心配して毎日様子を見に来ているよ。診察が終わったら、後で会わせてあげる。陸も僕も郁人に元気になってほしいんだ。我慢できるかな?」

郁人はこくりと頷き、数日後、透析をするためのシャント造設術を受けた。
局所麻酔が施され、手術中、陸と櫂は許しを得て無菌服を着て手術室に入り、郁人の手を握り励まし続けた。




本日もお読みいただきありがとうございます。
頑張れ、郁人!(`・ω・´)

透析患者さんに話を聞いたり、色々、調べながら書いておりますが、腎臓透析初期の頃の設定なので、あやふやなところも多いです。
なので、あくまでもこのお話はフィクション……という事でお願いします。

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