明けない夜の向こう側 第三章 8
鳴澤が部屋を出てゆくと、印南教授は思わず櫂に本音を吐露した。
「鳴澤さんには、酷な話だっただろうか?もう少しうまく話ができればよかったのだが……」
病気の子供を抱える親に、真実を告げるのは、いつも気を遣う。
どれ程、言葉を選んでも、受け取る側に医師の真意が思惑通り伝わるとは限らない。
「……いえ。義父には、教授の善意は伝わっていると思います。いつかは伝えなければなかったのですから。それと……郁人の事で、僕からも教授にご相談があるのですが、聞いていただけますか?」
「それは、透析以外の治療についてかな?郁人君の姉上の時とは、また状況が違っているから、いつかその話が出てくるとは思っていたよ。わたしにできることなら、力になりたいと思っている。その為に、これまで君もわたしも戦って来たんだからね」
「ありがとうございます」
櫂はその場で深々と頭を下げた。
じわりと瞼が熱くなる。印南教授のもとで、研鑽してきたことは間違いではなかった。
新しい免疫抑制剤が臨床段階に入ったと、米国から連絡が着た時、櫂は信じられない思いだった。
血液型が違う臨床例は、これまで一度もなかったが、新しい免疫抑制剤は、肉親間以外でも手術を可能にする希望の光だった。
それに引き換え、笹崎の運転する車に乗り込んだ鳴澤の表情は、余りにも暗い。
全ての希望が絶たれたような気がしていた。
ひと目で郁人に何かあったと笹崎は気づいたが、ただの使用人の立場では口にするわけにはいかない。
「社長。気分がすぐれないようですが、大丈夫ですか?」
「大したことはない。笹崎、本宅に望月を呼んでくれ」
「はい。望月先生ですか……?」
鳴澤の口から、望月の名を久しぶりに聞いたような気がする。
「……もう、打つ手がない……」
鳴澤は固く目を瞑り、絞り出すように口にした。
***
ハンドルを握り直した笹崎は、すぐに望月のいる場所に向かった。
郁人が入院したのですることがなく、お役御免になっていた望月と情夫は、時間ができたのを幸いに遊び歩いていたが、居場所は常に最上家令によって、常に把握されている。
「望月先生」
街灯の下で、はっとして足を止めた望月は、相手が笹崎と知り安心したような笑みを浮かべた。
「ああ、君か。こんなところで会うとは珍しいね。これから、わたし達は夜会に行くところなんだ」
「社長がお呼びです。予定を取りやめて、至急お戻りになってください」
「それは……」
望月は自分がお払い箱になったと勘違いしたようだった。
立ちすくんでしまった望月に、半ばあきれながら笹崎は、鳴澤が郁人の事で相談したいと言っていると告げた。
「郁人さまの事で?大学病院での治療はどうなった?」
「詳しいお話は社長にお聞きになってください。申し訳ありませんが、望月先生だけをお連れ致します」
「ああ……ああ、そうだな。君は別邸に帰っていなさい。用が済み次第帰るから」
「……はい」
抗うではなく、柳腰の青年は「では……」と頷いて優雅に腰を折った。
名残惜しそうなのは、望月の方だったのだろうが、迎えを寄越すほどの事が起こったのかと気持ちを切り替えたようだ。
笹崎のよく知る怜悧狡猾な顔になって、望月は車に乗り込んだ。
「月に叢雲花に風か……」
後部座席で、望月の呟きが聞こえた。
上手く行きかけたと思った郁人の病状が、これからどうなってゆくのか。
闇に沈む鳴澤の心のように、冴えた月を厚い雲が覆い隠そうとしていた。
本日もお読みいただきありがとうございます。
望月と愛人の話も書きたいんだけど、まずは完結を目指さないと。(`・ω・´)
透析患者さんに話を聞いたり、色々、調べながら書いておりますが、腎臓透析初期の頃の設定なので、あやふやなところも多いです。
なので、あくまでもこのお話はフィクション……という事でお願いします。
火・木・土曜日更新です。
※ランキングに参加しております。よろしくお願いします。
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「鳴澤さんには、酷な話だっただろうか?もう少しうまく話ができればよかったのだが……」
病気の子供を抱える親に、真実を告げるのは、いつも気を遣う。
どれ程、言葉を選んでも、受け取る側に医師の真意が思惑通り伝わるとは限らない。
「……いえ。義父には、教授の善意は伝わっていると思います。いつかは伝えなければなかったのですから。それと……郁人の事で、僕からも教授にご相談があるのですが、聞いていただけますか?」
「それは、透析以外の治療についてかな?郁人君の姉上の時とは、また状況が違っているから、いつかその話が出てくるとは思っていたよ。わたしにできることなら、力になりたいと思っている。その為に、これまで君もわたしも戦って来たんだからね」
「ありがとうございます」
櫂はその場で深々と頭を下げた。
じわりと瞼が熱くなる。印南教授のもとで、研鑽してきたことは間違いではなかった。
新しい免疫抑制剤が臨床段階に入ったと、米国から連絡が着た時、櫂は信じられない思いだった。
血液型が違う臨床例は、これまで一度もなかったが、新しい免疫抑制剤は、肉親間以外でも手術を可能にする希望の光だった。
それに引き換え、笹崎の運転する車に乗り込んだ鳴澤の表情は、余りにも暗い。
全ての希望が絶たれたような気がしていた。
ひと目で郁人に何かあったと笹崎は気づいたが、ただの使用人の立場では口にするわけにはいかない。
「社長。気分がすぐれないようですが、大丈夫ですか?」
「大したことはない。笹崎、本宅に望月を呼んでくれ」
「はい。望月先生ですか……?」
鳴澤の口から、望月の名を久しぶりに聞いたような気がする。
「……もう、打つ手がない……」
鳴澤は固く目を瞑り、絞り出すように口にした。
***
ハンドルを握り直した笹崎は、すぐに望月のいる場所に向かった。
郁人が入院したのですることがなく、お役御免になっていた望月と情夫は、時間ができたのを幸いに遊び歩いていたが、居場所は常に最上家令によって、常に把握されている。
「望月先生」
街灯の下で、はっとして足を止めた望月は、相手が笹崎と知り安心したような笑みを浮かべた。
「ああ、君か。こんなところで会うとは珍しいね。これから、わたし達は夜会に行くところなんだ」
「社長がお呼びです。予定を取りやめて、至急お戻りになってください」
「それは……」
望月は自分がお払い箱になったと勘違いしたようだった。
立ちすくんでしまった望月に、半ばあきれながら笹崎は、鳴澤が郁人の事で相談したいと言っていると告げた。
「郁人さまの事で?大学病院での治療はどうなった?」
「詳しいお話は社長にお聞きになってください。申し訳ありませんが、望月先生だけをお連れ致します」
「ああ……ああ、そうだな。君は別邸に帰っていなさい。用が済み次第帰るから」
「……はい」
抗うではなく、柳腰の青年は「では……」と頷いて優雅に腰を折った。
名残惜しそうなのは、望月の方だったのだろうが、迎えを寄越すほどの事が起こったのかと気持ちを切り替えたようだ。
笹崎のよく知る怜悧狡猾な顔になって、望月は車に乗り込んだ。
「月に叢雲花に風か……」
後部座席で、望月の呟きが聞こえた。
上手く行きかけたと思った郁人の病状が、これからどうなってゆくのか。
闇に沈む鳴澤の心のように、冴えた月を厚い雲が覆い隠そうとしていた。
本日もお読みいただきありがとうございます。
望月と愛人の話も書きたいんだけど、まずは完結を目指さないと。(`・ω・´)
透析患者さんに話を聞いたり、色々、調べながら書いておりますが、腎臓透析初期の頃の設定なので、あやふやなところも多いです。
なので、あくまでもこのお話はフィクション……という事でお願いします。
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