びいどろ時舟 34
千歳花魁のログを見つめるセマノの胸に、今も忘れられない面影が立ち上る。
蜂蜜色の巻き毛の青い瞳の、健康な時は薔薇色に輝く様に美しい少年だった。
ひどい環境に置かれ病を得て,陽の射さない部屋に閉じ込められていた。
セマノが枕辺に降り立ったとき、王子は汚れた頬で信じられないと言う表情を浮かべていた。
大きな澄んだ瞳だけが、姿を追って来た。
「あなたは大天使、ミカエル様・・・?お父さまにお願いされて、ここへいらしたの?」
「お母さまとお父さまのお傍へ行けるように、ぼくをお迎えに来たの?」
・・・背中を向けたセマノの唇が、ふるっと揺れた。
「・・・そうなのか?不幸なばかりではなかったのか?」
答えのない問いが、ログの結ぶ千歳の映像に向かって何度も繰り返された。
「そうなのか・・・?」
「あい。いつか、大事なお方と巡り会いんす。」
「いちど結ばれた縁は、未来永劫切れることはないのでありんすぇ。 姿かたちは見えなくても、愛しい人の魂は側にありんす。」
「・・・そうなのか?」
輪郭の滲んだ太夫が,セマノに向かって微笑む・・・。
*******
次の日。
鏡は重箱にいなりずしを詰めて、天神裏まで持って来た。
「新さん。約束の油揚げば、持って来たと。たんと、食べんね。」
寿司は仕出し屋に頼んで、作ってもらったらしい。
「寿司で良かった。本当に油揚げだけだと困るところだった。」
「・・・?、なしてね?」
「鏡坊。、お使い狐がみんな油揚げが好きとは、限らないぜ。」
シンは大真面目な顔を向けて、意地悪く鏡をからかった。
「そうなん?天神様にも同じものをお供えしたとに・・・。」
「腹かいて(怒って)おるかなぁ・・・天神様、すまんばい。今度は違うもとば、お供えすっけん・・・。」
鏡は、本心からそう心配し、向き直って天神様の祠に手を合わせていた。
「嘘だよ、鏡坊。天神様がありがとうって言ってたよ。すごく、うれしいってさ。」
新は鏡に貰ったいなりずしをぱくついた。
「そうだ、鏡坊。パタヴィアにはいつ行くの?」
「う~ん・・・もう、新さんも知っとっとね・・・」
鏡には、妓夫太郎になり、いつかは楼主に代わって楼閣を切り盛りする「お店」になるという夢があったが、国外に行くためそれはあえなく潰えてしまった。少しばかり、悲しい目を向けた。
「お父しゃまが、ぬくうて良かって所て言おるけど・・・、向こうでは、男衆はいらんと。パタヴィアのお父しゃまの家には、奉公する人のいっぱいおっとやけん、あしはもうまた通詞の勉強をするっとよ。」
「へぇ、通詞かぁ。日本だと、役職は親から貰うもんだが、お父つぁんのお国じゃ違うんだねぇ。通詞の仕事も大変だろうが、がんばれよ。やれそうかい?」
「ううん、わからん・・・」
分からないことだらけだった・・・。
鏡は、商館長に勧められて、これから貿易に携わる仕事をしようかと思っていた。
ただ、阿蘭陀語は元より各国、航海時代で貿易が盛んとなり、通詞の数は幾ら居ても足りない。
父の国に行って苦労するよりも、阿蘭陀東印度会社の社員になって、海原を駆ける大きな船に乗って働かないかと商館長に誘われたらしい。
二つの選択肢の間で、鏡は揺れていた。
父の国許に、何故行かないのかと聞いてみようと思ったが、異国の現地妻の子ども達が誇り高い独逸貴族の家に迎えられることなど、縁戚の者が決して許さないだろうと気がついて、聞くのを止めにした。
ことに、自分の意思で客を選べることができ、従順で名高い日本女性の、全てのたしなみを持つ最高級女性の別名「太夫」の職は、独逸の親戚には理解できないだろう。きっと、春をひさぐ職業として認識されるだろう。
例え父親がどんなに望んだとしても、日本を離れた二人に許されるのは、遠く離れた場所でつつましく生きることだけだと思う。
「鏡坊は、利口だから通詞にも向いてるなぁ、きっと。」
竹筒の水を譲ってやって、新も別れを切り出した。
「鏡坊がパタヴィアに行く前に、俺も長崎を離れるんだ。」
「なしてね?」
「う~ん。天神様はあちこちに祠をお持ちだからなぁ。ほら、新さんはお使い狐だろう?」
納得した鏡が、こくりと頷いた。
「新さん。パタヴィアにも、天神様の祠はあるとやろうか。新さんと、こんままお別れすっとは・・・あし・・・悲しかばい。」
悲しいと語る濡れた目に、嘘をつかずに居られない。
「そうだなぁ、俺も悲しいよ。そうだ。鏡坊が本当に困ったときは、特別に助けてやってくださいって、天神様に頼んどいてやるよ。」
実際はずっと側に居て見守っているなどと、サンプルに微塵も悟られてはならない。
「天神様は千里眼だから鏡坊には見えなくても、きっと向こうの方から万華鏡で見てるはずさ。そうだ鏡坊、なんなら指切りしてやろうか?」
鏡は頭を振って、指切りはせんでんよかと新を見つめた。
「新さんが、あしに嘘ばつくわけなかもん。そいに・・いつかまた会ゆっはずばい。ね?会ゆっとね?」
新の胸の奥が、ちりと焼け付くように痛んだ。
(´・ω・`) 鏡:「ね?会ゆっとね?」
いかん・・・長崎弁覚えたいぞ~・・・
柏手もポチもありがとうございます。
励みになりますので、応援よろしくお願いします。
コメント、感想等もお待ちしております。 此花咲耶
蜂蜜色の巻き毛の青い瞳の、健康な時は薔薇色に輝く様に美しい少年だった。
ひどい環境に置かれ病を得て,陽の射さない部屋に閉じ込められていた。
セマノが枕辺に降り立ったとき、王子は汚れた頬で信じられないと言う表情を浮かべていた。
大きな澄んだ瞳だけが、姿を追って来た。
「あなたは大天使、ミカエル様・・・?お父さまにお願いされて、ここへいらしたの?」
「お母さまとお父さまのお傍へ行けるように、ぼくをお迎えに来たの?」
・・・背中を向けたセマノの唇が、ふるっと揺れた。
「・・・そうなのか?不幸なばかりではなかったのか?」
答えのない問いが、ログの結ぶ千歳の映像に向かって何度も繰り返された。
「そうなのか・・・?」
「あい。いつか、大事なお方と巡り会いんす。」
「いちど結ばれた縁は、未来永劫切れることはないのでありんすぇ。 姿かたちは見えなくても、愛しい人の魂は側にありんす。」
「・・・そうなのか?」
輪郭の滲んだ太夫が,セマノに向かって微笑む・・・。
*******
次の日。
鏡は重箱にいなりずしを詰めて、天神裏まで持って来た。
「新さん。約束の油揚げば、持って来たと。たんと、食べんね。」
寿司は仕出し屋に頼んで、作ってもらったらしい。
「寿司で良かった。本当に油揚げだけだと困るところだった。」
「・・・?、なしてね?」
「鏡坊。、お使い狐がみんな油揚げが好きとは、限らないぜ。」
シンは大真面目な顔を向けて、意地悪く鏡をからかった。
「そうなん?天神様にも同じものをお供えしたとに・・・。」
「腹かいて(怒って)おるかなぁ・・・天神様、すまんばい。今度は違うもとば、お供えすっけん・・・。」
鏡は、本心からそう心配し、向き直って天神様の祠に手を合わせていた。
「嘘だよ、鏡坊。天神様がありがとうって言ってたよ。すごく、うれしいってさ。」
新は鏡に貰ったいなりずしをぱくついた。
「そうだ、鏡坊。パタヴィアにはいつ行くの?」
「う~ん・・・もう、新さんも知っとっとね・・・」
鏡には、妓夫太郎になり、いつかは楼主に代わって楼閣を切り盛りする「お店」になるという夢があったが、国外に行くためそれはあえなく潰えてしまった。少しばかり、悲しい目を向けた。
「お父しゃまが、ぬくうて良かって所て言おるけど・・・、向こうでは、男衆はいらんと。パタヴィアのお父しゃまの家には、奉公する人のいっぱいおっとやけん、あしはもうまた通詞の勉強をするっとよ。」
「へぇ、通詞かぁ。日本だと、役職は親から貰うもんだが、お父つぁんのお国じゃ違うんだねぇ。通詞の仕事も大変だろうが、がんばれよ。やれそうかい?」
「ううん、わからん・・・」
分からないことだらけだった・・・。
鏡は、商館長に勧められて、これから貿易に携わる仕事をしようかと思っていた。
ただ、阿蘭陀語は元より各国、航海時代で貿易が盛んとなり、通詞の数は幾ら居ても足りない。
父の国に行って苦労するよりも、阿蘭陀東印度会社の社員になって、海原を駆ける大きな船に乗って働かないかと商館長に誘われたらしい。
二つの選択肢の間で、鏡は揺れていた。
父の国許に、何故行かないのかと聞いてみようと思ったが、異国の現地妻の子ども達が誇り高い独逸貴族の家に迎えられることなど、縁戚の者が決して許さないだろうと気がついて、聞くのを止めにした。
ことに、自分の意思で客を選べることができ、従順で名高い日本女性の、全てのたしなみを持つ最高級女性の別名「太夫」の職は、独逸の親戚には理解できないだろう。きっと、春をひさぐ職業として認識されるだろう。
例え父親がどんなに望んだとしても、日本を離れた二人に許されるのは、遠く離れた場所でつつましく生きることだけだと思う。
「鏡坊は、利口だから通詞にも向いてるなぁ、きっと。」
竹筒の水を譲ってやって、新も別れを切り出した。
「鏡坊がパタヴィアに行く前に、俺も長崎を離れるんだ。」
「なしてね?」
「う~ん。天神様はあちこちに祠をお持ちだからなぁ。ほら、新さんはお使い狐だろう?」
納得した鏡が、こくりと頷いた。
「新さん。パタヴィアにも、天神様の祠はあるとやろうか。新さんと、こんままお別れすっとは・・・あし・・・悲しかばい。」
悲しいと語る濡れた目に、嘘をつかずに居られない。
「そうだなぁ、俺も悲しいよ。そうだ。鏡坊が本当に困ったときは、特別に助けてやってくださいって、天神様に頼んどいてやるよ。」
実際はずっと側に居て見守っているなどと、サンプルに微塵も悟られてはならない。
「天神様は千里眼だから鏡坊には見えなくても、きっと向こうの方から万華鏡で見てるはずさ。そうだ鏡坊、なんなら指切りしてやろうか?」
鏡は頭を振って、指切りはせんでんよかと新を見つめた。
「新さんが、あしに嘘ばつくわけなかもん。そいに・・いつかまた会ゆっはずばい。ね?会ゆっとね?」
新の胸の奥が、ちりと焼け付くように痛んだ。
(´・ω・`) 鏡:「ね?会ゆっとね?」
いかん・・・長崎弁覚えたいぞ~・・・
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