びいどろ時舟 33
これまでに関わったサンプルと、あの子はどこか違うんだとシンは繰り返した。
「・・・あの子といると、どうも調子が狂うんだけど、言い得て妙だとも思うね。」
「へぇ・・・どんな風に?」
「上手く説明が、できないな。あの、柔らかい長崎弁のせいかな。君のことを天神様だと思ってるのを否定できなかったよ。」
勘がいいのかどうなのか、鏡は何故か、朧げな異世界の記憶を手放していないようだ。
天神様とその神使と言う表現をし、二人の存在を自然に受け入れていた。
そしてシンは、セマノに千歳花魁と交わした話をした。
「聖なるものは、汚穢に中に宿ると言う話は、本当かもしれないな。ほら、希臘(ギリシア)神話のヴィーナス誕生だって、原典はかなりえぐいだろう。ゼウスのこぼした白濁が海を漂って貝に着床したと言う話もある。」
「ああ・・・。そう言えば彼らの母親の名も、泥の中で清らかに咲く睡蓮と言ったね。」
「もしかすると、千歳という太夫は、巫女やシャーマンのような、霊感体質を持っているのかもしれないな。その弟なら、少しは勘が良くても不思議じゃない。」
シンはとんとんと、学者の胸を突いた。
「ぼくはね、セマノ・・・。出来るなら、あの太夫と君を逢わせてあげたかったよ。不思議なんだけど・・・ここのね・・・ぽっかり開いていた風穴が、突然埋まったんだよ。あの柔らかな胸にしばらく抱かれていただけで。本当に安らかな気持になった。こんなことは、家族を失って以来感じたことがない。」
セマノはシンの取った行動を聞いて、思わず絶句した。
「君が・・・?抱かれた?あれほど誰とも関わりを持たないで、頑なだった君が?嫌な相手とは握手もできない潔癖症の君が、遊郭で花魁の胸に抱かれた・・・って?ええーーーっ?」
「失敬な奴だな。」
その驚き方は何なんだと、シンは脱力した。
「ずっと、そんな風に思ってたんだ・・・」
「で、花魁の胸に抱かれたと言う、信じられないその記録はあるの?」
「ございます。消去してしまいたい個人情報なんですが、ご覧になりますか?主席学芸員殿。」
くす・・・と、セマノの口角が楽しげに上がる。
「どんな顔をしていたのか気になるから、即刻提出するように。」
かくして、シンのログの記録は、速やかにセマノに転送された。
セマノは食い入るようにログを見つめていた。
一度結ばれた縁は、未来永劫切れることはないと、立体化した遊女の映像がセマノに向かって、繰り返し優しく告げた。若い遊女の言葉を信じていいのなら、ずっと長い間囚われ続けた青い瞳の鎖から、セマノも解き放たれるだろう。
「いつか、めぐり会う?・・・まさか、君は本当に信じているわけじゃないんだろう?」
目の前で移送船団が爆発して、愛するもの全てを失ったシンが、一度遊女に触れただけで胸に花が咲くなどとふざけたことを真剣に語る。セマノにはシンが少しばかり脳天気に見えて、腹立たしかった。
「じゃ、聞くけどさ。これまで君に起こった事は、悲しいだけだった?仏蘭西のテンプル塔に閉じ込められていたあの子に出会えて、良かったとか一度くらい思わなかった?花魁の言うようにあの子が居なくなった後、すぐ側に気配を感じたことなどなかった?」
セマノには、全てを否定することは出来なかった。青い瞳の可哀想な少年を、片時も忘れたりできなかった。何度、夢の中で抱きしめたかしれない。
「・・・仕事に戻る。」
セマノはくるりと背を向け、シンはTitose Amelie ・Von・Abeille(チトセ アメーリエ・フォン・アベール)のログを見ていた。
バタビィアに渡った後、東印度会社の社員のロシア人の混血児と結婚して、子を生し長く生きたらしかった。大勢の子や孫に囲まれて幸せに過ごす日々、少なくとも彼女には幸せな人生が待っている。
面差しを残す、老女となった千歳の記録が残っていた。
ほんの少し、安堵した自分が不思議だった。
柏手もポチもありがとうございます。
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コメント、感想等もお待ちしております。 此花咲耶
「・・・あの子といると、どうも調子が狂うんだけど、言い得て妙だとも思うね。」
「へぇ・・・どんな風に?」
「上手く説明が、できないな。あの、柔らかい長崎弁のせいかな。君のことを天神様だと思ってるのを否定できなかったよ。」
勘がいいのかどうなのか、鏡は何故か、朧げな異世界の記憶を手放していないようだ。
天神様とその神使と言う表現をし、二人の存在を自然に受け入れていた。
そしてシンは、セマノに千歳花魁と交わした話をした。
「聖なるものは、汚穢に中に宿ると言う話は、本当かもしれないな。ほら、希臘(ギリシア)神話のヴィーナス誕生だって、原典はかなりえぐいだろう。ゼウスのこぼした白濁が海を漂って貝に着床したと言う話もある。」
「ああ・・・。そう言えば彼らの母親の名も、泥の中で清らかに咲く睡蓮と言ったね。」
「もしかすると、千歳という太夫は、巫女やシャーマンのような、霊感体質を持っているのかもしれないな。その弟なら、少しは勘が良くても不思議じゃない。」
シンはとんとんと、学者の胸を突いた。
「ぼくはね、セマノ・・・。出来るなら、あの太夫と君を逢わせてあげたかったよ。不思議なんだけど・・・ここのね・・・ぽっかり開いていた風穴が、突然埋まったんだよ。あの柔らかな胸にしばらく抱かれていただけで。本当に安らかな気持になった。こんなことは、家族を失って以来感じたことがない。」
セマノはシンの取った行動を聞いて、思わず絶句した。
「君が・・・?抱かれた?あれほど誰とも関わりを持たないで、頑なだった君が?嫌な相手とは握手もできない潔癖症の君が、遊郭で花魁の胸に抱かれた・・・って?ええーーーっ?」
「失敬な奴だな。」
その驚き方は何なんだと、シンは脱力した。
「ずっと、そんな風に思ってたんだ・・・」
「で、花魁の胸に抱かれたと言う、信じられないその記録はあるの?」
「ございます。消去してしまいたい個人情報なんですが、ご覧になりますか?主席学芸員殿。」
くす・・・と、セマノの口角が楽しげに上がる。
「どんな顔をしていたのか気になるから、即刻提出するように。」
かくして、シンのログの記録は、速やかにセマノに転送された。
セマノは食い入るようにログを見つめていた。
一度結ばれた縁は、未来永劫切れることはないと、立体化した遊女の映像がセマノに向かって、繰り返し優しく告げた。若い遊女の言葉を信じていいのなら、ずっと長い間囚われ続けた青い瞳の鎖から、セマノも解き放たれるだろう。
「いつか、めぐり会う?・・・まさか、君は本当に信じているわけじゃないんだろう?」
目の前で移送船団が爆発して、愛するもの全てを失ったシンが、一度遊女に触れただけで胸に花が咲くなどとふざけたことを真剣に語る。セマノにはシンが少しばかり脳天気に見えて、腹立たしかった。
「じゃ、聞くけどさ。これまで君に起こった事は、悲しいだけだった?仏蘭西のテンプル塔に閉じ込められていたあの子に出会えて、良かったとか一度くらい思わなかった?花魁の言うようにあの子が居なくなった後、すぐ側に気配を感じたことなどなかった?」
セマノには、全てを否定することは出来なかった。青い瞳の可哀想な少年を、片時も忘れたりできなかった。何度、夢の中で抱きしめたかしれない。
「・・・仕事に戻る。」
セマノはくるりと背を向け、シンはTitose Amelie ・Von・Abeille(チトセ アメーリエ・フォン・アベール)のログを見ていた。
バタビィアに渡った後、東印度会社の社員のロシア人の混血児と結婚して、子を生し長く生きたらしかった。大勢の子や孫に囲まれて幸せに過ごす日々、少なくとも彼女には幸せな人生が待っている。
面差しを残す、老女となった千歳の記録が残っていた。
ほんの少し、安堵した自分が不思議だった。
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