びいどろ時舟 32
大きな金剛石(ダイアモンド)の周囲に、美しい煌く青い宝石が配置された指輪は、眺めていると確かにセマノの深い瞳を思い出させた。
「天神様は、海のごと綺麗か青か目ん色ばいね?」
新の手のひらに指輪を預けながら、鏡が指先で転がした。
「姉しゃまが、鏡ちゃんの好いたようにすっとよかよって。新さん、天神様にお使いばしてくれんね。」
大きな瞳で、じっと見つめる鏡はもう新を神使と信じて疑っていないようだった。
「お使いば済んだら、きっと油揚げば、お供えすっけん。この通り、お願いするけん。」
「油揚げ・・?・・・ああ、俺は、セマノのお使い狐なのか・・・。」
とうとう新は、ぷっと噴出してしまった。
「よしよし、鏡坊。お使いは引き受けた。天神様に逢ってこようよ。」
「引き受けてくるっとね。」
耳の横に、両手を立てて新は言った。
「こん。」
「たのむけん。」
深々と頭を下げる鏡が、新にはどうにもいじらしかった。
*****
銀色の建物の林立する異世界。
そこには、過去の時空を管理する場所があった。
「ずいぶん古いものだな。懐かしいフォルムだ・・・ロココのものだ。」
光にかざして、学芸員のセマノがどこか感動の面持ちで言う。
「長く生きてきたが、供物を貰ったのは、初めてだ。」
ほんの少し、関わった鏡の記憶に自分の欠片があるのが何となく心を浮き立たせていた。
「まあ、せっかくの貢物だから、しばらく預かっておくかな。」
「・・・で、追加データのことなんだが、データベースに鏡のデータがないって?」
鏡のことで何の処罰も無いのが気になり、照会した所、データ不足と返答があったとセマノが言ってよこした。
鏡が鏡太郎と言う名だと分かったが、それ以外のことは亜細亜系の国別データベースには、何の記録もないと言う。それは、サンプルが天災などで行方不明になった場合に多い。
そのため、手に入れたありったけの鏡の情報を入力するため、シンは帰還したのだった。
「千歳花魁が鏡には、まだ他に名前があると言っていたんだ。」
廓でのあだ名、鏡(かがみ)、鏡太郎の他に、父の国での長い名前があると、彼女は言った。
父親の名前の方から探してみると、確かにそこにサンプルとしての鏡の名前が記載されていた。仕事とは言え、鏡のその後を知る事になりシンの顔が曇る・・・。
サンプルは常に、後世に遺伝子を残さない命の中から選ばれた。
歴史に埋もれる、極めて短命な存在なのだ。
誕生から消滅まで、データベースが選んだサンプルの詳しい観察をして、後世の管理官はその時代を知る。
正しい名称から探し出された、鏡のデータは確認された。
kyoutarou Julian ・Von・Abeille(キョウタロウ・ユリアン・フォン・アベール)
それが、サンプル(鏡)としての記録上の正式名称だった。
「まさかとは思うけど・・・。君は、何もしやしないよねぇ。」
セマノはデータベースに刻まれた鏡の名前に、無意識に顔を歪めたシンに、釘を刺さずに居れなかった。
「勿論。そんな愚かではないつもりだよ。」
まるで自分に納得させるように、頷くシンの顔色はさえない。
鏡がどういう形で、その生涯を閉じるのかはセマノにもシンにも分からなかったが、鏡の存在する世界で一つの時代が動こうとしていた。
幕府の海禁の御定法が変わり、この後、丸山遊郭に住む混血児達の運命も変わって行く。
後世に残る、お春と言う少女の書いた有名な「じゃがたら文」と言うものがある。
遠く異国のパタヴィア(ジャカルタ)に追放された、混血の少女が故郷への思慕を切々と歌ったものだ。日本恋しやと身を捩(よじ)り、涙を振り絞った哀れな娘は、青い瞳と抜けるような白い肌を持ち目を引くほど美しかったが、それゆえ奉行所の追跡の手から逃れられなかった。
これからは、ほんの少しでも異国人の血が混じっているものは、捕らえられて、みな遥かパタヴィアへと送られる。
やっと父の庇護の元、家族平和に暮らせると思ったのも束の間、千歳大夫と鏡の運命もまた、そうなるはずだった。
そして見栄えの良い小鳥達は、パタヴィアに渡っても、違った鳥籠へ移り住むのを余儀なくされるのだ。
「そろそろ、新さんの顔もお終いだな。追跡するには、また違う顔を手にれないと・・・。」
シンが片頬を撫ぜ上げた。
「次は、鏡坊と同じ船に乗るはずの、唐人の混血児にでも化けるかな・・・。」
シンはサンプルと共に、最期の地パタヴィアへ行くつもりらしい。
「鏡に、別れを言うのか?」
「言うさ。天神様が、鏡坊に指輪のお礼を言ってたよって、伝えなきゃね。江戸流れの髪結いの新さんがいなくなっても、丸山じゃどうって事はないだろうしさ。」
サンプルの最期を見届けて、データを送るのが俺の仕事だとシンはうそぶいた。
柏手もポチもありがとうございます。
励みになりますので、応援よろしくお願いします。
コメント、感想等もお待ちしております。 此花咲耶
「天神様は、海のごと綺麗か青か目ん色ばいね?」
新の手のひらに指輪を預けながら、鏡が指先で転がした。
「姉しゃまが、鏡ちゃんの好いたようにすっとよかよって。新さん、天神様にお使いばしてくれんね。」
大きな瞳で、じっと見つめる鏡はもう新を神使と信じて疑っていないようだった。
「お使いば済んだら、きっと油揚げば、お供えすっけん。この通り、お願いするけん。」
「油揚げ・・?・・・ああ、俺は、セマノのお使い狐なのか・・・。」
とうとう新は、ぷっと噴出してしまった。
「よしよし、鏡坊。お使いは引き受けた。天神様に逢ってこようよ。」
「引き受けてくるっとね。」
耳の横に、両手を立てて新は言った。
「こん。」
「たのむけん。」
深々と頭を下げる鏡が、新にはどうにもいじらしかった。
*****
銀色の建物の林立する異世界。
そこには、過去の時空を管理する場所があった。
「ずいぶん古いものだな。懐かしいフォルムだ・・・ロココのものだ。」
光にかざして、学芸員のセマノがどこか感動の面持ちで言う。
「長く生きてきたが、供物を貰ったのは、初めてだ。」
ほんの少し、関わった鏡の記憶に自分の欠片があるのが何となく心を浮き立たせていた。
「まあ、せっかくの貢物だから、しばらく預かっておくかな。」
「・・・で、追加データのことなんだが、データベースに鏡のデータがないって?」
鏡のことで何の処罰も無いのが気になり、照会した所、データ不足と返答があったとセマノが言ってよこした。
鏡が鏡太郎と言う名だと分かったが、それ以外のことは亜細亜系の国別データベースには、何の記録もないと言う。それは、サンプルが天災などで行方不明になった場合に多い。
そのため、手に入れたありったけの鏡の情報を入力するため、シンは帰還したのだった。
「千歳花魁が鏡には、まだ他に名前があると言っていたんだ。」
廓でのあだ名、鏡(かがみ)、鏡太郎の他に、父の国での長い名前があると、彼女は言った。
父親の名前の方から探してみると、確かにそこにサンプルとしての鏡の名前が記載されていた。仕事とは言え、鏡のその後を知る事になりシンの顔が曇る・・・。
サンプルは常に、後世に遺伝子を残さない命の中から選ばれた。
歴史に埋もれる、極めて短命な存在なのだ。
誕生から消滅まで、データベースが選んだサンプルの詳しい観察をして、後世の管理官はその時代を知る。
正しい名称から探し出された、鏡のデータは確認された。
kyoutarou Julian ・Von・Abeille(キョウタロウ・ユリアン・フォン・アベール)
それが、サンプル(鏡)としての記録上の正式名称だった。
「まさかとは思うけど・・・。君は、何もしやしないよねぇ。」
セマノはデータベースに刻まれた鏡の名前に、無意識に顔を歪めたシンに、釘を刺さずに居れなかった。
「勿論。そんな愚かではないつもりだよ。」
まるで自分に納得させるように、頷くシンの顔色はさえない。
鏡がどういう形で、その生涯を閉じるのかはセマノにもシンにも分からなかったが、鏡の存在する世界で一つの時代が動こうとしていた。
幕府の海禁の御定法が変わり、この後、丸山遊郭に住む混血児達の運命も変わって行く。
後世に残る、お春と言う少女の書いた有名な「じゃがたら文」と言うものがある。
遠く異国のパタヴィア(ジャカルタ)に追放された、混血の少女が故郷への思慕を切々と歌ったものだ。日本恋しやと身を捩(よじ)り、涙を振り絞った哀れな娘は、青い瞳と抜けるような白い肌を持ち目を引くほど美しかったが、それゆえ奉行所の追跡の手から逃れられなかった。
これからは、ほんの少しでも異国人の血が混じっているものは、捕らえられて、みな遥かパタヴィアへと送られる。
やっと父の庇護の元、家族平和に暮らせると思ったのも束の間、千歳大夫と鏡の運命もまた、そうなるはずだった。
そして見栄えの良い小鳥達は、パタヴィアに渡っても、違った鳥籠へ移り住むのを余儀なくされるのだ。
「そろそろ、新さんの顔もお終いだな。追跡するには、また違う顔を手にれないと・・・。」
シンが片頬を撫ぜ上げた。
「次は、鏡坊と同じ船に乗るはずの、唐人の混血児にでも化けるかな・・・。」
シンはサンプルと共に、最期の地パタヴィアへ行くつもりらしい。
「鏡に、別れを言うのか?」
「言うさ。天神様が、鏡坊に指輪のお礼を言ってたよって、伝えなきゃね。江戸流れの髪結いの新さんがいなくなっても、丸山じゃどうって事はないだろうしさ。」
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