びいどろ時舟 29
新は思わず、正直な気持を吐露する。
「ありがとうございました。鏡坊を助けたと、おっしゃいましたけど・・・あっしのほうこそ、長年の憂さが晴れてすごく気持が楽になった気がします。」
「新さん。そういっていただけると、わっちもうれしいでありんすぇ。新さんの胸にも、どうやら風穴が開いていたようでございんすぇ ・・・わっちの胸にほんのりと良い香りのするあったかい紅い花が、咲きんした。 」
とくん・・・と、一つ鼓動が、早鐘になった。
真っ直ぐな瞳で花魁が、これは、わっちが母親から教わったことでありんすぇ・・・と、新の膝に手を重ねた。新の光る瞳をひたと見つめていた。
「いちど結ばれた縁は、未来永劫切れることはないのでありんすぇ。 姿かたちは見えなくても、愛しい人の魂は側にありんす。そう思えば、悲しいときも笑っていられるでありんしょう? 」
聞いているだけで、胸で溶けた涙がこぼれそうになる。
「短き逢瀬の方にも、わっちはそう思っていんす。 これだけは、覚えて置いてくんなましな。丸山の遊女千歳の、心意気でございんすよ。」
これまで、まるで観音を参るように花魁詣でをする男達を、新は半ば冷めた気持で眺めていた。本能のまま愚かにも公共の売春街を作った、江戸と言う時代の幼い施政にも、冷ややかな目を向けていた。
どんな時代、どんな場所にも遊郭や売春宿は悪所と言う名で存在し、脂粉にまみれた女達は男に向かって夜な夜な媚を売る。
髪結い屋の新は、自分がまだ年若い太夫の胸に、抱かれて居たのに気が付いて赤面し、やっと離れた。
くつろげた胸を直しながら、太夫は濡れた唇を尖らせ微笑んだ。
「胸が冷えて寂しいときは、いつでも抱いてあげんすよ・・・新さん。新さんが髪を結うように、千歳は主さんの寂しい心に灯を燈しんす・・・それが丸山遊女の、わっちの仕事でありんすぇ。 」
心の氷柱が溶けて、温かに頬を濡らしていたのを、丸い袖先で千歳花魁が母のように拭った。
頬を伝う解けた氷は、思いがけず温かかった。
*******
月が替わり、阿蘭陀商館には商館長の後任が出島に入った。
鏡と千歳のいる高級料亭も兼ねた水月楼では、抱えの太夫たちを総挙げで、賑やかに歓迎の晩餐会が行われていた。
広間には珍しい卓袱料理の大皿が何枚も運び込まれ、長崎奉行や商館の前役人も多く集まった。毎度のことながら、金のかかった大層な宴会である。
中国料理や南蛮料理が日本化した宴会料理は、出島に住む唐人の料理人によって和華蘭(わからん)に味付けされ、山海の珍味が豪奢に盛られたものは、目にも鮮やかで、異文化の混在する長崎ならではの料理だった。
初めてこの大皿を見たものは、海の底の竜宮の料理もかくやと息を呑む。それほど絢爛なものだった。
商館長と共に就任した鏡と千歳の父は、この晩餐の後、やっと別室に通され最愛の子供達と再会することが出来た。
混血児との公然の面会は、長崎奉行の目をはばかって別室で行われた。
形式的な退屈な挨拶は長々と通詞を介して続き、商館長付きのお抱え医師である太夫の父親が、感動の面持ちで二人を抱きしめたのは一時以上経ってからだった。
「ああ、本当にここまで長かったね、Titose Amelie (アメーリエ)、Kyoutarou Julian (ユリアン )・・・」
千歳と鏡太郎には、父の国と母の国の名前が二つ有る。
「あい。」
アメーリエ、その名で呼ばれたのは、4年ぶりの千歳だった。
「お父(と)しゃまも、お変わりございんせんでありんしたかぇ? 」
大きな温かい両の手が 、別れた日と同じように最愛の子供の頬を包んだ。
柏手もポチもありがとうございます。
励みになりますので、応援よろしくお願いします。
コメント、感想等もお待ちしております。 此花咲耶
「ありがとうございました。鏡坊を助けたと、おっしゃいましたけど・・・あっしのほうこそ、長年の憂さが晴れてすごく気持が楽になった気がします。」
「新さん。そういっていただけると、わっちもうれしいでありんすぇ。新さんの胸にも、どうやら風穴が開いていたようでございんすぇ ・・・わっちの胸にほんのりと良い香りのするあったかい紅い花が、咲きんした。 」
とくん・・・と、一つ鼓動が、早鐘になった。
真っ直ぐな瞳で花魁が、これは、わっちが母親から教わったことでありんすぇ・・・と、新の膝に手を重ねた。新の光る瞳をひたと見つめていた。
「いちど結ばれた縁は、未来永劫切れることはないのでありんすぇ。 姿かたちは見えなくても、愛しい人の魂は側にありんす。そう思えば、悲しいときも笑っていられるでありんしょう? 」
聞いているだけで、胸で溶けた涙がこぼれそうになる。
「短き逢瀬の方にも、わっちはそう思っていんす。 これだけは、覚えて置いてくんなましな。丸山の遊女千歳の、心意気でございんすよ。」
これまで、まるで観音を参るように花魁詣でをする男達を、新は半ば冷めた気持で眺めていた。本能のまま愚かにも公共の売春街を作った、江戸と言う時代の幼い施政にも、冷ややかな目を向けていた。
どんな時代、どんな場所にも遊郭や売春宿は悪所と言う名で存在し、脂粉にまみれた女達は男に向かって夜な夜な媚を売る。
髪結い屋の新は、自分がまだ年若い太夫の胸に、抱かれて居たのに気が付いて赤面し、やっと離れた。
くつろげた胸を直しながら、太夫は濡れた唇を尖らせ微笑んだ。
「胸が冷えて寂しいときは、いつでも抱いてあげんすよ・・・新さん。新さんが髪を結うように、千歳は主さんの寂しい心に灯を燈しんす・・・それが丸山遊女の、わっちの仕事でありんすぇ。 」
心の氷柱が溶けて、温かに頬を濡らしていたのを、丸い袖先で千歳花魁が母のように拭った。
頬を伝う解けた氷は、思いがけず温かかった。
*******
月が替わり、阿蘭陀商館には商館長の後任が出島に入った。
鏡と千歳のいる高級料亭も兼ねた水月楼では、抱えの太夫たちを総挙げで、賑やかに歓迎の晩餐会が行われていた。
広間には珍しい卓袱料理の大皿が何枚も運び込まれ、長崎奉行や商館の前役人も多く集まった。毎度のことながら、金のかかった大層な宴会である。
中国料理や南蛮料理が日本化した宴会料理は、出島に住む唐人の料理人によって和華蘭(わからん)に味付けされ、山海の珍味が豪奢に盛られたものは、目にも鮮やかで、異文化の混在する長崎ならではの料理だった。
初めてこの大皿を見たものは、海の底の竜宮の料理もかくやと息を呑む。それほど絢爛なものだった。
商館長と共に就任した鏡と千歳の父は、この晩餐の後、やっと別室に通され最愛の子供達と再会することが出来た。
混血児との公然の面会は、長崎奉行の目をはばかって別室で行われた。
形式的な退屈な挨拶は長々と通詞を介して続き、商館長付きのお抱え医師である太夫の父親が、感動の面持ちで二人を抱きしめたのは一時以上経ってからだった。
「ああ、本当にここまで長かったね、Titose Amelie (アメーリエ)、Kyoutarou Julian (ユリアン )・・・」
千歳と鏡太郎には、父の国と母の国の名前が二つ有る。
「あい。」
アメーリエ、その名で呼ばれたのは、4年ぶりの千歳だった。
「お父(と)しゃまも、お変わりございんせんでありんしたかぇ? 」
大きな温かい両の手が 、別れた日と同じように最愛の子供の頬を包んだ。
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