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平成大江戸花魁物語 18 【最終話】 

男姿となった雪華花魁が大通りを歩いていても、振り返る者は大江戸の中に一人もいない。この町に居るのは客と娼妓、ただそれだけだった。
短い花の盛りを散り急ぐように大江戸に咲いた大輪の花は、雪華花魁という名前を天華太夫に譲って地上へと向かった。
蝉の羽化に似ている気がする……と、長く伸びた影を見つめながら六花は思う。

「雪華兄さん。」

「六花。どうしたえ?」

ふっと振り向いた新しい雪華花魁は、昨日まで天華と名乗っていた花魁だった。期限付きで行儀見習いとして奉公する六花は、後しばらくは年季の明けるまで、代替わりした新しい雪華花魁付きの禿となる。

「すみません……。部屋に明かりが点いていたから、もしかすると兄さんが忘れものでもして、お帰りになったのかと思いんした。」

「わっちと兄さんを間違えたんだね?……心配せずとも、兄さんだったら現の世界でも、やっていけるよ。確か上に行ったら大学に行くと言ってたはずだが、気になるかい?」

「あい。申し訳もございんせん。」

「六花は、短い間にちゃんと廓詞も覚えて、本当に頭のいい子だね。兄さんがいなくなって寂しいかい?」

今は雪華花魁を名乗る天華は、ひらひらと手を振って六花を傍に呼んだ。懐かしい脂粉の香りを胸いっぱいに嗅いだら、涙が零れそうになる。現での名前も知らなかったが、いなくなった雪華が胸が痛くなるほど恋しかった。

「雪華……兄さん……」

新しい雪華花魁は、そっと手を伸ばし六花の頭を抱いた。

「泣いてもいいんだよ……?わっちも頼りにしていた兄さんがいなくなって寂しいよ。誰かと別れた後は、いつでもこう……胸の中に冷たい風が吹くね。」

「あい……」

「わっちはね、強くて優しい兄さんに貰った物を、次の世代に渡そうと思うよ。六花、お前もそうおし。いつまでも、同じところで立ち止まっているわけにはいかないからね。」

「あい。必ず。雪華兄さん。」

「さっき、お父さんから聞いたのだが、今日から新しい禿の子が入るそうだよ。よろしく頼む。色々教えてやってくれ。」

同じ思いを抱えた二人がここにいた。
大江戸に太陽はないが、ぐるりとドーム型に張り巡らされた天井のスクリーンに、作り物の夕日が沈むのが見えた。

「さ。支度の時間だよ。行こうか。湯屋を使うから、男衆にそう言ってきておくれ。」

「あい。雪華兄さん。本日もよろしくお願いいたしんす。」

*****

やがて、大江戸での短い行儀見習いの期間が終わり、六花は楼主の前に手をついた。

ぎこちなかった対面の挨拶も、縁を踏まない畳の歩き方も、今は新参者の禿達に教えるまでになっていた。
髪結いの手で、すっきりと今風の頭になった東呉は、年齢よりもどこか大人びて見える。

「長らくお世話になりんした。お父さん……お名残惜しいことではありますけれど、六花は今日を最後に年季が明けて、花菱楼からお別れいたしんす。」

「六花。今日まで預かっていた、現(うつつ)の名前をお前に返すよ。今日からは、お前は現の澄川東呉だ。しっかりおやり。」

「……はい。」

「ここに居たことを忘れたければ、記憶を消すこともできる。どうするね?そうしたければそれでもいいんだよ。」

「いいえ。先代の雪華兄さん、初雪さん、天華……新しい雪華兄さんを忘れたくはありません。かけがえのない時間を過ごさせていただいたと思っています。最初は……とんでもないところへ放り込まれたと思って、じいちゃ……祖父に文句を言おうと思っていましたけど、今はお礼を言いたいです。お金で買えないものをたくさんいただきました。いろいろお世話になりました。」

「そうかい。わたしも楽しかったよ。どうしても水が合わなくて、現に帰しちまう子もたまにはいるからね。」

*****

「失礼いたします。東呉さま。お支度はお済みでしょうか?」

「あ、はい。」

雪見障子の向こうの影から聞き覚えのある声がした。柳川が迎えに来たらしい。

「旦那さまが、首を長くしてお待ちです。大門が開くまでに帰りましょう。」

「お迎えが見えたようです。では東呉さま、ここでのことは、終生他言無用ということで、書面に判を押していただいて、大江戸花菱楼とはお別れです。」

置かれた小柄(こづか)で指先に小さな傷を作ると、東呉は求められるまま血判を押した。
平成の世に、江戸時代に紛れ込んだような世界があることは、ごく一部のものしか知らない。
花菱楼の裏木戸をくぐり、現に戻って行く東呉の耳に、男衆の先触れの声が響いた。

「花菱楼の雪華太夫の花魁道中だよう~!」

「さぁ、寄ったり、寄ったり~~!」

*****

来た時と逆向きに長い地下道を歩きながら、東呉は、思いついて柳川に声を掛けた。

「柳川さん。おれ、いつかここに戻ってこれる?」

「それは……?花魁としてですか?客としてですか?どちらも、大変です……よ。」

「ふふっ。」

東呉の向けた笑みに、思わず柳川は目を瞠った。
禿として仕えた頃の、雪華花魁と同じ艶やかな華がそこにあった。



                   平成大江戸花魁物語 ― 完 ―




長らくお読みいただき、ありがとうございました。(〃゚∇゚〃)
明日、あとがきとおまけを書きたいと思います。 此花咲耶


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