落日の記憶 5
基尋は記憶を探った。
「花魁……?光尋お兄さまがお連れになっていた綺麗な方でしょうか。あの、前で帯を結んだ儚げな方……?」
「そうだ。ああいう席に男芸者を上げるのはどうかと思ったのだが、光尋が今生で最後になるかもしれないから逢わせてくれと、頭を下げたのでな。遊びも知らない堅物だと思っていたが、たまに大江戸へ出かけていたようだ。」
基尋はその時、酒席を離れた兄に紹介されて、雪華花魁とわずかに言葉を交わしていた。酒に酔って嬌声を上げるような芸者衆とは違う控えめな態度で、つつましく目許を赤く染めて、曇りの無い涼やかな瞳を自分に向けて微笑んでいた。
その人だけは姿も他の者と違い、戦場に赴く兄との別れを心から悲しんでいるような気がした。
その細い優しい声は、女でもなく男でもない不思議な艶を含んで、基尋は妖しく胸が騒いだのを覚えている。
*****
「基尋、ちょっとここにおいで。紹介しよう。」
「はい。光尋お兄さま。」
「お兄さまの大切な雪華だよ。僕が出征すると聞いて、会いに来てくれたんだ。」
「……雪華……さん?」
「あい。若さまには、お初に御目もじいたしんす。花菱楼の雪華太夫でありんす。此度は光尋様の御出征、真に喜ばしく日頃は日陰で暮らす身の上なれど、図々しくも一言お祝いを言いたくて馳せ参じんした。」
「初めまして。基尋です。」
「あい、お写真で存じておりんすよ。光尋様がいつもお年の離れた若さまが、可愛くてならんのだとおっしゃっておりますもの。本当に、お可愛らしいこと。」
自分はいずれ兄のように、凛々しい軍人になる。
その男子に向かっていくらなんでも可愛らしいはないだろうと、基尋は不愉快になった。
無礼な物言いに抗議をしようと思い、顔を上げたら、雪華大夫は兄の光尋をふっと見つめ、涙ぐんでいた。迸る切ない想い……
大好きな兄が何故、場違いな遊び女(男)を大切な祝賀の宴に呼んだのか、当時の基尋には理解できなかったが、その後女官たちの噂で何となく理解した。
道ならぬ恋、結ばれぬ二人、男色のお相手、最後の逢瀬……そう言う単語で現される二人は、たぶん哀しい恋をしている。父もそうと知っていて、ただ一度最後の晴れの席に呼ぶことを許したのだろう。
当時既に、長男である兄が出征しなければならないほど戦局は悪化していて、光尋が出征後帰ってくる保証はどこにもなかった。
二階の窓から広い若宮家の庭を眺めると、二人が肩を寄せ合って歩くのが見えた。誰もいない場所で軍服姿の兄が、雪華の手を曳き寄せやがて二人の姿が重なった。
二人の間の会話を、基尋は知らない。
「……お前の事を、男妾(おとこめかけ)などと陰口をたたく輩もいただろうに、こんな所まで来てくれて嬉しかったよ。」
「主さんにお会いできるなら、この身は何と罵られようとかまいんせん。主さん……例え、腕がもげても足がもげても、雪華の所にお戻りになってくんなまし。お上には叱られるでしょうけれど……決して見事に散ってはなりんせん。主さんの御身は、天子様には差し上げません。魂の欠片まで光尋様は終生、雪華のものでありんすよ。」
「そうだな。約束しよう。わたしはおまえのものだ。」
「……うれし。」
かり……と強く光尋の小指を噛んで、雪華は滲んだ血を吸った。
本日もお読みいただき、ありがとうございます。
この時代の雪華花魁は、基尋の兄上、光尋の秘密の恋人なのです。
報われない恋は、どの時代でもせつないねぇ……(´・ω・`)
「花魁……?光尋お兄さまがお連れになっていた綺麗な方でしょうか。あの、前で帯を結んだ儚げな方……?」
「そうだ。ああいう席に男芸者を上げるのはどうかと思ったのだが、光尋が今生で最後になるかもしれないから逢わせてくれと、頭を下げたのでな。遊びも知らない堅物だと思っていたが、たまに大江戸へ出かけていたようだ。」
基尋はその時、酒席を離れた兄に紹介されて、雪華花魁とわずかに言葉を交わしていた。酒に酔って嬌声を上げるような芸者衆とは違う控えめな態度で、つつましく目許を赤く染めて、曇りの無い涼やかな瞳を自分に向けて微笑んでいた。
その人だけは姿も他の者と違い、戦場に赴く兄との別れを心から悲しんでいるような気がした。
その細い優しい声は、女でもなく男でもない不思議な艶を含んで、基尋は妖しく胸が騒いだのを覚えている。
*****
「基尋、ちょっとここにおいで。紹介しよう。」
「はい。光尋お兄さま。」
「お兄さまの大切な雪華だよ。僕が出征すると聞いて、会いに来てくれたんだ。」
「……雪華……さん?」
「あい。若さまには、お初に御目もじいたしんす。花菱楼の雪華太夫でありんす。此度は光尋様の御出征、真に喜ばしく日頃は日陰で暮らす身の上なれど、図々しくも一言お祝いを言いたくて馳せ参じんした。」
「初めまして。基尋です。」
「あい、お写真で存じておりんすよ。光尋様がいつもお年の離れた若さまが、可愛くてならんのだとおっしゃっておりますもの。本当に、お可愛らしいこと。」
自分はいずれ兄のように、凛々しい軍人になる。
その男子に向かっていくらなんでも可愛らしいはないだろうと、基尋は不愉快になった。
無礼な物言いに抗議をしようと思い、顔を上げたら、雪華大夫は兄の光尋をふっと見つめ、涙ぐんでいた。迸る切ない想い……
大好きな兄が何故、場違いな遊び女(男)を大切な祝賀の宴に呼んだのか、当時の基尋には理解できなかったが、その後女官たちの噂で何となく理解した。
道ならぬ恋、結ばれぬ二人、男色のお相手、最後の逢瀬……そう言う単語で現される二人は、たぶん哀しい恋をしている。父もそうと知っていて、ただ一度最後の晴れの席に呼ぶことを許したのだろう。
当時既に、長男である兄が出征しなければならないほど戦局は悪化していて、光尋が出征後帰ってくる保証はどこにもなかった。
二階の窓から広い若宮家の庭を眺めると、二人が肩を寄せ合って歩くのが見えた。誰もいない場所で軍服姿の兄が、雪華の手を曳き寄せやがて二人の姿が重なった。
二人の間の会話を、基尋は知らない。
「……お前の事を、男妾(おとこめかけ)などと陰口をたたく輩もいただろうに、こんな所まで来てくれて嬉しかったよ。」
「主さんにお会いできるなら、この身は何と罵られようとかまいんせん。主さん……例え、腕がもげても足がもげても、雪華の所にお戻りになってくんなまし。お上には叱られるでしょうけれど……決して見事に散ってはなりんせん。主さんの御身は、天子様には差し上げません。魂の欠片まで光尋様は終生、雪華のものでありんすよ。」
「そうだな。約束しよう。わたしはおまえのものだ。」
「……うれし。」
かり……と強く光尋の小指を噛んで、雪華は滲んだ血を吸った。
本日もお読みいただき、ありがとうございます。
この時代の雪華花魁は、基尋の兄上、光尋の秘密の恋人なのです。
報われない恋は、どの時代でもせつないねぇ……(´・ω・`)
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