桃花散る里の秘め 8
やがて……こぷりと口元から水を零すと、大姫は目を開けて激しく咽た。
「姫さま!ああ、良かった。」
丸くなって激しく咳き込む姫の背を優しく撫でた。
やがて落ち着いた大姫は、ぬれねずみでしょんぼりとうつむいたまま、一言も言わない。
きっと義高が怒っていると思って顔を上げられないでいた。
付いていかないとげんまんしたのに、約束を反故にしたのを悔いていた。何より大好きな義高に嫌われるのが怖かった。
「大姫さま。苦しくはございませんか?」
「ん……」
「良かった……本当に良かった。姫さまに何かあったらと思うと、義高は血が凍る思いでした。」
「……父上に叱られるから?」
「いいえ。ご家老さまにお叱りを受けるのは構いませぬ。義高が恐れたのは……姫さまを失う事でございます。」
涙ぐんだ義高は、姫の手をきゅっと取った。
「義高は10で、親元を離れこの国に参りました。知り合いも独りも居ない心細い毎日に、明るい姫さまの存在がどれほど救いになったか分かりませぬ。義高は、姫さまを誰よりも大切に思っております。その姫さまが青い顔をして、気を失っておいでだったのです。生きた心地がいたしませんでした。」
「まあ、うれしい。義高さま。心配してくれたのね。大津も義高さまが、いっとう好き。……ああ、どうしましょう。胸の中でぽんぽんと鼓が鳴るみたい。」
「姫さま。」
二人はそっと指を絡め、いつしか頬を寄せた。抱きしめた大姫の薄い肩に、義高は胸の内で呟いた。
「姫さま。覚えていてください。義高は姫さまの為なら、いつか命を賭してご覧にいれます。」……と。
義高は丸めていた自分の着物を広げると、急ぎそっと大姫の肩に掛けた。
「さ、姫さま。濡れた着物はお身体にさわります。あちらを向いておりますから、お嫌でなければ義高の着物をお召しになってください。」
「下帯も取るの?」
事も無げに問う大姫の言葉を、思わず義高は呆けたように反芻した。
「は?下帯も取るの……?……」
「……だって、濡れてしまったんですもの。お腹が冷えまする。」
義高は濡れた着物のせいで、唇を震わせる大姫の着物の襟に手を掛けた。
「……まさか……」
「脱がせて。義高。」
がんがんと後頭部を木槌で殴られているような心持だった。
紅い着物の肩を抜くと、現れたのはまろみのない白い裸身……。ついで濡れたのは幼い男子が着ける布の少ない下帯(もっこ褌)だった。
そっと濡れた下帯の紐を解くと、薄桃色の幼い皮かむりが震えていた。
「こ、これは……驚いた。大姫は、男子(おのこ)であったのか……しかし、信じられぬ。何故、勇猛で知られた国家老様の御子が、いかなる仕儀でこのような事になっておるのか……まさか、姫はふたなりであられたか……?」
口に出来ない疑問が義高の内側で渦巻いた。
受け止めるには、事実は余りに衝撃的だった。しかも大姫には、事の重大さが余り良くわかっていない風だった。恐らく、姫としてこの10年間育った日々に、何の疑いも持たなかったのだろう。
「さ。草履が流れてしまいましたから、帰りは負ぶって差し上げます。義高の背にお乗りください。」
「ん……」
何とか着物を巻き付けおぶってやると、いつしか安心したのか背中で寝息を立てていた。
大姫の秘密と溺れたのに気を取られ、その時、義高は周囲に気を配るのを抜かっていた。
藩校で共に学ぶ友人の一人が、様子を眺めていたのに気付いていない。
「なんと……国家老の御息女には、このような秘め事が……。男子とは、願ってもない。」
見つめる一回り体の大きな少年の父は、藩でも実権を持つ剣術指南役。
義高の背に揺れる大姫は、視線の意味を何も知らなかった。
(°∇°;) 義高 「え、ええ~~~?!」
(〃゚∇゚〃) 大姫 「お腹が冷えまする。」
本日もお読みいただきありがとうございます。
さて、この男の姫のこれからは………… 此花咲耶
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