漂泊の青い玻璃 30
琉生は、父の書斎に入るのは初めてだった。
「あの……お父さん?珈琲ここでいい?目玉焼きはちょっと焦げちゃったたけど、おいしいと思うから温かいうちに食べてね。」
「ああ……そうだな。そうしよう。」
「じゃあ、ぼくは学校に行ってきます。」
「ここにいろ。」
「え……っ?」
「同じことを何度も言わせるな。ここにいろと言ったんだ。」
「駄目だよ。もうすぐ期末考査が始まるし、急がないと遅刻しちゃう……」
寺川は琉生の腕を取った。
「傍に居てくれないか……?お前が傍に居ないと、何も書けないんだ。仕事をしようと思っても、何も浮ばない……頼むから、離れないでくれ。」
「あ……の……お父さん……?」
琉生はふと澱んだ部屋の空気に気がついた。
「そうだ。お父さん、空気を入れ替えようよ。お酒と煙草の臭いが籠ってる。いくら、空気清浄機が有っても、こんなところで仕事してたら体に障るよ。ね?気分転換もしなきゃ。空気を入れ替えたら、きっと気分も変わるよ。」
明るい琉生の声に、ふと寺川は意識を外に向けた。庭の常緑樹の梢を風が揺らしていた。
「そうか……そうだな。空気を入れ替えよう……」
階下から、琉生を呼ぶ隼人の声がした。
「ちび琉生!遅刻するぞ!」
「は~い!じゃ、お父さん。片付けは(家政婦の)織田さんにしてもらって。行ってきます。」
思わず伸ばした手は、空を掴んだ。
ぱたりと閉じられた扉は、寺川を拒絶した。
それはまるで、黄泉と現世の境目にある黄泉比良坂(よもつひらさか)のように、固く生者を拒んで愛するものを彼方へと連れ去ってしまった。
寺川は開け放した窓に近寄り、階下を眺めた。
視線に気付いた琉生が、振り返って手を上げる。
何気なく思わず振り返した寺川の目に、涙が浮かぶ。
「美和……ああ……」
長い嗚咽が響いた。
網膜に焼きついた妻が、微笑む。
『弘樹さん……』
*****
土曜日、久しぶりに自宅へ戻った尊は、父の書斎の窓が開け放たれているのを見た。
母が亡くなって以来、部屋に入った者は父親以外誰もいないはずだった。
ノックをすると、中から入れと父の声がした。
机に向かう父の背中が見える。
「お父さん、尊です。ちょっといいですか?」
「ああ。」
「仕事を再開したんですか?」
「最近、やっとモノを書く気になった……。短いコラムを書いてくれないかと、発注が有ったんでな。パソコンを開くのも久し振りだ。少しは働かないと、飯が食えないから受けたんだ。大した連載じゃないが、少しは待っている読者もいるらしい。」
「そう。それは良かった。それにしても……この部屋、ずいぶんさっぱりと片付きましたね。空き瓶が転がってるとばかり思ってたのに。お母さん以外に触らせるのは、あれほど嫌がっていたのに、思い切って業者でも入れた?」
「業者なんぞ入れられるか。勝手にあちこち触られたら、資料が散在するからな。美和なら、どこに何があるか分かっているから、大丈夫だ。」
「お父さん……?美和って……」
「まあ、いろいろ不慣れで、必要なものを時々捨てたりもするが、そのうち慣れるだろう。」
「ちょっと待ってください、お父さん。誰の事です?この部屋を掃除したのは誰なんです?」
一瞬、寺川は顔を歪め視線を泳がせた。
尊は思わず、父を見つめた。
本日もお読みいただきありがとうございます。 (`・ω・´)
じわじわ浸食されてゆく、父の内面です。
……琉生はどうなるのかな……(´・ω・`)
エチ場面もなく……甘い場面もなく……キスシーンもなく……[壁]ω・) いいのか、これで……と思いながらお話は進んでいくのです。(〃^∇^)ノ
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