漂泊の青い玻璃 72
渋谷は、ついに退職の日を迎えた。
「渋さん。おめでとうございます。」
「野郎に祝われても、嬉しくねぇ。」
そう言いながら、花束を抱える渋谷は照れ臭そうだった。
「渋さん、一言下さいよ。」
「逃げるのは、なしですよ。」
「そういうのは、苦手だって言っているだろうが。」
「はい、渋さんの挨拶に拍手~!ほら、明日っからいなくなるってんで、泣いているやつもいますよ。」
「この野郎、本気で嬉し泣きだな。」
「違いますよう。渋さん~。僕、寂しいんですよう。うわ~ん。」
「げっ。離れろ、柳。鼻水がつく。」
「あはは……」
気の合った仲間数人だけの、小さな送別会だった。
同期の署長も参加する大掛かりな飲み会を計画していたが、堅苦しいのは嫌だと断られ結局、数人だけで居酒屋に繰り出した。
「あれ?やっぱり刑事さんだ。」
声を掛けられた渋谷の方が驚いた。
琉生がバイトする居酒屋に、知らずに渋谷が来た格好だった。
「え~!?渋さん。宗旨替え?ショック~。」
「ばか野郎。そんなんじゃねぇよ。ほら、例の俺が追っていた……」
自殺として片付いたライターの事件の関係者だと小さな声で教えた。
琉生にも同じように、仕事仲間でね、と目くばせする。
「その節は色々、お世話になりました。」
「いや。こちらこそ、用もないのに度々お邪魔して、すみません。」
「退職のお祝いなんです。」
「そうですか。ゆっくり楽しんでくださいね。じゃ……」
*****
琉生が去ると同時に、その場に居た渋谷の仲間は話を聞きたがった。
「綺麗な坊やだなぁ。あの子が、渋さんの言ってた引っかかるって奴ですか?」
「まあ、な。自宅の近くに、絵を描く場所を借りていたんだが、持家だし家は広いしその必要性が無い気がしてなぁ。だが、どこをつついても何も出てこなかったんだ。家族はなさぬ仲の弟を……さっきの坊やなんだが、ずいぶん大事にしているようなんだ。」
「まあ。甘やかしたいような可愛い子ではありますね。学生でしょ?」
「ああ。美大に入ったばかりらしい。優秀で高校の時から大きな賞を獲っていて、将来有望という事だ。」
「だったら、普通に考えてアトリエ位持たせてやりたいと思いますよ。僕も油絵かじったことありますけど、カンバスを立てる場所が要りますからね。」
「らしいな。」
「で、調べた結果はシロだったんでしょう?」
「まぁな。アリバイもきっちりある。この店でバイト中だったんだよ。せめて害者の検死を監察医がやっていたら、何か出たかもしれないんだが所轄の警察官が見たんでどうしようもない。事件は幕引きだ。」
「写真は?検死なら写真があるでしょう?」
「形ばかりのものが数枚あったが、どうしようもない。まあ、俺の最後の事件だから、そんなもんだろ。良い幕引きだよ。」
ビールが行きわたって、一先ず乾杯をした。
渋谷はほっと息を吐く。
これでもう家に帰れない日々が続く生活も、終わりだ。
再就職は考えず、しばらくは妻とゆっくりとしよう。
渋谷は、久しぶりにうまい酒を飲んだ。
引退した渋谷には、もう何の権限もない。酩酊するほど酒を飲むのも久しぶりだった。
「刑事さん。」
仲間と別れ、帰ろうとした時、青い影が追って来た。街燈の下で、やっと琉生だと気づく。
「あの……これ。店の売り物なので、余り上等なものではないんですけど、退職されるって聞いたので、ぼくからお祝いです。本当にささやかですけど。」
「え?これはまた……。」
思いがけず包みを受け取って、渋谷はその場に呆然と立っていた。
気の利いた事を言わなければならないのだろうが、思わず不躾に琉生をじっと見つめた。
寺川が守りたかったのは、おそらくこのほっそりと優しげな青年だ。
糸口をつかむ事は、退職前にはでき無かったが、最後と思い寺川はカマをかけた。
本日もお読みいただきありがとうございます。(〃゚∇゚〃)
予定では、あと一話くらいで終わりです。お付き合いくださればうれしいです。
「渋さん。おめでとうございます。」
「野郎に祝われても、嬉しくねぇ。」
そう言いながら、花束を抱える渋谷は照れ臭そうだった。
「渋さん、一言下さいよ。」
「逃げるのは、なしですよ。」
「そういうのは、苦手だって言っているだろうが。」
「はい、渋さんの挨拶に拍手~!ほら、明日っからいなくなるってんで、泣いているやつもいますよ。」
「この野郎、本気で嬉し泣きだな。」
「違いますよう。渋さん~。僕、寂しいんですよう。うわ~ん。」
「げっ。離れろ、柳。鼻水がつく。」
「あはは……」
気の合った仲間数人だけの、小さな送別会だった。
同期の署長も参加する大掛かりな飲み会を計画していたが、堅苦しいのは嫌だと断られ結局、数人だけで居酒屋に繰り出した。
「あれ?やっぱり刑事さんだ。」
声を掛けられた渋谷の方が驚いた。
琉生がバイトする居酒屋に、知らずに渋谷が来た格好だった。
「え~!?渋さん。宗旨替え?ショック~。」
「ばか野郎。そんなんじゃねぇよ。ほら、例の俺が追っていた……」
自殺として片付いたライターの事件の関係者だと小さな声で教えた。
琉生にも同じように、仕事仲間でね、と目くばせする。
「その節は色々、お世話になりました。」
「いや。こちらこそ、用もないのに度々お邪魔して、すみません。」
「退職のお祝いなんです。」
「そうですか。ゆっくり楽しんでくださいね。じゃ……」
*****
琉生が去ると同時に、その場に居た渋谷の仲間は話を聞きたがった。
「綺麗な坊やだなぁ。あの子が、渋さんの言ってた引っかかるって奴ですか?」
「まあ、な。自宅の近くに、絵を描く場所を借りていたんだが、持家だし家は広いしその必要性が無い気がしてなぁ。だが、どこをつついても何も出てこなかったんだ。家族はなさぬ仲の弟を……さっきの坊やなんだが、ずいぶん大事にしているようなんだ。」
「まあ。甘やかしたいような可愛い子ではありますね。学生でしょ?」
「ああ。美大に入ったばかりらしい。優秀で高校の時から大きな賞を獲っていて、将来有望という事だ。」
「だったら、普通に考えてアトリエ位持たせてやりたいと思いますよ。僕も油絵かじったことありますけど、カンバスを立てる場所が要りますからね。」
「らしいな。」
「で、調べた結果はシロだったんでしょう?」
「まぁな。アリバイもきっちりある。この店でバイト中だったんだよ。せめて害者の検死を監察医がやっていたら、何か出たかもしれないんだが所轄の警察官が見たんでどうしようもない。事件は幕引きだ。」
「写真は?検死なら写真があるでしょう?」
「形ばかりのものが数枚あったが、どうしようもない。まあ、俺の最後の事件だから、そんなもんだろ。良い幕引きだよ。」
ビールが行きわたって、一先ず乾杯をした。
渋谷はほっと息を吐く。
これでもう家に帰れない日々が続く生活も、終わりだ。
再就職は考えず、しばらくは妻とゆっくりとしよう。
渋谷は、久しぶりにうまい酒を飲んだ。
引退した渋谷には、もう何の権限もない。酩酊するほど酒を飲むのも久しぶりだった。
「刑事さん。」
仲間と別れ、帰ろうとした時、青い影が追って来た。街燈の下で、やっと琉生だと気づく。
「あの……これ。店の売り物なので、余り上等なものではないんですけど、退職されるって聞いたので、ぼくからお祝いです。本当にささやかですけど。」
「え?これはまた……。」
思いがけず包みを受け取って、渋谷はその場に呆然と立っていた。
気の利いた事を言わなければならないのだろうが、思わず不躾に琉生をじっと見つめた。
寺川が守りたかったのは、おそらくこのほっそりと優しげな青年だ。
糸口をつかむ事は、退職前にはでき無かったが、最後と思い寺川はカマをかけた。
本日もお読みいただきありがとうございます。(〃゚∇゚〃)
予定では、あと一話くらいで終わりです。お付き合いくださればうれしいです。
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