漂泊の青い玻璃 73 【最終話】とあとがき・追記など
「琉生さん。ところで、上のお兄さんの尊さんは、もうアメリカに行かれたんですか?」
「はい。この前、刑事さんが家にお見えになった数日後に、出立しました。」
「やっと皆さんに日常が戻って来た、という感じですか。琉生さんも、気持ちが楽になりましたね。尊さんが傍にいなくなったのは、お寂しいでしょうが、あなたには好きな絵もあるし。」
「ええ。やっと落ち着いて絵に打ち込めるから、嬉しいです。」
「お父さんの事で、落ち着きませんでしたからな。尊さんもとても心配していましたよ。」
「そうですか。」
琉生は尊が馴染みになった刑事に、何か話をしたのだろうと思った。
「刑事さん。兄はいませんけど、時々はコーヒー飲みに来てくださいね。真ん中の兄も、時々は帰って来ますから。」
「ありがとうございます。是非。……そう言えば、尊さんが言ってた言葉があるんですが、琉生さんは意味をご存知ですかな。」
「なんですか?兄は時々、ぼくなんかには理解できないような、難しいことを言い出すんです。刑事さんにも何か変なことを言いましたか?」
「哲学者のニーチェの言葉だとおっしゃっていました。ご存知ですか?確か……怪物と戦う者は、その際自分が怪物にならぬように気をつけるがいい。長い間、深淵をのぞきこんでいると、深淵もまた、君をのぞきこむ……不思議な言葉だったので、覚えてしまいました。」
琉生は静かに前を見ていた。渋谷に琉生の表情は分からない。
「……その言葉は、兄から聞いた事が有ります。ニーチェ……精神を病んだ哲学者ですよね。ぼくもよくわからなくて、どういう意味なんだと兄に聞きました。アメリカに発つ前ですから、刑事さんと同じ頃に聞いたのかもしれません。」
「そうですか。お兄さんは何と?琉生さんには分かりましたか?」
「ふふっ……残念ながら、ぼくには兄の言ってることは、難しすぎて殆ど分りませんでした。困難な事を達成しようとしている時は、自分がそれに試されているんだとか、言っていたような気がするけど……。兄は何かを例えているのだと思いますけど……ぼくにはわかりません。」
「困難に試されている……そうおっしゃったんですか。」
「刑事さん?」
「ああ、そうか。そうだったのか。やはり……」
渋谷には突然、尊の言葉が、何を示すのかわかってしまった。
自分の刑事の勘が、最初に尊の守りたいものがこの青年であると気づいた時に、尊に話を振るべきだったのかもしれない。事件の根底に流れているものは、渋谷に想像もつかないものだった。
「お兄さんは、あなたを愛しているんですね。」
「愛?それは……兄弟ですから、当然だと思いますけど?」
「いえ、それだけではない気がします。お兄さんは、誰よりも……何よりも、どんなことが有っても琉生さんを万難から守ると言う決意をしていたんですよ。あなたを守る怪物は尊さんの心の中にいた。深淵もまたしかりです。もうすべては終わりましたし、お兄さんの心の中まで覗くことはできませんが……アメリカに行く前に、もっと話をしてみたかったですな。」
「兄は……小さなころから、何時でもぼくの味方でした。もし兄が、ぼくを守るために何かをしたというのでしたら、ぼくはいつも正しい兄に感謝するだけです。兄が怪物になるというのなら……一緒に怪物になります。ぼくも、兄が大好きですから。」
病み衰えていた寺川が、琉生の部屋でこと切れた事実に、警察はたどり着けなかった。
琉生の手で葬られたのか、それともたまたまその場で心臓が止まってしまったのか、今となっては渋谷にも琉生にも知るすべはない。
遺体はとうに荼毘に付されていたし、琉生の記憶は曖昧だった。
兄に全幅の信頼を寄せる琉生に、渋谷はそれ以上掛ける言葉を失った。
「じゃ、わたしはこの辺で。」
「さようなら。刑事さん。」
渋谷は、別れを口にすると自宅へと向かった。
もう退職してしまった自分には、今更、尊の言葉の裏にある真実に気付いたからと言って、何もできない。
どれほど探っても、証拠は何一つとして出てこなかったのだから。
渋谷が脳内で構築した尊の行動は、ほとんど的を得ていたが、尊の手で深淵に沈められた事実は二度と浮き上がる事は無い。
明晰な頭脳を持った秀麗な顔の怪物は、きっと死んでも秘密を守るのだろう。
その深い愛ゆえに。
*****
それから何年か経って、絵で飯を食うという琉生の夢はかなった。
展覧会での入選を期に、銀座にある画廊が、琉生の絵を買い取ってくれる事になった。
しばらくは、美術教師を続けながら心象風景を描いて行こうと思いますと、琉生は晴れ晴れとした顔で挨拶をした。
華やかな授賞式には、尊も隼人も参列した。
「おめでとう。琉生くん。これね、先生からお祝いを預かって来たの。いいものよ。」
「なんですか……?あっ!」
「お父さん……絵だ。」
祝いに駆け付けた看護師が、琉生の父親の絵を持参してくれて琉生はその場で絵を抱きしめて嗚咽した。
「絵を買った先生がね、この絵はきっと琉生くんの傍に居たいだろうから……って。今まで、よく頑張ったからご褒美ですって。」
「ありがとう……ございます。嬉しいです。」
*****
筆が止まった時、アトリエに入って来る季節の風を頬に感じて、ふと琉生は思い返すことが有る。
幼い頃、無償で愛してくれた両親の事、縁あって家族になった寺川家の人たちの事。
誰もが皆、自分を愛してくれた。
沢山の手が、自分を支えてくれる。
琉生はいつも描く絵のどこかに青い絵の具を使った。
父の残した絵の中に使われていた青い硝子玉は、常に琉生の絵の中にも配置された。
いつかぱちんと弾けてしまう日が来るまで、幼児の追う青い玻璃は、どこまでも琉生の絵の中で漂泊を続ける。
薄いサボンの膜に、犯した罪を閉じ込めて。
「おいで。琉生。」
後から抱えられて、空を掻く両足がもどかしく揺れた。
「尊兄ちゃん……隼人兄ちゃん……もっと……」
背後から優しく琉生の中心を弄る尊の舌が、首筋を這うと印をつけた。
「琉生の汗は甘いな。」
「ちび琉生、ほら……舐めてやるから、足開け。」
「ん……っ。」
太腿を撫でていた手が、くんと勃ちあがったセクスを乱暴に握り込むと、一瞬驚いたように見開いた琉生の双眸が、隼人の表情をこわごわ確かめた。
「優しくして……だろ?」
「……あっ……」
「仕方がない。二人でうんと甘やかしてやるよ。兄貴が帰ってきたの久しぶりだもんな。」
「うん……」
兄の腕の中で喘いだ愛すべき怪物は、最上の微笑みを向けた。
本日もお読みいただきありがとうございます。(〃゚∇゚〃)
【あとがき】
なんとか、着地できました。
思ったよりも長い作品になりました。
「ただいま、琉生」(。´・ω`)ノ(つд・`。)・゚「尊兄ちゃん~、おかえり~」
寺川の死因はやぶの中ですが、たぶんもう寿命であったと思いたいです。
それでも、愛する弟が父を手にかけてしまったのを見たとき、尊の中では一つの決意が生まれました。
どんなことをしても、琉生を守る……尊はきっとすべてを背負って何も言わずに生きて行くのだと思います。隼人もおそらく迷わずに同じ行動をとったはずです。
ただ一つ。
パソコン内に残された父の遺書は、拾えていない伏線なのですが、挫折しました。父の作ったアニメの中の台詞をつづった不自然さに、隼人辺りが気付くはずだったんですが……(´・ω・`) あまりに長いと中だるみしちゃうから……
長らくお読みいただきありがとうございました。
たくさんのコメント、感想、拍手をいただきうれしかったです。では、また。(〃゚∇゚〃)
【追記】
このお話を書きながら、参考書としてFBI 心理分析官の本など読みました。
プロファイラーが分析したら、尊の隠した真実などあっという間に白日の下にさらされるような気がします。
他にも八墓村の素材となった昔の殺人事件など、同一事件でも殺人犯の心理は想像する人によって違うものになっていて、なかなか興味深かったです。
紙一重で踏みとどまるかどうかは、想像力のあるなしのような気がします。(〃ー〃)
二話分まとめてあげたら、すごく長いね~[壁]ω・)チラッ……分けて読んでください。
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