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波濤を越えて 第二章 20 

日曜日。

田神は正樹の部屋を片付けて、自分の勤務先へマルスの胸像を運ぶ手はずを整えた。
本当のところ、小学校の美術室にはデッサン用の胸像は必要なかったが、処分しかねている話をすると二つ返事で引き受けてくれた。
正樹は名残惜しそうに、最後にマルスを抱きしめた。

「ずっと最後まで一緒に居たかったんだけど、お別れだね……さよなら。これまでありがとう……」

小さくつぶやいた言葉は田神の耳には届かなかったが、マルスには届いただろう。
田神を除けば、胸像はもう一人の親友と言ってもよかった。
正樹のすべてを理解し、正樹の悲しみも喜びもすべて傍で見ていた。

「田神。お願いします」
「もういいのか?」
「うん……とうとう僕のマルスは最後まで人間にはならなかった。僕はピュグマリオンになり損ねたね」
「何も人形に恋しなくてもいいだろ?」
「ふふっ……そうだね」

マルスを田神に預けた後、正樹は父の薦める大学病院へ転院することになっていた。
大学病院に、家族が探してきた医師がいると告げると、主治医は何故かほっとしたように笑みを浮かべた。

「良かった。ご両親が君の事を考えてくれたんだね。是非、そうしなさい」
「先生にはいろいろお世話になったし、病院も探してくれていると、両親に伝えたんですが……すみません」
「私に気を遣う事なんてない。正直言うと、私はね、小康状態の君を一人ホスピスに転院させるのはどうかと思っていたんだ。ご家族が傍に居て、相良君が少しでも希望を持って闘病出来たら、それにこしたことはない……と思うよ。今の状態が続くよう、相良君も頑張って。私も紹介状にきちんと書いておくから」
「……はい。」

正樹は頭を下げた。

画集などは、すべて近くの図書館に寄贈する。僅かな家財は、大家に処分してくれるように頼み、食器類は破棄することにした。
正樹の手元に残ったのは、衣類を除くと一冊のスケッチブックと、小さな灰青色のミルクピッチャーだけだった。

「行こうか。……何?それ」
「うん……これはねドイツの焼き物。あの……前に貰ったんだ……」
「そう。大切なものなんだね」

田神には誰から貰ったのか、すぐにわかった。
手のひらに大切に握りしめて、スーツケースを押して部屋を出る。
車に乗り込もうとして、足が止まった。

「う……そ……」
「正樹!」

正樹の名を呼びながら、必死に走ってきた大柄な外国人は、見慣れた大きなデイバッグを背負っていた。



本日もお読みいただきありがとうございます。
もしかして……(´;ω;`)……


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