波濤を越えて 第二章 18
もう何年も会っていなかった父は、白髪が増えずいぶん年を取ったように見えた。
「院長に、転院させるよう話をして来た」
「え……っ?」
「大学病院に専門医がいるそうだ。義兄さんが便宜を図ってくれたから、明日にでも移れるように支度をしておきなさい。朝のうちに、迎えを寄越すから」
有無を言わさない強い口調に、思わず口ごもる。
「あの……まだ住んでいたアパートも片付いていないんだ。それに、いずれ転院は必要だけど、病院は主治医の先生が知り合いに聞いてくれるって言ってたんだ。先生の顔を潰すことになったら申し訳ないから、先に話をしないと……」
「開業医の顔など、潰れても構わんだろう」
「そんなわけにはいかないよ」
「きちんとした治療も受けないで、親よりも先に死のうというのか。この親不孝者が」
「あなた……そんな言い方はやめて」
どうやら話から推測するに、誰かに正樹が入院している話を聞いたようだった。以前にも、母の友人という人が、耳に入れた話を聞いたし、もしかすると祖母かもしれない。
立ち尽くす田神は、無言で正樹の両親を睨みつけていた。責める視線に気づいた父親が、露骨に不愉快そうな顔を向けた。
「なんだ、君は」
「……田神と言います。正樹の友人です。正樹の話を聞いてやってください。お願いします」
「お前は……正樹のなんだ……。お前が正樹を、妙な道に引きずり込んだのか」
田神に向かって吐き捨てた心無い一言に、正樹の顔が強張る。
「お父さん……。田神は僕の大事な友達だよ。心配してきてくれたんだ」
「あなた……今日は転院の話をするために来たんでしょう。正樹を責めるようなことは言わないって決めたじゃありませんか……」
「田神は僕の事を何もかも知っているよ。それでも支えてくれたんだ。僕が一番苦しい時、傍に居て支えてくれたのは田神だけだ」
そう言われて、父親はさすがに言葉が過ぎたと気づいたようだ。
「ともかく……。義兄さんがせっかく、病院を手配してくれたんだ。そのつもりでいなさい。義兄さんの顔を潰すようなことだけはするな」
謝罪の言葉もないが、これがいつだって自分だけが正しいと信じている父親の、精一杯の譲歩なのだろう。
道を踏み外したとしか思えない息子が病気だと聞き、父親としてはせめて最善を尽くそうとしているのかもしれない。
しばらく離れていた正樹には、不器用な父親の気持ちがわかるような気がした。
もしかすると、自分の性格は父親の方に似ているのかもしれない。
「……心配してくれてありがとう、お父さん。後で、叔父さんにもお礼の電話をかけるね。だけど、お世話になっている先生に話だけはさせてください。なるべく早く転院できるようにするから」
「わかった。できるだけ早く連絡をしてきなさい。」
「……はい」
やっと納得して、父親は病室を出て行った。
本日もお読みいただきありがとうございます。
「院長に、転院させるよう話をして来た」
「え……っ?」
「大学病院に専門医がいるそうだ。義兄さんが便宜を図ってくれたから、明日にでも移れるように支度をしておきなさい。朝のうちに、迎えを寄越すから」
有無を言わさない強い口調に、思わず口ごもる。
「あの……まだ住んでいたアパートも片付いていないんだ。それに、いずれ転院は必要だけど、病院は主治医の先生が知り合いに聞いてくれるって言ってたんだ。先生の顔を潰すことになったら申し訳ないから、先に話をしないと……」
「開業医の顔など、潰れても構わんだろう」
「そんなわけにはいかないよ」
「きちんとした治療も受けないで、親よりも先に死のうというのか。この親不孝者が」
「あなた……そんな言い方はやめて」
どうやら話から推測するに、誰かに正樹が入院している話を聞いたようだった。以前にも、母の友人という人が、耳に入れた話を聞いたし、もしかすると祖母かもしれない。
立ち尽くす田神は、無言で正樹の両親を睨みつけていた。責める視線に気づいた父親が、露骨に不愉快そうな顔を向けた。
「なんだ、君は」
「……田神と言います。正樹の友人です。正樹の話を聞いてやってください。お願いします」
「お前は……正樹のなんだ……。お前が正樹を、妙な道に引きずり込んだのか」
田神に向かって吐き捨てた心無い一言に、正樹の顔が強張る。
「お父さん……。田神は僕の大事な友達だよ。心配してきてくれたんだ」
「あなた……今日は転院の話をするために来たんでしょう。正樹を責めるようなことは言わないって決めたじゃありませんか……」
「田神は僕の事を何もかも知っているよ。それでも支えてくれたんだ。僕が一番苦しい時、傍に居て支えてくれたのは田神だけだ」
そう言われて、父親はさすがに言葉が過ぎたと気づいたようだ。
「ともかく……。義兄さんがせっかく、病院を手配してくれたんだ。そのつもりでいなさい。義兄さんの顔を潰すようなことだけはするな」
謝罪の言葉もないが、これがいつだって自分だけが正しいと信じている父親の、精一杯の譲歩なのだろう。
道を踏み外したとしか思えない息子が病気だと聞き、父親としてはせめて最善を尽くそうとしているのかもしれない。
しばらく離れていた正樹には、不器用な父親の気持ちがわかるような気がした。
もしかすると、自分の性格は父親の方に似ているのかもしれない。
「……心配してくれてありがとう、お父さん。後で、叔父さんにもお礼の電話をかけるね。だけど、お世話になっている先生に話だけはさせてください。なるべく早く転院できるようにするから」
「わかった。できるだけ早く連絡をしてきなさい。」
「……はい」
やっと納得して、父親は病室を出て行った。
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