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波濤を越えて 第二章 15 

楽しい時間の後ほど、独りになると寂しさは募る。
宴席から大部屋の入り口の自分のベッドに戻った正樹は、静かに病院の借り物のパジャマに着替えた。同室の患者たちは、すでに就寝しているようで、寝息だけが聞こえてくる。
明日は手術だったが、誰にも告げていなかった。
誰にも言わずに、明日を迎えると決めていた。

「相良さん。体調はいかがですか?」

朝方、覗いた担当看護師の問いかけに、変わりはないですと答えた。
医師の説明も、結局自分一人で聞いた。
母親に来てくれと言おうかとも思ったが、不出来な息子は遠くにいるとでも思ってくれた方がいい。検査入院をすると告げたから、きっと何ともなかったという報告だけを待っているだろう。
悲しませることはないと思った。

翌日、正樹の手術は行われた。
結局、開腹したものの、医師の想像通り手の施しようがなくて、病巣の摘出は行われなかった。
麻酔から覚めた時、医師は気の毒そうに顔を曇らせて告げた。

「残念だけど、これからは、進行を遅らせるのがメインの治療になるね……」
「はい」
「ご家族にも伝えなかったようだけど、手術の経緯や症状の説明もしなくていいんだね?」
「構いません」
「そう……」

正樹は頷いた。

「それとね、しばらくはこの病院に入院できるけど、治療に効果がなくなったら転院してもらうことになると思うから。そこだけは考えて置いて。三か月をめどに、最終医療のできる病院を探した方がいいと思うんだ。心当たりはある?」
「……いえ……できれば先生にお願いしたいです」

それは最期を迎えるホスピスの話だろうか。

「わかったよ。後輩が務めている病院を当たってみようかな……ん、それじゃ今日は、部屋に戻っていいよ」
「はい。よろしくお願いします」

病室に帰る途中、窓から見える風景は、何もかも灰色だ。
ガラス越しに見る粉雪も、遠くの山裾も濁った薄墨色に染まって重苦しかった。
灯りのない道を、手探りで歩いているような気がする。

二週間が過ぎて、正樹は美術館に退職届を投函した。
全てが終ったような気がしていた。
小康状態の今、退院して自分のしたいことはないか自問したが、そこに答はなかった。
時折携帯電話に、ドイツからのメール着信がある。

「フリッツ……」

分からないドイツ語を眺めているだけで、涙がこぼれそうになる。

やがて正樹は携帯の電源を落とした。



本日もお読みいただきありがとうございます。
季節は冬になっています……


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