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波濤を越えて 第二章 16 

仕事帰りに、毎日友人の田神が顔を出してくれたが、新婚なんだから早く家に帰れと、正樹は背中を向けた。
背後から田神が食い下がって声をかける。

「正樹……。ちゃんと飯は食っているのか?」
「食べてるよ。心配性だなぁ」
「……なら、いいけど」

こみ上げる吐き気で、食事はなかなか喉を通ってくれなかった。

「そうだ。田神。聞きたいことがあるんだけど……」

思いついたように、正樹が体の向きを変えた。

「何?」
「田神の学校の美術室に、僕のマルスを置いてくれないか?」
「部屋にある石膏像か?」
「うん……」
「あれは正樹には、すごく大事なものなんだろう?」
「そうだよ。捨てられないから、貰ってほしいんだ」
「校長に話しておくよ。多分大丈夫だと思う」
「頼むね。もうアパートは引き払うつもりでいるんだ。外出許可を貰って、部屋の荷物を片付けようと思っている」
「それなら手伝うよ」
「いいよ。荷物と言っても、衣類が少しと美術の本があるぐらいだから。運送会社に処分してもらう」
「処分って……それから実家に行くのか?」
「ううん。多分転院することになると思う」

まるで生きてきた痕跡をすべて消そうとでもいうような正樹の態度に、田神は苛立ちを覚えたがどうしようもなかった。
何もかも諦めたように、正樹は儚く微笑む。
その場から、消え失せてしまうように……

「正樹!」
「……どうしたの、田神?大きな声を上げて……?……痛いよ……」

思わず腕を掴んだ田神に、正樹は目を丸くした。

「あ……ごめん。つい。……何だか、正樹が消えそうな気がして」
「変な田神……僕はここにいるじゃないか」

掴んだ腕の余りの細さに、田神はベッドの端に顔を伏せて、とうとう我慢しきれず嗚咽した。
正樹を失いそうで、怖かった。

「いるけど……正樹は諦めてばかりじゃないか……。俺にくらい、辛いって言えよ。本心をぶちまけてみろよ……」
「なんだよ。……田神の方が子供みたいじゃないか。病気になったのは僕の方なのに、なんで田神が泣くかなぁ……?」
「うるさい。正樹が泣かないから、代わりに泣いてやってんだろっ!ううーーーーっ!」
「田神……ありがと。僕は世界で一番いい親友を持ってるね」
「正樹……」
「本当はね……毎日泣いたんだよ。僕はそんなに強くないよ。涙も枯れてしまったんだと思う。もう少しで美術館に就職できるところだったんだ。ずっと……夢だったんだよ」

独りで泣いたのかと……田神はじっと正樹を見つめた。




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