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波濤を越えて 第二章 19 

正樹は小さくため息をつき、田神に困ったような顔を向けた。

「ごめんね、田神。父が失礼なことを言って……何年たっても、あの人は相変わらずだ」
「気にしてないよ。正樹が謝ることなんてない。多少ずれているところはあるけど、親父さんなりに心配しているのは、俺にだってわかる」
「そうだね。父の横暴さには辟易してきたけど、離れてみるとそうやって頑なに生きるしかなかったのかなって思うよ。会社人間だから、常識の枠を外れるのが一番怖いのに、一人息子は見事に枠からはみ出てしまったし。僕は本当に、親不孝者だ」

正樹は自嘲気味に揶揄した。その顔色は良くない。

「正樹……疲れたんじゃないのか?話はもういいから、横になったほうがいい」
「うん……そうする。さすがに、久々の親子対面はちょっとハードだったよ……」

ベッドに丸くなった正樹の布団を掛け直してやりながら、何気なく田神は問うた。

「この間から携帯に電話しても通じないんだけど、もしかして電源落してる?」
「あ……うん。病院内は携帯禁止だから。それに仕事を辞めてしまったら、これといって携帯を使う用もないんだ」
「そうか。じゃあ暇を見てアパートの片付けに行くから、合鍵預かってもいいかな」
「ありがと。日曜日に外出許可を貰うつもりでいるから……。マルスの事だけ頼むね」
「わかった。上に話をしておくよ」

片手を上げて、田神はいつも通り病室を出た。

正樹の携帯の電源は、いつからオフになっていたのだろう。
少し前まで、ドイツに帰ったフリッツから、会いたいってメールが届くんだと嬉しそうに話をしていたのに……。

フリッツの話題が出なくなったのは、入院する少し前くらいからだったように思う。
何もかも諦めて、一方的にすべてを終りにするつもりなのだろうか。
病状についても一切語らないが、時折胃のあたりを抑えて苦しそうにしているのを毎日見舞いに来る田神は知っていた。
青ざめて見える顔色も、どこか黄色味を帯びているのは黄疸のせいではないか。

顔を見せるたび、必死に明るくふるまっているが、決して楽観できる状態ではないと、田神は理解していた。
アパートを引き払い、存在した恋の痕跡もすべて消して……正樹はどこにもいなくなる。

「意地っ張り。ばか正樹」

じわりと熱くなった目元を擦って、田神は自分の携帯を見た。
待ち人からの返信は来ない。




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