波濤を越えて 第二章 28 【最終話】
フリッツが心配するほど、島での正樹は精力的に働いた。
好きなことが仕事になる楽しさに、夢中だった。
「正樹。荷造りは終わりましたか?」
「うん。お母さんが、湯飲みの新しいのができたら送って欲しいって言ってたから、これも一緒に送ってくれる?」
「勿論。明日のフェリーで送ってもらいます」
「何か、荷物の量が増えてゆくね」
二人で作った日曜雑器は、ドイツや雑貨屋に送るだけではなく、両親の知り合いからも頼まれて、少しずつ売り上げを伸ばしていた。
一度使えば気に入って、他のものも欲しくなるんだと、田神からもメールが来ていた。
合間を見つけては沢山のデザインの下書きを片手に、懸命に絵筆を走らせる正樹の手を止めさせるのに、フリッツは毎日苦労していた。
「少し休みましょう、可愛い正樹。……疲れているでしょう?」
「平気だよ、フリッツ。休みたくないんだ。それに新しい絵を早く描き留めないと、デザインが頭の中から溢れそうなんだよ。だから、もう少しだけ」
「そんなに根をつめて、具合が悪くなったらどうするんですか。今日はもう仕事をしてはいけません。正樹に何かあったら、ご両親が心配します。わたしも心配です」
「……わかった。一息入れるよ……」
「お茶にしましょう」
フリッツは香りのよい日本茶を淹れて、正樹の傍に置いた。
「コーヒーの方が好きなんだけど……」
「刺激物は止めておきましょう」
ふわりと零れるように微笑んで、正樹はフリッツの頬に手を伸ばした。
「専属の看護師がいるみたいだね」
「ええ。可愛い正樹の専属の看護師は、言いつけを守らない患者にはとても厳しいです」
「いつだって、甘やかしてばかりのくせに」
陽が落ちるのを認めて、正樹は窓際にフリッツを誘った。
「ほら。夕陽が落ちるよ、フリッツ。良い眺めだね。素晴らしい景色だ」
揃って眺める夕方の瀬戸内の凪は、そよとも風が吹かず、海はまるで金色の盆のように眩い夕陽を映していた。
「海全体が大きな鏡のようです。この時間の海は、ここから眺めていると、まるで歩いて渡れるような気がします」
「波もほとんどないね……ねぇ、フリッツ。この海もドイツに通じているかな」
「バルト海に?」
「僕はいつか海に還るんだ……だからフリッツがドイツに帰っても、海がつながっているなら寂しくないね」
「正樹……」
フリッツの声は震えていた。
「そんな話はしたくありません……」
「僕はフリッツに逢いに行くよ。万里の波濤を越えて、波頭の上を歩いてゆくんだ。きっと気が遠くなるほど遠いだろうけど、フリッツが待っているから、大丈夫……世界中の誰よりも愛してるよ、フリッツ……僕のマルス」
二人は互いの存在を確かめるように、互いを引き寄せるとキスを交わした。
「フリッツ……きついよ」
消えてなくなりそうな正樹の身体を、フリッツは強く抱きしめた。太い腕で胸の中に拘束された正樹が喘ぐ。
「可愛い正樹……わたしもいつか海に還ります。それは正樹よりも先か後かわかりません。でも、正樹とわたしは巡り合えます。この広い地球上で奇跡のように出会ったのですから」
「うん、そうだね」
金色の夕陽に祝福された二人の影は、やがて一つになった。
波濤を越えて……いつか巡り合うまで、互いを忘れないように。
【 完 】
本日もお読みいただきありがとうございます。
やっと着地できました。
好きなことが仕事になる楽しさに、夢中だった。
「正樹。荷造りは終わりましたか?」
「うん。お母さんが、湯飲みの新しいのができたら送って欲しいって言ってたから、これも一緒に送ってくれる?」
「勿論。明日のフェリーで送ってもらいます」
「何か、荷物の量が増えてゆくね」
二人で作った日曜雑器は、ドイツや雑貨屋に送るだけではなく、両親の知り合いからも頼まれて、少しずつ売り上げを伸ばしていた。
一度使えば気に入って、他のものも欲しくなるんだと、田神からもメールが来ていた。
合間を見つけては沢山のデザインの下書きを片手に、懸命に絵筆を走らせる正樹の手を止めさせるのに、フリッツは毎日苦労していた。
「少し休みましょう、可愛い正樹。……疲れているでしょう?」
「平気だよ、フリッツ。休みたくないんだ。それに新しい絵を早く描き留めないと、デザインが頭の中から溢れそうなんだよ。だから、もう少しだけ」
「そんなに根をつめて、具合が悪くなったらどうするんですか。今日はもう仕事をしてはいけません。正樹に何かあったら、ご両親が心配します。わたしも心配です」
「……わかった。一息入れるよ……」
「お茶にしましょう」
フリッツは香りのよい日本茶を淹れて、正樹の傍に置いた。
「コーヒーの方が好きなんだけど……」
「刺激物は止めておきましょう」
ふわりと零れるように微笑んで、正樹はフリッツの頬に手を伸ばした。
「専属の看護師がいるみたいだね」
「ええ。可愛い正樹の専属の看護師は、言いつけを守らない患者にはとても厳しいです」
「いつだって、甘やかしてばかりのくせに」
陽が落ちるのを認めて、正樹は窓際にフリッツを誘った。
「ほら。夕陽が落ちるよ、フリッツ。良い眺めだね。素晴らしい景色だ」
揃って眺める夕方の瀬戸内の凪は、そよとも風が吹かず、海はまるで金色の盆のように眩い夕陽を映していた。
「海全体が大きな鏡のようです。この時間の海は、ここから眺めていると、まるで歩いて渡れるような気がします」
「波もほとんどないね……ねぇ、フリッツ。この海もドイツに通じているかな」
「バルト海に?」
「僕はいつか海に還るんだ……だからフリッツがドイツに帰っても、海がつながっているなら寂しくないね」
「正樹……」
フリッツの声は震えていた。
「そんな話はしたくありません……」
「僕はフリッツに逢いに行くよ。万里の波濤を越えて、波頭の上を歩いてゆくんだ。きっと気が遠くなるほど遠いだろうけど、フリッツが待っているから、大丈夫……世界中の誰よりも愛してるよ、フリッツ……僕のマルス」
二人は互いの存在を確かめるように、互いを引き寄せるとキスを交わした。
「フリッツ……きついよ」
消えてなくなりそうな正樹の身体を、フリッツは強く抱きしめた。太い腕で胸の中に拘束された正樹が喘ぐ。
「可愛い正樹……わたしもいつか海に還ります。それは正樹よりも先か後かわかりません。でも、正樹とわたしは巡り合えます。この広い地球上で奇跡のように出会ったのですから」
「うん、そうだね」
金色の夕陽に祝福された二人の影は、やがて一つになった。
波濤を越えて……いつか巡り合うまで、互いを忘れないように。
【 完 】
本日もお読みいただきありがとうございます。
やっと着地できました。
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