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愛し君の頭上に花降る 18 

季節は移り、残暑で気だるさの残る朝、誰かの気配に気づいた祥一朗は、ゆっくりと目を開けた。
大きな黒目勝ちの瞳に、涙を湛えた少年が唇をかみしめて枕辺にひざまずき、祥一朗を見つめていた。

「これは夢なのかな……君はいつかの……」

「旦那さま。お会いしたかったです……」

そう言えば、別れ際、この子の名前を聞いていなかったと、体を起こした祥一朗はふっと苦笑いを浮かべた
上野の駅で、四国に帰る少年に切符を買ってやったのは、随分昔の事のように思う。

「どうして、ここに?国元の母上の元で暮らしているのではなかったの?」

いつかのように泣きじゃくりながら、少年は首を振った。

「旦那さまが、お手紙を書いてくださったので、母に言われてお礼に伺ったのです」

「……そうだったのか。それなら良かった。体調が良くなくて、こんな格好ですまないね。元気だったかい?」

「ぼくが帰った後、母は縁があって再婚しました。新しい義父は、ぼくが中学を卒業してすぐに飛行兵に志願したのを知っていて、将来の為に勉強してはどうだと言ってくれたんです。これからは、教養が必要になるだろうって……」

祥一朗は、懸命に話をする少年に、優しい眼差しを向けた。
どうやら少年は優秀らしく、猛勉強の末、既に時期外れの編入試験に合格したという。

「大学を卒業したら、旦那さまの傍で暮らしたいです。それが生まれ変わったぼくの夢です……」

必死に訴える少年の頬に、祥一朗はそっと指を伸ばした。

「……もっといい夢をいくらでも見られるだろうに……」

「旦那さまに出逢わなければ、ぼくは生きながら死んでいました……頑張って医師になります。お傍でお役に立ちますから……どうか……」

祥一朗は視線を交わすことなく言葉を遮った。
期待をすれば、きっと、このあとで訪れる別れが辛くなると分かっていた。

「暗闇で出会ってしまったから、ぼくを光だと勘違いしたんだろう。まだ君は若い。これからいくらでも新しい出会いはある。つまらない過去に囚われてはいけないよ」

祥一朗の腕を取ると、少年は胸に抱いた。

「あの日、再び会うことができたなら、旦那さまと共に生きると決めたんです」

「……駄目だ。ぼくは医師としては未熟だし、人としては年を食っているばかりの変わり者だ。未来のあるきみにふさわしくない」

「では、どうすれば相応しいと思っていただけるのですか?」

喉を割く様に零れた少年の嗚咽に、祥一朗は驚いてすっかり困ってしまった。
すっかり気力を失ってしまった自分を、まだ求めてくれる存在があるのを信じかねていた。

「……おそらくぼくは、君が思っているような立派な人間ではないよ。いつかきっと、君は卑屈なぼくに失望して離れてゆくだろう。そうなると、ぼくの柔な自尊心は、今度こそ粉々に砕け散ってしまうことになる……ねぇ、名前も知らない君。君の昏い過去に、ほんの少し気まぐれで優しくしただけの男がいて、救いになったとしても、そこまで信奉することはないんだよ。財産も地位もない行きずりの男の事など、早く忘れておしまい。きっとこの先、若い君にふさわしい相手が見つかるから」

「いいえ!……旦那さまは、ぼくがどれだけの勇気を振り絞って、ここに来たかご存じないから、そんな事を言うんです……」

嘆きのあまり、少年は寝台に突っ伏してしまった。




番外編を含めて、残り二話となりました。
やや唐突な少年の出現……彼は、祥一朗にとって救いとなりうるのか……?

火 木 土曜日更新の予定です。
どうぞよろしくお願いします。



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