愛し君の頭上に花降る 15
夜風に冷えた首筋に唇を這わせ、シャツを開いて恋人の赤く尖った小柱を吸い上げると、秋星はふるっと身震いした。
奈落の底で喘いでいるとき、おそらく生きる縁(よすが)となったはずの彼の存在。
辛すぎる日々、生死の淵でもがく秋星に、生きるように笑いかけたのは瀬津の幻影だったに違いない。
汗ばんだ額に乱れた髪の一筋を、そっと払ってやった。
「瀬津君は、夜空を見上げるたびに、秋星を思い出していたと言ったの?」
「秋の夜空なんて、地味で見るものなどないじゃありません……」
祥一朗は夜着を羽織ると、窓辺に秋星を誘った。
「ここにおいで。ぼくは、子供の頃に図鑑を買ってもらって星座を覚えたんだよ。子供向けの本だったけど、ギリシア神話はとても面白かった。秋星、秋の空には大三角形はないけど、大四角形というのがあるんだ。ほら、ご覧よ。星をつなぐと、大きなペガサスに見えるだろう?懐かしいね。ぼくは体が弱くてあまり外に出かけられなかった妹と、こうして窓際で夜空を眺めては、時間が経つのを忘れるほど星座の物語を語り合ったんだ……」
秋星は黙って話を聞いていた。
「瀬津君は、きっと君を守りたかったんだろうね。だが、君を襲う怪物は余りに強大すぎて、若い瀬津君には手に負えなかったんだろうよ。ペガサスを手に入れて、必死にアンドロメダを救おうと来てみたら、エチオピアの美姫は、すでに誰かのものになっていたというわけだ。切ないことだね」
「ぼくに……そんな価値などありません」
「そう?綺麗な秋星。君がここに来てから、ぼくは毎日舞い上がっていたよ。突然、若い恋敵が現れて、どうしようと思っているところだ」
「……祥一朗さんに出会えて……ぼくの方こそ……輝石のようなあなたにふさわしくないから……恥じ入るばかりです……」
ほろほろと秋星の凍えた頬に、透明な雫がいくつも伝った。
深く頭を下げた秋星の身の上が、どれほど不幸なものであったか、これまで慮ったことなどない。
美しい蒐集品を手に入れたような軽い気持で連れ歩き、夜会や旧華族の集まりに自慢気に同道させた。
過去を知る知り合いに無遠慮に声をかけられて、悲し気な笑顔を浮かべるのも知っていたが、それがどれだけ残酷な行為か理解していなかった。
祥一朗には華族制度が崩壊してさえ、未だに集団の中に居ると、自分の価値がどれほどのものか図るような癖があった。
秋星のことも、意識はせずとも結果的に尊大な自尊心と虚栄心を満足させるためだけに、傍に置いたように思う。出逢った時から、きっと自分は秋星を憐憫の目で見ていたような気がする。恋人同士なら、対等でなければならなかったとに、決してそうではなかった。
狭い檻の中で、傷を舐め合う哀れな動物の親子のような二人の姿がガラスに映ったのを見た時、祥一朗は微かに口角を上げた。
「いい潮時かもしれない」
「……え?」
初めてみる優しい笑顔で、祥一朗はじっと腕の中の秋星に眼差しを注いだ。
「君がくれた感謝の代わりに、自由をあげよう。夜が明けたら、瀬津君の所に行くといい」
「そんな……!ぼくは、あなたに頂いたものを何もお返ししていません。どうか、お傍に置いてください」
「ねぇ、秋星。ぼくはあの夜……君に出会った日、一目で恋に落ちたんだよ」
「祥一朗さん……?」
「実によくできた出会いだった。ぼくがまだうんと若いころなら、何も疑いもしなかったんだろうけど、今更ながら気づいてしまったよ……現れた君は、まるでぼくの理想が顕現したようだった。どうやら最上家令は、ぼくの趣味嗜好まで把握しているらしい。ぼくは彼の手のひらの上で転がされていたようだね」
秋星は目を丸くして祥一朗を見つめていた。
「秋星。君は自分が思っている以上に魅力的だよ。もう少し、恋人でいたかったけれど、物語は終幕があるからこそ、それまでが感動的なんだ。ぼくの出番は終わった。恋の成就の場面は瀬津君に譲るとしよう」
「祥一朗さん……どうか……不実なぼくを許してください」
「こちらこそ。毎日夢のように楽しかった、ありがとう」
一方的に別れを告げて、祥一朗は秋星を抱きしめると、やがて彼を残して一人部屋を出た。
廊下に出ると冷えた空気が肌を泡立たせた。
「またしても、ペルセウスになりそこねてしまったな」
火 木 土曜日更新の予定です。
どうぞよろしくお願いします。
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奈落の底で喘いでいるとき、おそらく生きる縁(よすが)となったはずの彼の存在。
辛すぎる日々、生死の淵でもがく秋星に、生きるように笑いかけたのは瀬津の幻影だったに違いない。
汗ばんだ額に乱れた髪の一筋を、そっと払ってやった。
「瀬津君は、夜空を見上げるたびに、秋星を思い出していたと言ったの?」
「秋の夜空なんて、地味で見るものなどないじゃありません……」
祥一朗は夜着を羽織ると、窓辺に秋星を誘った。
「ここにおいで。ぼくは、子供の頃に図鑑を買ってもらって星座を覚えたんだよ。子供向けの本だったけど、ギリシア神話はとても面白かった。秋星、秋の空には大三角形はないけど、大四角形というのがあるんだ。ほら、ご覧よ。星をつなぐと、大きなペガサスに見えるだろう?懐かしいね。ぼくは体が弱くてあまり外に出かけられなかった妹と、こうして窓際で夜空を眺めては、時間が経つのを忘れるほど星座の物語を語り合ったんだ……」
秋星は黙って話を聞いていた。
「瀬津君は、きっと君を守りたかったんだろうね。だが、君を襲う怪物は余りに強大すぎて、若い瀬津君には手に負えなかったんだろうよ。ペガサスを手に入れて、必死にアンドロメダを救おうと来てみたら、エチオピアの美姫は、すでに誰かのものになっていたというわけだ。切ないことだね」
「ぼくに……そんな価値などありません」
「そう?綺麗な秋星。君がここに来てから、ぼくは毎日舞い上がっていたよ。突然、若い恋敵が現れて、どうしようと思っているところだ」
「……祥一朗さんに出会えて……ぼくの方こそ……輝石のようなあなたにふさわしくないから……恥じ入るばかりです……」
ほろほろと秋星の凍えた頬に、透明な雫がいくつも伝った。
深く頭を下げた秋星の身の上が、どれほど不幸なものであったか、これまで慮ったことなどない。
美しい蒐集品を手に入れたような軽い気持で連れ歩き、夜会や旧華族の集まりに自慢気に同道させた。
過去を知る知り合いに無遠慮に声をかけられて、悲し気な笑顔を浮かべるのも知っていたが、それがどれだけ残酷な行為か理解していなかった。
祥一朗には華族制度が崩壊してさえ、未だに集団の中に居ると、自分の価値がどれほどのものか図るような癖があった。
秋星のことも、意識はせずとも結果的に尊大な自尊心と虚栄心を満足させるためだけに、傍に置いたように思う。出逢った時から、きっと自分は秋星を憐憫の目で見ていたような気がする。恋人同士なら、対等でなければならなかったとに、決してそうではなかった。
狭い檻の中で、傷を舐め合う哀れな動物の親子のような二人の姿がガラスに映ったのを見た時、祥一朗は微かに口角を上げた。
「いい潮時かもしれない」
「……え?」
初めてみる優しい笑顔で、祥一朗はじっと腕の中の秋星に眼差しを注いだ。
「君がくれた感謝の代わりに、自由をあげよう。夜が明けたら、瀬津君の所に行くといい」
「そんな……!ぼくは、あなたに頂いたものを何もお返ししていません。どうか、お傍に置いてください」
「ねぇ、秋星。ぼくはあの夜……君に出会った日、一目で恋に落ちたんだよ」
「祥一朗さん……?」
「実によくできた出会いだった。ぼくがまだうんと若いころなら、何も疑いもしなかったんだろうけど、今更ながら気づいてしまったよ……現れた君は、まるでぼくの理想が顕現したようだった。どうやら最上家令は、ぼくの趣味嗜好まで把握しているらしい。ぼくは彼の手のひらの上で転がされていたようだね」
秋星は目を丸くして祥一朗を見つめていた。
「秋星。君は自分が思っている以上に魅力的だよ。もう少し、恋人でいたかったけれど、物語は終幕があるからこそ、それまでが感動的なんだ。ぼくの出番は終わった。恋の成就の場面は瀬津君に譲るとしよう」
「祥一朗さん……どうか……不実なぼくを許してください」
「こちらこそ。毎日夢のように楽しかった、ありがとう」
一方的に別れを告げて、祥一朗は秋星を抱きしめると、やがて彼を残して一人部屋を出た。
廊下に出ると冷えた空気が肌を泡立たせた。
「またしても、ペルセウスになりそこねてしまったな」
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