愛し君の頭上に花降る 20 【恋人たちのその後】
誰が知らせたものか、瀬津の元で幸せに暮らしているはずの秋星が、すっかり面やつれして見舞に訪れたのは、祥一朗が本復してしばらくたっての事だ。
青ざめた頬で、秋星は祥一朗の枕辺に立った。
「……お怪我をなさったと聞きました。顔を出せた義理ではないのですが、どうしてもお詫びを言いたかったのです……もしかすると、ぼくが……」
「ああ、心配させて悪かったね。……情けない話だろう?葡萄酒に酔って医療鞄をひっくり返して怪我をしてしまったんだよ。医者の不養生の極みだね。あれから、すっかり飲酒はやめにしたよ」
昔の恋人とよりを戻し、祥一朗の傍を離れた不実な自分を許してほしいと、秋星は床に手をついた。
「済んだ話じゃないか。それにぼくの怪我は、決して君のせいじゃない。それよりも落ち着いたら仕事を手伝ってくれると嬉しいんだがね。以前に話していた書生の話は、もう反故になってしまったかい?」
「仕事をさせていただけるのですか?」
「君さえ良ければだが、考えてみてくれないか。義弟の会社の中に、診療室を置こうという話が進んでいてね。仕事が多忙で、どうしても病院に通えない会社員が多いので、大学病院と提携してはどうかと思っているんだ。当面は雑用が多いと思うが、書類整理などしてくれると助かる。君に支給するといっていた背広も、テーラーから届いている。ポーラータイも一緒にね。中々、よくできているよ。そこの収納庫に入っているから開けてごらん」
秋星は頭を下げた。
「虫の良い話ですが……どうぞよろしくお願いします」
「何を言うね。ぼくの方が無理を言っているんだろう?」
その時、扉が開いて、大荷物を抱えた少年が息を切らして転がり込んできた。
「望月先生っ!これで全部です……あっ……来客中でしたか。すみません」
「ああ、ちょうどいい。紹介しておこう。彼はぼくの書生としてこれから手伝ってくれる、結城秋星くんだ。こちらは華桜陰高校一年生の、野木光一くん。まだ時々、足が痛むので、時間のある時に雑用を手伝ってくれているんだ」
「そうでしたか。初めまして。結城秋星です」
野木光一は、時間の許す限り、祥一朗の所に顔を出していた。
実際は、もっと傍に居たかったのだが、高校は全寮制だったため門限を破るわけにはいかなかった。
卒業するまでは学業を優先するようにと祥一朗に言われ、仕方なく少年は肯いたのだった。
「秋星。実は、この子はぼくの恋人なんだ。年も離れているし、不似合いかもしれないが」
囁かれた秋星の見開かれた瞳が、瞬く間に潤む。
「良かった……祥一朗さん」
「何を泣くね?驚かせてしまったかい?」
「誰よりも……あなたに、幸せになって欲しかった……」
涙の止まらなくなった秋星に慌てた祥一朗を見て、光一はつんと腕をつついた。
「やっぱり、最上さんの話は本当だったんだ」
「ん……?家令が何か話をしたかい?」
光一はこくりと頷いた。
「旦那様は……昔からよく浮名を流されていたって。今は落ち着いていらっしゃるけど、子供のぼくには手に負えないかもしれないから、覚悟しなさいって……秋星さんはぼくと違って大人だし……」
祥一朗は慌てた。
「の、野木君。そんなことはない。それは家令の軽口だ。野木君が可愛らしいから、からかったんだろう。ね?紅茶を飲む?ほら、この焼き菓子は秋星が持ってきてくれたんだよ。おいしそうだね。君が来たら一緒に食べようと思って、待っていたんだ」
野木光一は、ふわりと香ばしい焼き菓子を一つ受け取ると、じっと祥一朗を見つめた。
「結城さんとも……口づけをしたんですか?」
「いや……あの、それは……」
実は身体を重ねたこともあるなどと、言えるはずもなかった。
涙ぐんだ野木光一がティーカップを銀盆に戻し、部屋を出てゆこうとするのを、慌てて祥一朗は腕を掴んだ。
「野木くん。昔の事はどうしようもないが、今は君だけだ」
くるりと振り向いた野木光一が、子猫のように悪戯っぽく黒目勝ちの目を光らせて、祥一朗を見上げた。
ふっと頬を染めて、そのまま頬に唇を押し当てる。
「浮気は許しませんから。望月先生は、誰にも渡しません」
「人前でこういうことをしてはいけないよ……」
「だって……」
秋星は二人のやり取りを眺めていたが、とうとう吹き出してしまった。
どちらが主導権を握っているのか、誰の目にも明らかだった。
日ごろ落ち着き払った祥一朗が、幼さの残る恋人に手玉に取られて慌てているのが、どこか微笑ましい。
「とてもお似合いです。祥一朗さん」
「秋星。君までそんなことを言う……大人をからかうものじゃないよ」
「すみません。では、また」
秋星が席を外した後、名前で呼び合うほど今も親しいのかと詰め寄られた祥一朗は、濃厚な接吻で、うっとりと待つ恋人の口を塞いだ。
「ん……っ……」
窓辺に立つ愛しい人の頭上に、祝福するように花片が降ってくる。
「望月祥一朗」は、旧華族、望月子爵家の嫡男として生まれた。
良い意味だけを持つ「祥」の字は、幸せな人生を送りますようにと両親が願いを込めて付けた名前だった。
最後までお読みいただきありがとうございました。
挿絵は、野木光一と祥一朗です。年の差カップルは中々、難しいだろうと思います。
次回は明るいお話を書きたいと思います。
またね。 此花咲耶←違う名前になるかもしれません。まだ、何も考えていないのですけど。
……良い名前、ないかなぁ……
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青ざめた頬で、秋星は祥一朗の枕辺に立った。
「……お怪我をなさったと聞きました。顔を出せた義理ではないのですが、どうしてもお詫びを言いたかったのです……もしかすると、ぼくが……」
「ああ、心配させて悪かったね。……情けない話だろう?葡萄酒に酔って医療鞄をひっくり返して怪我をしてしまったんだよ。医者の不養生の極みだね。あれから、すっかり飲酒はやめにしたよ」
昔の恋人とよりを戻し、祥一朗の傍を離れた不実な自分を許してほしいと、秋星は床に手をついた。
「済んだ話じゃないか。それにぼくの怪我は、決して君のせいじゃない。それよりも落ち着いたら仕事を手伝ってくれると嬉しいんだがね。以前に話していた書生の話は、もう反故になってしまったかい?」
「仕事をさせていただけるのですか?」
「君さえ良ければだが、考えてみてくれないか。義弟の会社の中に、診療室を置こうという話が進んでいてね。仕事が多忙で、どうしても病院に通えない会社員が多いので、大学病院と提携してはどうかと思っているんだ。当面は雑用が多いと思うが、書類整理などしてくれると助かる。君に支給するといっていた背広も、テーラーから届いている。ポーラータイも一緒にね。中々、よくできているよ。そこの収納庫に入っているから開けてごらん」
秋星は頭を下げた。
「虫の良い話ですが……どうぞよろしくお願いします」
「何を言うね。ぼくの方が無理を言っているんだろう?」
その時、扉が開いて、大荷物を抱えた少年が息を切らして転がり込んできた。
「望月先生っ!これで全部です……あっ……来客中でしたか。すみません」
「ああ、ちょうどいい。紹介しておこう。彼はぼくの書生としてこれから手伝ってくれる、結城秋星くんだ。こちらは華桜陰高校一年生の、野木光一くん。まだ時々、足が痛むので、時間のある時に雑用を手伝ってくれているんだ」
「そうでしたか。初めまして。結城秋星です」
野木光一は、時間の許す限り、祥一朗の所に顔を出していた。
実際は、もっと傍に居たかったのだが、高校は全寮制だったため門限を破るわけにはいかなかった。
卒業するまでは学業を優先するようにと祥一朗に言われ、仕方なく少年は肯いたのだった。
「秋星。実は、この子はぼくの恋人なんだ。年も離れているし、不似合いかもしれないが」
囁かれた秋星の見開かれた瞳が、瞬く間に潤む。
「良かった……祥一朗さん」
「何を泣くね?驚かせてしまったかい?」
「誰よりも……あなたに、幸せになって欲しかった……」
涙の止まらなくなった秋星に慌てた祥一朗を見て、光一はつんと腕をつついた。
「やっぱり、最上さんの話は本当だったんだ」
「ん……?家令が何か話をしたかい?」
光一はこくりと頷いた。
「旦那様は……昔からよく浮名を流されていたって。今は落ち着いていらっしゃるけど、子供のぼくには手に負えないかもしれないから、覚悟しなさいって……秋星さんはぼくと違って大人だし……」
祥一朗は慌てた。
「の、野木君。そんなことはない。それは家令の軽口だ。野木君が可愛らしいから、からかったんだろう。ね?紅茶を飲む?ほら、この焼き菓子は秋星が持ってきてくれたんだよ。おいしそうだね。君が来たら一緒に食べようと思って、待っていたんだ」
野木光一は、ふわりと香ばしい焼き菓子を一つ受け取ると、じっと祥一朗を見つめた。
「結城さんとも……口づけをしたんですか?」
「いや……あの、それは……」
実は身体を重ねたこともあるなどと、言えるはずもなかった。
涙ぐんだ野木光一がティーカップを銀盆に戻し、部屋を出てゆこうとするのを、慌てて祥一朗は腕を掴んだ。
「野木くん。昔の事はどうしようもないが、今は君だけだ」
くるりと振り向いた野木光一が、子猫のように悪戯っぽく黒目勝ちの目を光らせて、祥一朗を見上げた。
ふっと頬を染めて、そのまま頬に唇を押し当てる。
「浮気は許しませんから。望月先生は、誰にも渡しません」
「人前でこういうことをしてはいけないよ……」
「だって……」
秋星は二人のやり取りを眺めていたが、とうとう吹き出してしまった。
どちらが主導権を握っているのか、誰の目にも明らかだった。
日ごろ落ち着き払った祥一朗が、幼さの残る恋人に手玉に取られて慌てているのが、どこか微笑ましい。
「とてもお似合いです。祥一朗さん」
「秋星。君までそんなことを言う……大人をからかうものじゃないよ」
「すみません。では、また」
秋星が席を外した後、名前で呼び合うほど今も親しいのかと詰め寄られた祥一朗は、濃厚な接吻で、うっとりと待つ恋人の口を塞いだ。
「ん……っ……」
窓辺に立つ愛しい人の頭上に、祝福するように花片が降ってくる。
「望月祥一朗」は、旧華族、望月子爵家の嫡男として生まれた。
良い意味だけを持つ「祥」の字は、幸せな人生を送りますようにと両親が願いを込めて付けた名前だった。
最後までお読みいただきありがとうございました。
挿絵は、野木光一と祥一朗です。年の差カップルは中々、難しいだろうと思います。
次回は明るいお話を書きたいと思います。
またね。 此花咲耶←違う名前になるかもしれません。まだ、何も考えていないのですけど。
……良い名前、ないかなぁ……
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