小説・初恋・42
白雪の入れた、紅茶は馥郁(ふくいく)と辺りに香った。
颯は、談笑の延長で奏に告げた。
「如月も、一緒に行こう。」
「どちらへ?夕食には、まだ時間があります。」
「欧羅巴(ヨーロッパ)」
「せっかくですけど、はなむけの食事は洋食ではなく、日本食を予約して有りますが?」
白雪はうれしさの余り、確かめるように清輝のほうを見た。
「実業家枠が一名あるので、申請しておいたんだ。」
「モンテスキュウ教授が骨を折ってくれて、先ほど内定の知らせをくれた。」
小声で囁くように、白雪に伝えた。
「留学の話をしているんだ。如月。」
「留学・・・?」
思いも寄らない急な話に、奏は当惑していた。
「・・僕には、仕事があります・・・」
「それでも、一緒に行こうと誘っている。旅券(御印章)の手配も済んでいる。」
「夏の間に山陰の方まで、線路を引くんです。」
自分のことにかまけている暇はないと、奏は断言した。
「事業家として、しなければいけない仕事は山ほどありますし、働く者の生活も考えなければならないんです。」
「誰が、僕の代わりをするんです。」
精一杯感情を抑えながら、奏は正面から拒絶した。
「君の代わりを誰かがする心配じゃなくて、行く気があるのかどうかを聞いている。」
「そんな・・・」
直接手を下していないとはいえ、領民に酷いことをしておいて、自分を恵まれた環境に置くのを良しとしない奏の話は、仕事上のつきあいのある父親からも聞いていた。
領内で湖西の犠牲になった者達の親族に、詫びているらしい・・・と。
爵位を返上し、貴族院の名誉も捨て、普通の生活を手に入れた奏は、自分が踏みつけてきたものを、時間を掛けて修復しようとしていた。
遺産を残し、死んで詫びることも考えたが、そのまま白雪が後を追うことを恐れた。
この眼前の細い青年は、いつまでそうやって、この世にいない老人の亡霊を引きずってゆく気だろう。
何も知らなかった綺麗なだけの雅な京人形は、今や知りすぎるほど自分を知っていた。
華やかな外見にそぐわない繊細な子供のような内面は、決して表には出なかった。
そんな奏の、隠された孤高の性分を哀れに思う。
颯の胸の奥が、つきんと痛む。
「如月。」
颯は、清輝と相談したとおり奥の手を使った。
「なんです?」
「ちょっと、ここに来て目を瞑ってくれないか?」
「ここで良いんですか?」
不思議そうな奏の手を取り、立たせた。
背後から、ゆっくり包み込むように、腕を回した。
「奏・・・」
耳元に、父の声がする。
背中が固くなった・・・
「もう、いいから。」
「これからは、自分の為に生きなさい。」
颯の声は、記憶する奏の父のものと同じものだった。
ゆっくり、目を開けた。
父の大罪は、私が彼岸に持ってゆく・・・
お前を大切に思っているよ・・・
瞼の裏で父が微笑み、奏は心に響く声を聞いた。
颯の腕の中から、すとんと力なく奏が落ちた・・・・
「ああ・・・この瞬間を、凍らせてしまいたい・・・」
細い震える声が、呟きのように漏れた・・・
颯は、談笑の延長で奏に告げた。
「如月も、一緒に行こう。」
「どちらへ?夕食には、まだ時間があります。」
「欧羅巴(ヨーロッパ)」
「せっかくですけど、はなむけの食事は洋食ではなく、日本食を予約して有りますが?」
白雪はうれしさの余り、確かめるように清輝のほうを見た。
「実業家枠が一名あるので、申請しておいたんだ。」
「モンテスキュウ教授が骨を折ってくれて、先ほど内定の知らせをくれた。」
小声で囁くように、白雪に伝えた。
「留学の話をしているんだ。如月。」
「留学・・・?」
思いも寄らない急な話に、奏は当惑していた。
「・・僕には、仕事があります・・・」
「それでも、一緒に行こうと誘っている。旅券(御印章)の手配も済んでいる。」
「夏の間に山陰の方まで、線路を引くんです。」
自分のことにかまけている暇はないと、奏は断言した。
「事業家として、しなければいけない仕事は山ほどありますし、働く者の生活も考えなければならないんです。」
「誰が、僕の代わりをするんです。」
精一杯感情を抑えながら、奏は正面から拒絶した。
「君の代わりを誰かがする心配じゃなくて、行く気があるのかどうかを聞いている。」
「そんな・・・」
直接手を下していないとはいえ、領民に酷いことをしておいて、自分を恵まれた環境に置くのを良しとしない奏の話は、仕事上のつきあいのある父親からも聞いていた。
領内で湖西の犠牲になった者達の親族に、詫びているらしい・・・と。
爵位を返上し、貴族院の名誉も捨て、普通の生活を手に入れた奏は、自分が踏みつけてきたものを、時間を掛けて修復しようとしていた。
遺産を残し、死んで詫びることも考えたが、そのまま白雪が後を追うことを恐れた。
この眼前の細い青年は、いつまでそうやって、この世にいない老人の亡霊を引きずってゆく気だろう。
何も知らなかった綺麗なだけの雅な京人形は、今や知りすぎるほど自分を知っていた。
華やかな外見にそぐわない繊細な子供のような内面は、決して表には出なかった。
そんな奏の、隠された孤高の性分を哀れに思う。
颯の胸の奥が、つきんと痛む。
「如月。」
颯は、清輝と相談したとおり奥の手を使った。
「なんです?」
「ちょっと、ここに来て目を瞑ってくれないか?」
「ここで良いんですか?」
不思議そうな奏の手を取り、立たせた。
背後から、ゆっくり包み込むように、腕を回した。
「奏・・・」
耳元に、父の声がする。
背中が固くなった・・・
「もう、いいから。」
「これからは、自分の為に生きなさい。」
颯の声は、記憶する奏の父のものと同じものだった。
ゆっくり、目を開けた。
父の大罪は、私が彼岸に持ってゆく・・・
お前を大切に思っているよ・・・
瞼の裏で父が微笑み、奏は心に響く声を聞いた。
颯の腕の中から、すとんと力なく奏が落ちた・・・・
「ああ・・・この瞬間を、凍らせてしまいたい・・・」
細い震える声が、呟きのように漏れた・・・
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