びいどろ時舟 26
「心配するな。きっと上手くいくよ。この子の記録が思ったよりも少なくて、よかったな。」
セマノは物言いたげな瞳を揺らした。
「気を付けて、鏡。忘れないよ・・・。」
金色の髪のかぴたんは、そっと頬を寄せ、鏡に束の間の別れを告げた。
「もし、ぼくが・・・今度のことで流刑になるなら・・・複製で良いから・・・」
この子の写しをくれないかという、セマノの思いつめた言葉に本気だと分かる。作られた精巧な人形に、鏡の記憶を移して、孤独の流刑地へ伴いたいとセマノは思っていた。
未だに引きずる、救えなかった青い瞳の過去が血を流していた。
「流刑になどならないさ。」
シンは、気休めのように言葉にし白い建物の並ぶ世界を後にした。
*******
神隠しにあった鏡が帰ってきたという噂は、あっという間に丸山遊郭中に広まった。
身代わり天神の噂は本当で、忘八女将が心を入れ替えた途端見つかったらしいと、噂には丁寧な尾ひれがついていた。
皆、鏡に逢いたがった。
これからも、信じた遊女達が大勢、天神様に参るだろう。
噂好きの遊女達が、次々鏡を捕まえては質問した。
「さあさあ、鏡、教えておくれなんし。天神様は、どんな顔だったでありんしたかぇ?」
「たいそうな美男でありんすか?それとも、女でありんすかぇ?」
何も覚えていなくて困ってしまった鏡は、分からん・・・と答えるしかなかった。
「新さんが、連れて帰って来てくれたとよ。あしは、なんも覚えとらん・・・。」
無縁墓地の前で倒れていたのを、新参の髪結いの新が、見つけて連れ帰って来たということだった。
鏡が覚えているのは、大きな武器商人が白目を剥いて倒れてきたことだけで、その後の記憶は不思議なことに殆ど無かった。紅毛人が倒れたのに動転してしまい、逃げ出したことを責められなかったので胸をなでおろしていた。
自分が、殺してしまったと怖じていたのが、杞憂に終わって人心地が付いた。
「新さん。きっとね、吉しゃんが守ってくれとると。」
「そうか。仲良しだったんだな。」
新は、柔らかく笑った。
神隠しから帰ってきた鏡に、忘八女将は約束どおり自由をくれた。まだ少しは、悔やんでながした涙を覚えていたのだろうか。
自由にしてくれたばかりか見習いを終いにして、格上げして、立ち番(男衆の下っ端の仕事)をやらせてくれるという。
「新さん、あんねぇ。あしも、とうとう給金がもらゆっんげな・・・。」
まだ熱の引かぬ赤い頬で薄い布団にくるまった鏡が、新にうれしそうに語る。
髪結いの新が、カピタンの国へ逃がしてやるといったことは、ぼんやりと覚えているようだった。
一時的な記憶の喪失は内心、打った薬の作用だと知っているが、今のところ他に異常はないようだった。
どの道、説明のつかない未来世界の風景は、すべて夢が見せたと思うだろう。
「良かったな。みんな身代わり天神のおかげだな。」
「う・・・ん・・・、お参りにゆくとよ。」
未来を変えかねない介在には、酷い処罰が下る。
この時代に無い注射を打っても、不思議と何も言ってこない所を見るとその後の変化は、微弱なものだったのかもしれない。
それとも、この子は明日にも消えてしまうのだろうか。
軽く安堵した新は、指で軽く鏡の髪をすいた。
「本復したら、新さんがお祝いに、髪を結ってやろうな。」
「ほんとね?あぁ・・・、うれしかね。」
「粋でいなせな、妓夫太郎の兄さん達みたいにしてやるよ。いい男になれよ。」
内心、どう結っても当分は禿(かむろ)にしか見えないだろうと思いながら、口許まで蒲団を引っ張ってやった。
鏡は初めて幸福そうに目を細め、夢の世界に沈んだ。
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励みになりますので、応援よろしくお願いします。
コメント、感想等もお待ちしております。 此花咲耶
セマノは物言いたげな瞳を揺らした。
「気を付けて、鏡。忘れないよ・・・。」
金色の髪のかぴたんは、そっと頬を寄せ、鏡に束の間の別れを告げた。
「もし、ぼくが・・・今度のことで流刑になるなら・・・複製で良いから・・・」
この子の写しをくれないかという、セマノの思いつめた言葉に本気だと分かる。作られた精巧な人形に、鏡の記憶を移して、孤独の流刑地へ伴いたいとセマノは思っていた。
未だに引きずる、救えなかった青い瞳の過去が血を流していた。
「流刑になどならないさ。」
シンは、気休めのように言葉にし白い建物の並ぶ世界を後にした。
*******
神隠しにあった鏡が帰ってきたという噂は、あっという間に丸山遊郭中に広まった。
身代わり天神の噂は本当で、忘八女将が心を入れ替えた途端見つかったらしいと、噂には丁寧な尾ひれがついていた。
皆、鏡に逢いたがった。
これからも、信じた遊女達が大勢、天神様に参るだろう。
噂好きの遊女達が、次々鏡を捕まえては質問した。
「さあさあ、鏡、教えておくれなんし。天神様は、どんな顔だったでありんしたかぇ?」
「たいそうな美男でありんすか?それとも、女でありんすかぇ?」
何も覚えていなくて困ってしまった鏡は、分からん・・・と答えるしかなかった。
「新さんが、連れて帰って来てくれたとよ。あしは、なんも覚えとらん・・・。」
無縁墓地の前で倒れていたのを、新参の髪結いの新が、見つけて連れ帰って来たということだった。
鏡が覚えているのは、大きな武器商人が白目を剥いて倒れてきたことだけで、その後の記憶は不思議なことに殆ど無かった。紅毛人が倒れたのに動転してしまい、逃げ出したことを責められなかったので胸をなでおろしていた。
自分が、殺してしまったと怖じていたのが、杞憂に終わって人心地が付いた。
「新さん。きっとね、吉しゃんが守ってくれとると。」
「そうか。仲良しだったんだな。」
新は、柔らかく笑った。
神隠しから帰ってきた鏡に、忘八女将は約束どおり自由をくれた。まだ少しは、悔やんでながした涙を覚えていたのだろうか。
自由にしてくれたばかりか見習いを終いにして、格上げして、立ち番(男衆の下っ端の仕事)をやらせてくれるという。
「新さん、あんねぇ。あしも、とうとう給金がもらゆっんげな・・・。」
まだ熱の引かぬ赤い頬で薄い布団にくるまった鏡が、新にうれしそうに語る。
髪結いの新が、カピタンの国へ逃がしてやるといったことは、ぼんやりと覚えているようだった。
一時的な記憶の喪失は内心、打った薬の作用だと知っているが、今のところ他に異常はないようだった。
どの道、説明のつかない未来世界の風景は、すべて夢が見せたと思うだろう。
「良かったな。みんな身代わり天神のおかげだな。」
「う・・・ん・・・、お参りにゆくとよ。」
未来を変えかねない介在には、酷い処罰が下る。
この時代に無い注射を打っても、不思議と何も言ってこない所を見るとその後の変化は、微弱なものだったのかもしれない。
それとも、この子は明日にも消えてしまうのだろうか。
軽く安堵した新は、指で軽く鏡の髪をすいた。
「本復したら、新さんがお祝いに、髪を結ってやろうな。」
「ほんとね?あぁ・・・、うれしかね。」
「粋でいなせな、妓夫太郎の兄さん達みたいにしてやるよ。いい男になれよ。」
内心、どう結っても当分は禿(かむろ)にしか見えないだろうと思いながら、口許まで蒲団を引っ張ってやった。
鏡は初めて幸福そうに目を細め、夢の世界に沈んだ。
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