一片(ひとひら)の雪が舞う夏に 5
思い詰めた表情の三崎が、泣きそうな顔で俺を見つめる。
「ああ、三崎。何か大事(おおごと)にしちまって悪かったな。大丈夫だったか?」
「先輩…。」
玄関先に立ちつくし、そのまま三崎は声を殺して泣きじゃくった。
「会社に戻ってください。ぼくの取ってきた仕事一つで、先輩が首になんてなってしまったら、先方になんて言えばいいんですか?顔つなぎしてくれたから、話がまとまったんです。お願いです。戻ってください。」
「う…ん。あのな、三崎。お前も子供じゃないからわかると思うんだけど。」
「はい。」
「普通、部下が上司を殴ったら、大抵そいつは会社を辞めるのが普通だと思う。俺の短気がいけなかったんだ。話し合いの余地を自分で潰してしまったんだからな。それは、まともな社会人のやることじゃない。わかるだろう?」
「でも…。」
まるで小さな子供をあやすように、俺は三崎に一般的な話をした。
散々喚きまくって、上司を殴り倒した俺が言うのも何だが、こうして俺を慕ってくれる三崎や同僚は会社勤めをしなければ得られなかったわけで、ほんの少し感極まった俺は鼻をすすった。
「でも…は、なしだ。俺は会社を辞めてもここに住んでいるし、いつだって会えるさ。」
「引っ越したりしないんですか?会社に近いからって、ここに住んでいるんじゃないんですか?」
「ああ、ここは相続税の節税とかで、親父が生前分与してやるってくれた俺のものだからね。ずっと、ここにいる。」
まるで少女のように顔を赤らめて、三崎は泣くのを止め、良かった…とつぶやいた。その姿は正直いい心持ちだ。
「このまま、先輩が会社を辞めて行方が分からなくなったら、どうしようって思ってました。こんな時なんですけど…先輩…ぼく、中学の時からずっと先輩の事が…。」
「え…三崎…?」
何、この陳腐なまでに甘い空気の流れ。
可愛い鴨が、頑張って大束のねぎを背負って、好きなだけ食ってくださいとやってきた気がする。
元々、三崎は悪乗りした同級生が女装させて隣の共学校主催の美人コンテストに出場させたら、女子を押しのけて優勝してしまった過去を持つほど可愛いのだ。母校の男子校じゃ、今も語り継がれる伝説になっている。
三崎のように素直で性格もいいと来れば、もういっその事、男でもいいんじゃないかとどこかで何かがささやいた。この先を拒む理由はないような気もするけど、いやいや…両親は孫の顔が見たいだろう。でもつまみ食いくらいなら、いいんじゃないかな?…三崎の頬に触れた下半身の本能に忠実な俺の中の何かがささやく。濡れた瞳の三崎が、じっと俺を見つめていた。
可愛いよなあ…
いやいや、ちょっと待て、俺。いくらなんでも今はちょっとまずい。
ほら、なんせ寝室には「雪男」がいるわけで。
脳内では理性が本能とガチンコで戦って、何とか理性が僅差で勝利した。
「…三崎。その話は今度にしよう。俺はまだ頭の中がこんがらがっているし、どの道、明日はいつも通り会社に行くよ。処分を受けるのが妥当だと思うからね。自分から頭を下げようとは思わないけど、上に報告する義務はあるだろうからさ。」
「先輩~。」
ぬけぬけと正論を語る俺は、正直、可愛い三崎の告白に良い気持ちになっていた。
腕の中で三崎が、ほんの少し身じろいで小首をかしげる。
「あれ…?先輩、お客…さまだったの?」
寝室の扉が少し開き、三崎の視線の先で、蒼白の「雪男」が物言いたげな顔を向けていた。三崎が泣いたのが聞こえて、気になったんだろう。
「ああ…え、っと、あいつは親戚の雪男…お!ってんだ。雪男!な!」
「雪男…さん?」
雪男…「ゆきお」って…。
適当すぎるだろう、俺。
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