一片(ひとひら)の雪が舞う夏に10
一寸先も見えない大雪に敵陣は、一時退却を余儀なくされた。これぞ、天の助けと味方は喜び勇んで一斉退却を始めた。その場に残されたのは、源七郎の首の無い死体と、傷ついたちびの雪男だけだった。
ちびの雪男はいざりながら、その場の雪を懸命に掻き分け、とうとう茶色い土の所まで掘った。本当は土も掘りたかったが、土は凍っていて柔らかな子供の生爪は剥がれて(はがれて)それもかなわない。
源七郎の仮りごしらえの雪の墓に向かい、雪男は何やら遺言のようにその場で吟じた。
正直、何を吟じているか皆目判らんです…。なんか、何もわからないのが申し訳ない気がして、俺は雪男の着ているガウンで鼻水を拭いた。
…まあ、いいか。どうせおれのだし。
雪男は、聞いても判らないって言うのに、その場で小さな声で吟じ始めた。
そんなお笑い芸人がいたよなぁ、誰だっけ。雪男が言った。
「源七郎さま。「零丁洋を過ぐ」…吟じます。」
そうだよ、あの芸人もそういうセリフを言うんだった。
「あると思います!」…何が?
辛苦遭逢一経より起る 干戈落落たり四周星
山河破砕し風絮を漂わし 身世の浮沈雨を打つ
皇恐灘頭皇恐を説き 零丁洋裏零丁を嘆ず
人生古より誰か死無からん 丹心を留取して汗青を照さん
苦労して聖人の書いた書物を読み、進士に及第して仕官し身をおこしたが、国難にあい戦争に従って4年の歳月が流れた。
山河は砕かれつぶされて風に従う柳の花が漂うように、自分の身も世の中を漂って、まるで雨にうたれる浮き草のようだ。
皇恐灘(という場所)のあたりでは、国家滅亡の恐れを説き、零丁洋を渡っては身の零丁を嘆くばかりである。
人は古来からから死なない者はないのだから、どうせ死ぬならばまごころを留めて歴史の上を照らしたいものである。
おれ、文系じゃなかったから、わからなくてごめんな。
…ちびの雪男は、自刃する前に、「母上、先に逝く親不幸をお許し下さい。これより父上の元に参ります。今生のおさらばでございます。」と、家のある方向に見当をつけて、深々と頭を下げた。
襟を広げ着物をくつろげると、作法通りに一文字に腹を掻っ捌き、続けて首を切り下げて果てた。武家の子供は、こんなに小さくても切腹の作法を知り、死に際に取り乱すことはなかった。
「源七郎さま…、今こそ…お…傍に…。」
大きく手を広げて、こんもり盛られた雪まんじゅうを抱きしめるようにして、事切れた。
唇から一筋の血がつっと流れ、真っ白に染めかえられた世界に落ちると、小さな紅い花が雪を割ってこぼれ咲いたようだ。
おれは、そこにいる雪男をごく自然に抱きしめていた。
「もう、いい。もう、いいよ、雪男。辛かったなぁ…。えらかったなぁ。こんな大雪の中でたった一人がんばったな。」
氷柱を抱くようなつもりでいたが、思ったよりも雪男の身体は冷たくはなかった。
「雪は…元来、温かいんだ。ことに、北国の雪は優しい。」
雪男は、どこか懐かしむような遠い目をしていた。
雪男の吟じた、「零丁洋を過ぐ」は文天祥という人の作です。
白虎隊隊士17歳の篠田儀三郎が、自陣前に吟じたというエピソードを使わせていただきました。
コメントで、白虎隊みたいですねとおっしゃった方がいて、驚きました。鋭いっす!(`・ω・´)
イメージは二本松少年隊です。こちらの方が多くの隊士が年少でした。
もう少しで、現代に戻りますのでもう少しだけお付き合いください。
拍手もポチもありがとうございます。
感想、コメントもお待ちしております。
ランキングに参加していますので、よろしくお願いします。 此花咲耶
ちびの雪男はいざりながら、その場の雪を懸命に掻き分け、とうとう茶色い土の所まで掘った。本当は土も掘りたかったが、土は凍っていて柔らかな子供の生爪は剥がれて(はがれて)それもかなわない。
源七郎の仮りごしらえの雪の墓に向かい、雪男は何やら遺言のようにその場で吟じた。
正直、何を吟じているか皆目判らんです…。なんか、何もわからないのが申し訳ない気がして、俺は雪男の着ているガウンで鼻水を拭いた。
…まあ、いいか。どうせおれのだし。
雪男は、聞いても判らないって言うのに、その場で小さな声で吟じ始めた。
そんなお笑い芸人がいたよなぁ、誰だっけ。雪男が言った。
「源七郎さま。「零丁洋を過ぐ」…吟じます。」
そうだよ、あの芸人もそういうセリフを言うんだった。
「あると思います!」…何が?
辛苦遭逢一経より起る 干戈落落たり四周星
山河破砕し風絮を漂わし 身世の浮沈雨を打つ
皇恐灘頭皇恐を説き 零丁洋裏零丁を嘆ず
人生古より誰か死無からん 丹心を留取して汗青を照さん
苦労して聖人の書いた書物を読み、進士に及第して仕官し身をおこしたが、国難にあい戦争に従って4年の歳月が流れた。
山河は砕かれつぶされて風に従う柳の花が漂うように、自分の身も世の中を漂って、まるで雨にうたれる浮き草のようだ。
皇恐灘(という場所)のあたりでは、国家滅亡の恐れを説き、零丁洋を渡っては身の零丁を嘆くばかりである。
人は古来からから死なない者はないのだから、どうせ死ぬならばまごころを留めて歴史の上を照らしたいものである。
おれ、文系じゃなかったから、わからなくてごめんな。
…ちびの雪男は、自刃する前に、「母上、先に逝く親不幸をお許し下さい。これより父上の元に参ります。今生のおさらばでございます。」と、家のある方向に見当をつけて、深々と頭を下げた。
襟を広げ着物をくつろげると、作法通りに一文字に腹を掻っ捌き、続けて首を切り下げて果てた。武家の子供は、こんなに小さくても切腹の作法を知り、死に際に取り乱すことはなかった。
「源七郎さま…、今こそ…お…傍に…。」
大きく手を広げて、こんもり盛られた雪まんじゅうを抱きしめるようにして、事切れた。
唇から一筋の血がつっと流れ、真っ白に染めかえられた世界に落ちると、小さな紅い花が雪を割ってこぼれ咲いたようだ。
おれは、そこにいる雪男をごく自然に抱きしめていた。
「もう、いい。もう、いいよ、雪男。辛かったなぁ…。えらかったなぁ。こんな大雪の中でたった一人がんばったな。」
氷柱を抱くようなつもりでいたが、思ったよりも雪男の身体は冷たくはなかった。
「雪は…元来、温かいんだ。ことに、北国の雪は優しい。」
雪男は、どこか懐かしむような遠い目をしていた。
雪男の吟じた、「零丁洋を過ぐ」は文天祥という人の作です。
白虎隊隊士17歳の篠田儀三郎が、自陣前に吟じたというエピソードを使わせていただきました。
コメントで、白虎隊みたいですねとおっしゃった方がいて、驚きました。鋭いっす!(`・ω・´)
イメージは二本松少年隊です。こちらの方が多くの隊士が年少でした。
もう少しで、現代に戻りますのでもう少しだけお付き合いください。
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