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淡雪の如く 17 

機嫌よく帰ってきた二人の姿に、詩音はどこか不思議そうな顔を浮かべていた。
直ぐに湯を使い、着替えを済ませたがその夜から、当然のように大久保是道はひどい熱を出した。
独りで食堂に現れて所在無げにする詩音に、良太郎が声を掛けた。

「詩音……?一人なのか?」

「大久保は?今日から、食堂に来ると言ったのに。」

「……若さまは、お風邪を召しました。朝の水浴びが原因です。」

「あ。……すまん。」

健康優良児の良太郎は、拳を震わせて睨む詩音にひたすら平身低頭し詫びるしかなかった。
熱にうなされる是道を医務室に見舞いに行った帰り、校医に付き添いはいらないから君は帰りなさいといわれた詩音はひどく寂しそうだった。

「詩音。たまには、君も話をしよう。どうせ、明日は休みだ。大久保君も一晩ゆっくり休めば良くなるさ。」

「はい……。」

木羽が、寮内で菓子やサイダーを工面してきた。

「これは皆、寮生からの差し入れだ。大久保への見舞いだそうだよ。」

「まあ、なんだかんだ言って、大久保の事をみんな心配してるんだ。大久保君と詩音は、二人そろっていないとな。」

「はい。お気遣いありがとうございます。」

そういう詩音はまるで人が違ったかのように、落ち着きがなかった。
油菓子を零し饅頭を転がし、サイダー瓶を倒して、木羽がとうとう笑い出した。

「落ち着け、詩音。何をやってるんだ。」

「はい。すみません……。」

「大久保なら大丈夫だ。校医が付いているのだから。」
「はい。」

そういわれて詩音は、病人よりもつらそうな顔を向けた。
実は離れがたいのは、是道ではなく詩音の方ではないのかと、物事に聡い木羽は気が付こうとしていた。

*****

炭酸は、しゅわしゅわと喉をくすぐり、三ツ矢サイダーというのはどこかハイカラな飲み物だ。
夜は静かに更けてゆく。

「詩音、いつか聞きたかったんだけど。」

「はい。」

「大久保は何で華桜陰を選んで受験したんだ?」

よりによって、進歩的といわれる私立高校を受験せずとも、華族には無試験の学習院が有るじゃないかと、良太郎は是道を見るたび不思議に思っていたと言い出した。
親王、内親王や皇族の子女、華族、貴族院議員といった良家の子女達のみが許されて通う学校ならば、世間知らずな大久保も無理な苦労をせずに肩の力を抜いて通えるのではないかと良太郎は言う。

「それを言うなら、佐藤さまも貴族院議員のご子息だとお聞きしております。」

「ああ……ぼくの家が華族の端くれなのはね、爺さんが昔、政府の要人を助けたせいで、血統が良いわけじゃないんだ。」

「ぼくの家は関ヶ原前からの、百姓の出身らしいし、家族みんな野良に出て働いているのが好きなんだ。それに、父上がぼくはおそらくああいう上品な高校にはそぐわないだろうと思ったんだろうね。良太郎には、進歩的な華桜陰の方が合うだろうって勧めてくれた。」

「確かに君が学習院だと、周囲が余計な苦労を被(こうむ)りそうだ。」

市太郎は素直に口にした。
「そうだろう?」

声を上げて木羽と良太郎は笑い、詩音は苦笑していた。
迷惑をかけ倒している大久保是道の従者としては、声を上げて笑うわけにはいかなかった。

「ただ、来てみると意外にここも大久保みたいな上品なのが多くて、市太郎が来るまで正直馴染めるかどうか心配していたんだ。」

「何しろ、最初は馬車と人力で、歩きの者は一人としていなかったんだからね。朝の鍛練をしに剣武道場に行っても、誰も立ち会う相手がいないんだもの。いささか落胆した。」

「ああ。確かに、今でも立ち会う相手は良太郎だけだな。正直、腕がなまって仕方がない。」

「猛者じゃなくてもいいけど。市太郎は腕が立つからせめて、組み手で立ち会う相手くらいいればいいのにな。」

幕末の動乱を、血刀を握って潜り抜けた父親に仕込まれた市太郎の実践剣法は、言うだけあって、良太郎が田舎道場で習ったものとは、かなり違っていた。
給金付きの特待生に惹かれて華桜陰高校の特待生を選んだものの、腕自慢の羅卒(警官)にあっさりと内定が決まっていたのも伊達ではなかったということなのだろう。

「そうだ。詩音は知っているのかい?」

「どなたをです?」

「大久保の母上。大久保の母上なら、さぞかし天女のような美人だろうなぁと思ってさ。」

ふと思いついて、話を振ってみた。

「ええ、それはもう。殿様が遠駆けに行って見初めたほどの方ですから。」

「市井の方なのだな?」

「え・・・?何故、それを・・・若さまがそのようなことをお話になりましたか?」

笑みの消えた詩音の表情に、きっとそこは触れてはいけない話なのだと、さすがに良太郎も気付いた。
「いや。話したと言うより、大久保がね、母上は陽だまりの匂いがするって言ってたから、野良で働いたことが有るのかもしれないと思っただけだ。」

「若さまは佐藤さまに、そんなお話をなさったんですか・・・」

詩音はしばらく躊躇った後、大久保是道の境遇について話をした。




いつもお読みいただき、ありがとうございます。  此花咲耶


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