淡雪の如く 13
良太郎にはわからなかった。
何がいけなかったのだ。
「一体、何を考えているんだ、あいつは!」
友を友とも思わないふざけた振る舞いをする大久保に、ほんの少し意見をしただけの話だ。
自分の家族の誰に問うても、悪いのは大久保だというだろう。
幼い自分の弟妹でも、悪いことをすれば叱られるし、謝るのが人として当然なのだ。
大した怪我でもないはずなのに、詩音に乞われるまま甲斐甲斐しく良太郎は仕えたのだ。
何のよしみもないのに、感謝こそされても、文句を付けられる覚えはなかった。
それなのに何故、抗えない詩音が時代錯誤な罰を受け、虐げられる当人から涙ながらに責められるのか理解できなかった。
自分も聖人君子などではない。
東京の垢抜けた玄人と遊ぶのは男の甲斐性だと、親戚辺りは入学時に勧めたくらいだ。
武家のしきたりなどは分からなかったが、念友の存在くらい田舎育ちの良太郎でも理解していた。
吉原の裏で、陰間や男郎花(おとこえし)が袖を引くくらいのことは知っている。
主従だろうと、念者だろうと、秘めた恋愛に口を出す気など毛頭ない。
だが、家臣とはいえ友として国許から連れてきたものに、夜伽を命じるとは何と言う傲慢な所業だろう。
拒めるはずも無く、俯くばかりの華奢な細首の同級生が哀れだった。
当然のように、そうしろと言う大久保に腹が立つ。
それなのに白鶴は、主人の方を庇った。
おそらく満座で恥をかかされたことを根に持って、大久保は良太郎に聞かせるために、わざとそういう単語を口にしたのだ。
「ぅあ~~っ!!」
枕に声を吸わせて、良太郎はその夜まんじりともせず吼え狂った。
*****
そして翌朝。
何事も無かったように迎えに来た詩音に、良太郎は宣言した。
「もう、ぼくは知らない。」
「大久保とは絶交するから、二度と声をかけないでくれ。」
詩音は狼狽していた。
「君が、無理なことに唯々諾々と黙って従うのも気に入らない。僕と付き合いたければ、毅然と自分の意志を持て。」
その場で俯いたきり、詩音は黙りこくっていた。
激昂する良太郎よりも、深く頭を下げた詩音の肩が震えていた。
思わず、見かねた木羽が声をかける。
「君の立場も判らんではないけど、逆らえない君がかわいそうだといって、佐藤君は昨夜、一睡もしていないんだ。」
かわいそうと言われて、詩音は良太郎に向かって猛然と抗議した。
「佐藤様。あなたがどんなご想像をされたか知りませんけれど。ご心配頂かなくとも、あれは若さまのご冗談です。」
「ふん。冗談にしても、度が過ぎるだろう。そういうまわりくどい厭味は、好きじゃない。」
ぷいとそっぽを向いた良太郎に、今や互いに苗字でなく名前で呼び合おうと言った市太郎が、笑った。
「子供みたいにすねていないで・・・冗談だったと、本人が言ってるんだ。迎えに行ってやれ。」
そして、木羽は詩音にだけ聞こえるように、詩音の耳元にそっと囁いた。
「以後、君の若さまに、首筋だけはお止めくださいと言うんだな。」
驚いて、ばっと耳朶の下に両手を当てた詩音が、桃の花色になった顔を困ったように木羽に向けた。甘噛みの痕や、吸痕の痕が見えてしまったらしい。
耳まで染まった詩音に向かって、にこにこと人が変わったように、木羽はいつもの屈託の無い笑顔を向けていた。
「あの明快な野の童子には、驚かされるだろう、内藤君。」
「・・・はい。若さまに正面きってご意見された方は、初めてです。正直、こちらも戸惑っております。」
「お互い、過去の身分差別にはいまだに泣かされるね。」
木羽の笑顔の裏には、自分と同じ隠された仄暗いものがあると、詩音は思った。
務めて平静を装う詩音は、己の優美な姿が鎧のように自分を守っていると知っている。
誰もが目を奪われるしなやかな動作で、さりげなく着ていたシャツの襟元(カラー)を引き上げた。
「お互い、望まぬ守役同士だ。これも縁だ、仲良くしよう。」
「はい、こちらこそよろしくお願いいたします。木羽様。」
詩音は既に自分を取り戻していた。
「市太郎でいい。その代わり、君のことも詩音と呼んでいいか?」
「はい。」
今は食膳にも上らないが、江戸時代、鶴の肉は高級食材として珍重されていた・・・そんな意味の無いことを木羽はふと考えた。
「どんな、味がするんだろうね・・・白鶴は。」
心の内のつぶやきが聞こえるはずもなかったが、細い首を傾けて白鶴は微かに笑った。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。 此花咲耶
何がいけなかったのだ。
「一体、何を考えているんだ、あいつは!」
友を友とも思わないふざけた振る舞いをする大久保に、ほんの少し意見をしただけの話だ。
自分の家族の誰に問うても、悪いのは大久保だというだろう。
幼い自分の弟妹でも、悪いことをすれば叱られるし、謝るのが人として当然なのだ。
大した怪我でもないはずなのに、詩音に乞われるまま甲斐甲斐しく良太郎は仕えたのだ。
何のよしみもないのに、感謝こそされても、文句を付けられる覚えはなかった。
それなのに何故、抗えない詩音が時代錯誤な罰を受け、虐げられる当人から涙ながらに責められるのか理解できなかった。
自分も聖人君子などではない。
東京の垢抜けた玄人と遊ぶのは男の甲斐性だと、親戚辺りは入学時に勧めたくらいだ。
武家のしきたりなどは分からなかったが、念友の存在くらい田舎育ちの良太郎でも理解していた。
吉原の裏で、陰間や男郎花(おとこえし)が袖を引くくらいのことは知っている。
主従だろうと、念者だろうと、秘めた恋愛に口を出す気など毛頭ない。
だが、家臣とはいえ友として国許から連れてきたものに、夜伽を命じるとは何と言う傲慢な所業だろう。
拒めるはずも無く、俯くばかりの華奢な細首の同級生が哀れだった。
当然のように、そうしろと言う大久保に腹が立つ。
それなのに白鶴は、主人の方を庇った。
おそらく満座で恥をかかされたことを根に持って、大久保は良太郎に聞かせるために、わざとそういう単語を口にしたのだ。
「ぅあ~~っ!!」
枕に声を吸わせて、良太郎はその夜まんじりともせず吼え狂った。
*****
そして翌朝。
何事も無かったように迎えに来た詩音に、良太郎は宣言した。
「もう、ぼくは知らない。」
「大久保とは絶交するから、二度と声をかけないでくれ。」
詩音は狼狽していた。
「君が、無理なことに唯々諾々と黙って従うのも気に入らない。僕と付き合いたければ、毅然と自分の意志を持て。」
その場で俯いたきり、詩音は黙りこくっていた。
激昂する良太郎よりも、深く頭を下げた詩音の肩が震えていた。
思わず、見かねた木羽が声をかける。
「君の立場も判らんではないけど、逆らえない君がかわいそうだといって、佐藤君は昨夜、一睡もしていないんだ。」
かわいそうと言われて、詩音は良太郎に向かって猛然と抗議した。
「佐藤様。あなたがどんなご想像をされたか知りませんけれど。ご心配頂かなくとも、あれは若さまのご冗談です。」
「ふん。冗談にしても、度が過ぎるだろう。そういうまわりくどい厭味は、好きじゃない。」
ぷいとそっぽを向いた良太郎に、今や互いに苗字でなく名前で呼び合おうと言った市太郎が、笑った。
「子供みたいにすねていないで・・・冗談だったと、本人が言ってるんだ。迎えに行ってやれ。」
そして、木羽は詩音にだけ聞こえるように、詩音の耳元にそっと囁いた。
「以後、君の若さまに、首筋だけはお止めくださいと言うんだな。」
驚いて、ばっと耳朶の下に両手を当てた詩音が、桃の花色になった顔を困ったように木羽に向けた。甘噛みの痕や、吸痕の痕が見えてしまったらしい。
耳まで染まった詩音に向かって、にこにこと人が変わったように、木羽はいつもの屈託の無い笑顔を向けていた。
「あの明快な野の童子には、驚かされるだろう、内藤君。」
「・・・はい。若さまに正面きってご意見された方は、初めてです。正直、こちらも戸惑っております。」
「お互い、過去の身分差別にはいまだに泣かされるね。」
木羽の笑顔の裏には、自分と同じ隠された仄暗いものがあると、詩音は思った。
務めて平静を装う詩音は、己の優美な姿が鎧のように自分を守っていると知っている。
誰もが目を奪われるしなやかな動作で、さりげなく着ていたシャツの襟元(カラー)を引き上げた。
「お互い、望まぬ守役同士だ。これも縁だ、仲良くしよう。」
「はい、こちらこそよろしくお願いいたします。木羽様。」
詩音は既に自分を取り戻していた。
「市太郎でいい。その代わり、君のことも詩音と呼んでいいか?」
「はい。」
今は食膳にも上らないが、江戸時代、鶴の肉は高級食材として珍重されていた・・・そんな意味の無いことを木羽はふと考えた。
「どんな、味がするんだろうね・・・白鶴は。」
心の内のつぶやきが聞こえるはずもなかったが、細い首を傾けて白鶴は微かに笑った。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。 此花咲耶
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