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淡雪の如く 10 

講堂に入れば、良太郎に抱かれた大久保の姿に、地鳴りともつかない大きなどよめきが起きた。本人たちには何の自覚もないので仕方がないが、とにかく良くも悪くも目立つ一群れだった。
詩音は校医に靴擦れの話をして、是道の足が痛むので、椅子にかけたまま理事長以下の話を聞く無礼を許してくれるようにと願い出て、それは容易く受理された。
布達された高貴な方の御真影の幕が引かれたときだけ、右手で椅子につかまって危なげな片足立ちの大久保是道の細腰を、さりげなく良太郎が支えてやった。その手に、おずおずと遠慮がちに大久保是道の柔な手が重ねられた。

式の間しんと静かだった新入生、上級生が、終わると同時にどっと潮が満ちるように周囲に寄せてきた。

「どうしたんだ?如菩薩は足を痛めたのか?」

「可哀想に。痛々しい姿だな。」

「はい。わたくしが、合わない靴をご準備してしまいましたので、ひどい靴擦れができてしまったのです。」

「そうか。慣れない内は良くあることだが…。」

「可哀想になぁ。」

「お薬もいただきましたので、直に良くなると存じます。」

何故か、全ての対応は詩音が受け持ち、是道は僅かに視線を振って質問者を軽く見やるだけで、何も言わなかった。見かねた良太郎が、つい口を出す。

「大久保君。君ね。皆が君を心配してくれているっていうのに、黙りこくっていないで何か言ったらどうなんだ。」

大久保是道は皆を見渡して、何か言うのを待っている友人達に向かって、初めて口を開いた。

「……詩音。部屋に戻る。」
「はい。若さま。」

おいおい……と良太郎は、内心呆れた。

「ちょっと待ちたまえ。大久保君、その態度は余りに失敬だろう。教育勅語、朋友相信(友人は互いに信じあうの意)を実践したまえ。口を開いて、心配してくれる先輩方や級友と言葉を交わしても、罰は当たらんぞ。」

詩音が是道を庇い、良太郎の前に身を呈するように身体を入れると、周囲に向かって深々と頭を下げた。

「皆さま、申し訳ございません。若さまは、大勢の中で親しく話すのに不慣れなのです。そのうちきっと慣れますから、此度はご容赦くださいませ。」

その場に異を唱えるものは、誰もなかった。大久保是道は深窓で育ったやんごとなき身分だと、すでにみな知っているらしい。

「…では、佐藤様。お部屋に戻りますから、お手をお貸しいただけますか?」

有無を言わさぬその強い語気に、思わず喧嘩を売られたような気がして、短気な良太郎は大人気ない行動を取ってしまう。
後に良太郎は、自己嫌悪でかなり落ち込むことになる。

「……大久保君本人が、ぼくに手を貸せと頼むのなら抱いてやってもいい。」

「は……?佐藤様……?何をおっしゃっているのです。わたくしが先ほど言いましたのは、お聞きにならなかったのですか?」

「聞いたけど言う。内藤君は、「若さま」に過保護すぎる。国許では通用するかもしれないが、ここは寮だぞ。各々、境遇も違う仲間が集まっているんだ。腹を割って話をしてこそ、友情が成り立つんじゃないのか。自分がして欲しいことくらい、君の口を介さずに己がきちんと伝えるべきだ。」

内藤詩音が無言で送る懇願の視線を頭から無視して、良太郎は是道の言葉を待った。
感情の覗えない雅な顔が、じっと良太郎を見つめる。
意外にも、視線は外されなかった。
詩音はそこに是道がいなかったら、きっと色々と是道の抱えた仔細を打ち明けただろうが、本人がそこにいる今は出来なかった。

はら……と、突然静かに気高い菩薩の双眸から、清らかな大粒の涙が零れ落ちる。
予期せぬ展開に周囲も度肝を抜かれたが、良太郎を見つめたまま、大久保是道はぱたぱたと零れ落ちる水滴を拭うこともせず、静かに頬を濡らした。
驚いた級友の多くが我先にハンケチを差し出したが、そのどれも手にせず是道は赤子のように涙を拭いもせず、唇を震わせた。

「……あ……足が痛む……から…。…だから……手を、か……。」

ひくっと、喉元から嗚咽が一つ漏れた。
後は落涙で言葉にならず、木羽がもういいじゃないか、可哀想だろう、と良太郎をつついた。良太郎は、まるで自分が幼い子どもをいじめたような、酷いことをしたような気がしていた。
ついには諦めて、大勢が見守る中、泣き濡れた是道の軽い身体を掬い取ると、苛々と靴音を高くして部屋に向かった。

「これしきの事で、赤子のように泣くやつがあるか。」

殆ど自分に腹を立てて、良太郎は肩を震わせる級友を抱え、部屋に向かった。

寝台にそっと下ろすと、別に君のことが気に入らないわけじゃないんだと、言い訳をした。泣かせてしまった自分に腹を立てていた。

「君と話をしたがっている連中が大勢いるのに、余りにそっけないから見かねて言ったんだ。友達は多いほどいいだろう。」

「……君は、ぼくに腹を立ててばかりだ。いつも怒っている。」

やっとまともに、大久保是道が口を開いた。

「僕が気に入らないのだろうけど……」

責めるように、声が上ずっていた。

「何故、怒っているのかわからない。」

こっちの方が聞きたいくらいだと、良太郎は告げた。

「君も縁あって、この高校に来たのだろう?国許での立場なぞ忘れて、新しく友人を作るべきだ。」

「僕は……詩音と……君が居ればいい。他の者はいらない。」

「……いらないって。」

真っ直ぐに濡れた頬を向けて、他はいらないと言う是道に、良太郎はひどく戸惑っていた。

「「あの子が欲しい、花いちもんめ」じゃあるまいし……困った若さまだな。」

傍で立ち尽くし見つめる内藤詩音にも、聞きたいことは山ほどあった。
だが、この従者はおそらく大久保是道の名誉に関わることなど、決して口にはしないだろう。
詩音は幼い時から是道の傍らで過ごして来たが、誰にも言えない秘密は余りに多かった。




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