淡雪の如く 15
翌朝。
ついに、良太郎は腹を決めた。
毎日迎えに来る詩音に、今日こそ断固として断りを入れる。
もう足の傷は良くなっているだろうから、教室へは自分で歩いていけというつもりだった。
勉学にいそしむために、入寮したのにいつまでも馬鹿げた守りはしていられない。…と、迎えに来た詩音に、良太郎は堂々と正論を語った。
「……と、いうことだ。大久保には、すぐに物理学教室で会う。よろしく伝えておいてくれ。」
「そんな……佐藤さま。詩音は若さまに、なんとお伝えすればいいでしょう。今日も、身支度を済ませてお待ちですのに。」
詩音は膝をついた。
「佐藤様。お願いいたします。何とかお考えを翻していただけませんか……」
縋る白鶴に、引導を渡した。
「だから!君が、そんな風だからいけないんだ。いつまでもそうやって甘やかすから、とうに治った足が床に下りないんだ。ここは、国許じゃないのですから自分で歩いてくださいって大久保君に言え。」
詩音はひどく落胆した様子で、ひとつ頭を下げてのろのろと立ち上がると部屋を辞した。
一本気な良太郎の固い決心が、もう変わることはないと理解したのだろう。
肩を落として退出する姿に、「詩音」と声をかけて木羽が後を追った。想像はつく。
人のいい木羽はおそらく自分で良ければなどと言っているに違いない。
「ふん。」
肩の荷が一つ降りたような気がしていた。
*****
立て襟の洋シャツに袴を合わせ、下駄をはいた。
数冊の教科書を抱え階段式の教室へ向かう良太郎は、書生のようだった。
「お、佐藤君。今日は一人か。」
「懐が寂しそうだな。姫君に振られたのか。」
「とうとう、お役御免だ。」
友人に、笑って返した。
「おい。佐藤君、君を呼んでるんじゃないか?ほら。」
ふと渡り廊下から見える学生寮の窓で、誰かが良太郎の名を叫ぶのに気が付いた。
「……市太郎か?」
「何かあったのか?……。」
窓は角部屋の、大久保是道と内藤詩音の部屋だった。
身を乗り出し手を振っている尋常でない気配に、胸騒ぎを覚えて寮へと駆け戻る。
大久保是の部屋で何かが起こっているらしい。
扉が開け放たれ、蒼白になった詩音が「わ、若さまが……」といったきり、がたがたと膝をつき震えていた。
「どうした、詩音。何があった……?大久保に何かあったのか?」
木羽が、顎で指し示す先に転がった西洋ランプがある。
「市太郎?」
「これから如菩薩は、火をつけるんだそうだよ。」
「穏やかじゃないな。火とはどういうことだ?」
「うん。どうやらね、痛めた足が元通りになって、君が愛想尽かしをするのなら、もう一度傷めるしかないと思ったようだよ。どうしても、君の手が欲しいんだろうね。」
続く言葉に、良太郎はすっかり呆れた。
「そこに転がった西洋ランプの油は、清らかな如菩薩の足の包帯に吸われているらしい。」
「なっ……!足を焼くつもりなのか!?」
「お願いです。若さまを御止め下さい。佐藤さま。」
思わず持っていた教科書を、床にばらばらと取り落としてしまった。
「何をやってるんだ、大久保っ!このばかっ。」
「佐藤……」
押し入った良太郎の姿に、一瞬喜色を浮かべた大久保是道の手にマッチがあった。
良太郎が部屋に飛び込む瞬間を待っていたかのように、着火しやすい黄燐マッチの頭薬が足の上に落ちて、青い火が瞬時に上った。
「あっ!!」
「きゃああっ…若さまーーっ!」
詩音が顔を覆って倒れこんだ。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。 此花咲耶
ヾ(。`Д´。)ノ良太郎:「こら~!、大久保~!何やらかしとんじゃ、ぼけ~かす~」
ついに、良太郎は腹を決めた。
毎日迎えに来る詩音に、今日こそ断固として断りを入れる。
もう足の傷は良くなっているだろうから、教室へは自分で歩いていけというつもりだった。
勉学にいそしむために、入寮したのにいつまでも馬鹿げた守りはしていられない。…と、迎えに来た詩音に、良太郎は堂々と正論を語った。
「……と、いうことだ。大久保には、すぐに物理学教室で会う。よろしく伝えておいてくれ。」
「そんな……佐藤さま。詩音は若さまに、なんとお伝えすればいいでしょう。今日も、身支度を済ませてお待ちですのに。」
詩音は膝をついた。
「佐藤様。お願いいたします。何とかお考えを翻していただけませんか……」
縋る白鶴に、引導を渡した。
「だから!君が、そんな風だからいけないんだ。いつまでもそうやって甘やかすから、とうに治った足が床に下りないんだ。ここは、国許じゃないのですから自分で歩いてくださいって大久保君に言え。」
詩音はひどく落胆した様子で、ひとつ頭を下げてのろのろと立ち上がると部屋を辞した。
一本気な良太郎の固い決心が、もう変わることはないと理解したのだろう。
肩を落として退出する姿に、「詩音」と声をかけて木羽が後を追った。想像はつく。
人のいい木羽はおそらく自分で良ければなどと言っているに違いない。
「ふん。」
肩の荷が一つ降りたような気がしていた。
*****
立て襟の洋シャツに袴を合わせ、下駄をはいた。
数冊の教科書を抱え階段式の教室へ向かう良太郎は、書生のようだった。
「お、佐藤君。今日は一人か。」
「懐が寂しそうだな。姫君に振られたのか。」
「とうとう、お役御免だ。」
友人に、笑って返した。
「おい。佐藤君、君を呼んでるんじゃないか?ほら。」
ふと渡り廊下から見える学生寮の窓で、誰かが良太郎の名を叫ぶのに気が付いた。
「……市太郎か?」
「何かあったのか?……。」
窓は角部屋の、大久保是道と内藤詩音の部屋だった。
身を乗り出し手を振っている尋常でない気配に、胸騒ぎを覚えて寮へと駆け戻る。
大久保是の部屋で何かが起こっているらしい。
扉が開け放たれ、蒼白になった詩音が「わ、若さまが……」といったきり、がたがたと膝をつき震えていた。
「どうした、詩音。何があった……?大久保に何かあったのか?」
木羽が、顎で指し示す先に転がった西洋ランプがある。
「市太郎?」
「これから如菩薩は、火をつけるんだそうだよ。」
「穏やかじゃないな。火とはどういうことだ?」
「うん。どうやらね、痛めた足が元通りになって、君が愛想尽かしをするのなら、もう一度傷めるしかないと思ったようだよ。どうしても、君の手が欲しいんだろうね。」
続く言葉に、良太郎はすっかり呆れた。
「そこに転がった西洋ランプの油は、清らかな如菩薩の足の包帯に吸われているらしい。」
「なっ……!足を焼くつもりなのか!?」
「お願いです。若さまを御止め下さい。佐藤さま。」
思わず持っていた教科書を、床にばらばらと取り落としてしまった。
「何をやってるんだ、大久保っ!このばかっ。」
「佐藤……」
押し入った良太郎の姿に、一瞬喜色を浮かべた大久保是道の手にマッチがあった。
良太郎が部屋に飛び込む瞬間を待っていたかのように、着火しやすい黄燐マッチの頭薬が足の上に落ちて、青い火が瞬時に上った。
「あっ!!」
「きゃああっ…若さまーーっ!」
詩音が顔を覆って倒れこんだ。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。 此花咲耶
ヾ(。`Д´。)ノ良太郎:「こら~!、大久保~!何やらかしとんじゃ、ぼけ~かす~」
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