淡雪の如く 14
「大体何で、ぼくなんだと思うよ。他にも力のあるものはいるだろう?」
子どものようにふくれっ面を向けた良太郎に、友人が吹き出した。
「理由なんてあるものか。恋は盲目というだろう?一途なもんだ。」
「その手の冗談は、間違いなく君に血の雨を降らせる口実になるぞ。あれはぼくを困らせて楽しんでいるんだ。」
「そんな風に言うものじゃないよ。親愛の情を示す方法がわからないだけさ。」
「日本がいよいよ露国と戦になろうかというときに、何が嬉しくて毎日男を抱きかかえねばならんのだ。日本男児なら考えることは山ほどあるはずだ。」
ため息を吐く良太郎を眺めて、木羽はどこか楽しそうにしていた。
日々、迎えに来てくれと床にぺたりと平伏を繰り返す詩音には何も言えず、良太郎が口にしたのは愚痴でしかなかった。
「…華族さまの考えることは皆目わからん、大久保を庇う君の事も理解不能だ。あれだけの啖呵を切って馬鹿にしたくせに、なんでぼくの手を欲しがるんだ、あの如菩薩は。」
「ぼくの田舎じゃ、小骨の一本や二本、折れてたってみんな野良で働くぞ。たかが、肉刺(まめ)が潰れたくらいでどれだけ大げさなんだ。」
「まあまあ、怒ってばかりだと飯がまずくなるぞ。飯くらい、楽しく食おう。」
「……それもそうだな。うまそうだ。」
寮生は、広い学生食堂に集まって食事をする。
食堂での生徒の話題の関心は、戦争を避けられそうにない大国露国とわが国の行方と、学生寮での揉め事で、皆詳細を知りたがった。
もっとも遠まわしに聞き出そうとしても、そういう小細工は、単純明快な良太郎には通じなかった。
初めて食する西洋風の煮込みを、銀匙で音を立てないように平らげながら、線の細い外国語の教師が近寄ってくるのを認めた。
直立不動で、良太郎と市太郎は頭を下げた。
「ご一緒してもいいかな。噂の騎士どのは、ご友人とお食事ですか?」
お雇い外国人は、流暢(りゅうちょう)な日本語を話した。
「今日は、足を痛めた花の姫君はご一緒ではないのですか?揃っているととても、お似合です。」
「あいにく深窓の茨姫は、機嫌を損ねて城の奥ですよ。食事は王子とは取りたくないようです。」
口をとがらせた良太郎に代わって、市太郎がモンテスキュウ教授に返事をした。
「この朴念仁の王子には、残念ながら美姫の魅力は判らないらしいです、教授。」
「おや。もったいない。あんなに、魅力的な姫君を袖にするなんて。」
学生の輪に入り、親しく食事をとりながら歓談するモンテスキュウ教授は、華桜陰高校設立以来、長く外国語講師として教鞭をとっている。
「ふん。大和撫子がいいんだ、ぼくは。」
空になった食器を盆に片付けながら、良太郎の言動になにやらこの真っ直ぐな性格は懐かしいねと、フランス人のドイツ語教師は笑った。
「昔、君のような生徒が居ましたよ。名前を聞けば、君たちも知っているかな?ジョサイヤ・コンドルの弟子になって、今や建築家として有名を馳せている湖上君です。」
その場に居た、建築家志望のものが思わず口にした。
「知っています。如月財閥の本社家屋を手がけた湖上颯さんでしょう。」
「ああ、ご存知でしたか。」
「勿論です。」
華桜陰高校の卒業生には、各界の著名人が綺羅星の如く名を連ねていた。
教授は彼らを懐かしむように、いくつかの思い出話をした。
やがて紅茶を運ばせると、モンテスキュウ教授は食堂に居たもの全てに、菓子と共に振舞った。
ティーカップを優雅に持ち上げて、語った。
「若いと言うのは、すばらしいことだよ。君達の可能性は、全て君達のものだ。」
「大いに悩み、傷つきたまえ。艱難(かんなん)こそが君等を珠にするのだから。」
長い足を組み替えて、モンテスキュウ教授はくすりと笑った。
「時が経てば、ここで過ごしたすべてが、人生の中で最良に甘露な日々だったと懐かしくなるでしょう。些細ないさかいなども全てね……。」
内心では忸怩(じくじ)たる憂いを抱えていた教授は、教え子たちを優しい眼差しで見つめていた。
モンテスキュウ教授の愛する故国、仏蘭西が露国に組しているのは、彼をひどく落胆させていた。
まもなく露国と、大日本帝国が衝突しようとしている。
平和に寮生活を送る学生たちの中にも、いつか戦禍に呑まれる者がいるかもしれない…。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。 此花咲耶
男色家のモンテスキュウ教授には、故国での投獄経験があります。(〃ー〃)
子どものようにふくれっ面を向けた良太郎に、友人が吹き出した。
「理由なんてあるものか。恋は盲目というだろう?一途なもんだ。」
「その手の冗談は、間違いなく君に血の雨を降らせる口実になるぞ。あれはぼくを困らせて楽しんでいるんだ。」
「そんな風に言うものじゃないよ。親愛の情を示す方法がわからないだけさ。」
「日本がいよいよ露国と戦になろうかというときに、何が嬉しくて毎日男を抱きかかえねばならんのだ。日本男児なら考えることは山ほどあるはずだ。」
ため息を吐く良太郎を眺めて、木羽はどこか楽しそうにしていた。
日々、迎えに来てくれと床にぺたりと平伏を繰り返す詩音には何も言えず、良太郎が口にしたのは愚痴でしかなかった。
「…華族さまの考えることは皆目わからん、大久保を庇う君の事も理解不能だ。あれだけの啖呵を切って馬鹿にしたくせに、なんでぼくの手を欲しがるんだ、あの如菩薩は。」
「ぼくの田舎じゃ、小骨の一本や二本、折れてたってみんな野良で働くぞ。たかが、肉刺(まめ)が潰れたくらいでどれだけ大げさなんだ。」
「まあまあ、怒ってばかりだと飯がまずくなるぞ。飯くらい、楽しく食おう。」
「……それもそうだな。うまそうだ。」
寮生は、広い学生食堂に集まって食事をする。
食堂での生徒の話題の関心は、戦争を避けられそうにない大国露国とわが国の行方と、学生寮での揉め事で、皆詳細を知りたがった。
もっとも遠まわしに聞き出そうとしても、そういう小細工は、単純明快な良太郎には通じなかった。
初めて食する西洋風の煮込みを、銀匙で音を立てないように平らげながら、線の細い外国語の教師が近寄ってくるのを認めた。
直立不動で、良太郎と市太郎は頭を下げた。
「ご一緒してもいいかな。噂の騎士どのは、ご友人とお食事ですか?」
お雇い外国人は、流暢(りゅうちょう)な日本語を話した。
「今日は、足を痛めた花の姫君はご一緒ではないのですか?揃っているととても、お似合です。」
「あいにく深窓の茨姫は、機嫌を損ねて城の奥ですよ。食事は王子とは取りたくないようです。」
口をとがらせた良太郎に代わって、市太郎がモンテスキュウ教授に返事をした。
「この朴念仁の王子には、残念ながら美姫の魅力は判らないらしいです、教授。」
「おや。もったいない。あんなに、魅力的な姫君を袖にするなんて。」
学生の輪に入り、親しく食事をとりながら歓談するモンテスキュウ教授は、華桜陰高校設立以来、長く外国語講師として教鞭をとっている。
「ふん。大和撫子がいいんだ、ぼくは。」
空になった食器を盆に片付けながら、良太郎の言動になにやらこの真っ直ぐな性格は懐かしいねと、フランス人のドイツ語教師は笑った。
「昔、君のような生徒が居ましたよ。名前を聞けば、君たちも知っているかな?ジョサイヤ・コンドルの弟子になって、今や建築家として有名を馳せている湖上君です。」
その場に居た、建築家志望のものが思わず口にした。
「知っています。如月財閥の本社家屋を手がけた湖上颯さんでしょう。」
「ああ、ご存知でしたか。」
「勿論です。」
華桜陰高校の卒業生には、各界の著名人が綺羅星の如く名を連ねていた。
教授は彼らを懐かしむように、いくつかの思い出話をした。
やがて紅茶を運ばせると、モンテスキュウ教授は食堂に居たもの全てに、菓子と共に振舞った。
ティーカップを優雅に持ち上げて、語った。
「若いと言うのは、すばらしいことだよ。君達の可能性は、全て君達のものだ。」
「大いに悩み、傷つきたまえ。艱難(かんなん)こそが君等を珠にするのだから。」
長い足を組み替えて、モンテスキュウ教授はくすりと笑った。
「時が経てば、ここで過ごしたすべてが、人生の中で最良に甘露な日々だったと懐かしくなるでしょう。些細ないさかいなども全てね……。」
内心では忸怩(じくじ)たる憂いを抱えていた教授は、教え子たちを優しい眼差しで見つめていた。
モンテスキュウ教授の愛する故国、仏蘭西が露国に組しているのは、彼をひどく落胆させていた。
まもなく露国と、大日本帝国が衝突しようとしている。
平和に寮生活を送る学生たちの中にも、いつか戦禍に呑まれる者がいるかもしれない…。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。 此花咲耶
男色家のモンテスキュウ教授には、故国での投獄経験があります。(〃ー〃)
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