終(つい)の花 3
人の気配に、ふっと顔を上げる。
「まあ。直正は遊び疲れて、旦那さまの背中で眠ってしまったのですか?」
「うん。歩きながら舟をこぐのでおぶってやったんだ。布団を敷いてやってくれ。手慰みに作った竹とんぼを、ずいぶん気に入ったようでな。何度も飛ばしてくれとねだられたよ。」
「そんな風にお優しいから、直正は父上が一番好きなのですね。ほら、直正。いらっしゃい。」
母はずっしりと重い直正を受け取った。
「いやいや。直正の一番はお隣の濱田の家に生まれたばかりの赤子だろう?まだ生まれたばかりだというのに、可愛くてたまらないようだ。上手に飛ばせるようになったら、竹とんぼを飛ばして見せてやるのだそうだよ。ほら、一生懸命練習して、手のひらが真っ赤になってしまったから、冷やしておやり。」
「直正はそんな気の早いことを、言っているのですか。」
「弟が出来たようで嬉しいのだろうな。濱田どのに、剣術も勉学もわたしが教えて差し上げますと話したそうだ。きっとよい兄分になるだろう。直正が願を掛けてくれたおかげで男児が生まれた、力強い後見が出来たと言って濱田の舅殿も喜んでおった。」
父は、はは……と声を上げて楽しげに笑った。
「それほどまでに直正は、男兄弟が欲しかったのでしょうね。わたくしは女腹で申し訳もございませぬ。」
母は、直正以外に男児を上げられなかったことを気にしていた。
「なんの、気にする事は無い。そなたはきちんと立派に嫡男を上げたではないか。それに娘たちは皆お前に似て、器量の良い子ばかりだ。わたしの自慢の娘たちだよ。子供たちの良いところを見つけて伸ばしておやり。直正はとても優しい子だから、赤子が気になるのだろう。」
「直正は、妹たちの面倒も良く見てくれます。でも優しいばかりでは、武士の子は務まりませぬ。しっかりと武芸も鍛えませんと。」
「そうだな。だが直正は賢い子だ。いずれ藩のお役にたつだろうよ。」
「はい。」
しばらく直正の寝顔を見て居た父親は、縁側で刻み煙草に火をつけた。
ゆらと紫煙が立ち上る。
「香苗。言い置くことが有る。」
「はい。改まって何でございますか。」
「藩政見習いの為に、いよいよ江戸の若殿さまが会津に下向されるそうだ。来月には家中の者と、顔合わせをすることになる。その後、追鳥狩りをなさるとお達しがあった。わたしも参加する。」
「若殿さま……ご養子に入られた容保さまとは、どのようなお方なのでしょうか?」
「直正とは10歳違いの17歳だ。高須のお生まれで、上さまの覚えもめでたく、幕閣のご重臣方も舌を巻くほど弁舌さわやかな利発なお方だと聞いている。生憎、お身体はそれほど頑健というわけではないらしいが、あのな……江戸で対面したご家老さまがおっしゃるには……。」
「なんですの?」
一衛の父は辺りに人がいないのを素早く確かめると、妻の肩を抱き耳にそっと告げた。
「若殿さまは大層見目麗しいお方だそうだ。江戸家老がまるで凛々しい男雛のようだと言って居った。いずれ藩主におなり頂くのに、ご器量の方は何の不満もございませんと、江戸屋敷から城代さまに知らせて参ったらしい。」
妻の香苗は、ほほ……と笑った。
「お国入りが楽しみですこと。天下に勇名を馳せる会津武士の棟梁が、高貴な男雛のようとは、ご家老さまも上手くおっしゃいます。」
「わたしも直正もそのような頼もしい若殿さまにお仕えするのだ。我が会津藩は、この先、千年も万年も安泰だろうよ。」
「ほんとうに。」
残念ながら、直正の父、相馬源之助の予言は当たらなかった。
後世に名を残すという意味では、的を得ていたのかもしれない。確かに会津は人々の記憶に鮮烈に残った。
だが、形骸と成った幕府を藩祖の教え通りに支え、朝廷に頼りにされた至誠の人、後に幕末の悲劇を語る筆頭の人物となってしまった容保を藩主に抱いた藩民の苦難を、この時は誰も想像だにしなかった。
幕末最大の惨劇の主人公となった容保を藩主に頂いた会津藩には、塗炭の苦しみと耐えがたい困難が次々と襲う事になる。
あどけない顔で眠る幼い直正も、襲い来る歴史の奔流に投げ出されてゆく。
生まれたばかりの一衛も、身長ほどもあるゲベール銃に持ち換えて、鶴ヶ城で籠城した後、大好きなお隣の直正の背中を追って、遥か江戸の地で命を落とすことになる。
雪一片の如く時代の中に消えゆく二人……儚い人生であった。
本日もお読みいただきありがとうございます。(*⌒▽⌒*)♪
父の背中で眠ってしまった直正の見る夢は、歩きはじめた一衛と竹とんぼで遊ぶ夢なのでしょうか。
早く大きくなぁれ。 此花咲耶
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