Café アヴェク・トワで恋して35
荒木の指示に従って、慌ただしく野菜を刻み、パスタ用のソースを作り、カツに衣をつけてゆく。
尾上は頭を下げた。
「店長。すみませんが、昼まで抜けさせてください。」
「兄貴の店は、昨日で閉めていると思うぞ。」
「はい。家の方に行きます。電話でも話せるけど、直接会って言いたいんです。居るかどうかわからないけど、行ってきます。」
「そうか。ま、気のすむまで話して来い。」
尾上は駆け出した。
自分の前では完璧に見えた兄が、内側に弱い部分を持っていても、自分にとって兄に代わりはないと言うつもりだった。
それが、少しでも兄の足元を照らす光になるのなら、道を踏み外しかけた自分が、物心両面で兄にどれほど助けられてきたか、きちんと言葉で感謝を伝えようと思った。
ゆくべき道を示してくれた兄がどんな人間でも、出来るなら今度は自分が支えになりたいと尾上は考えを巡らせた。
兄弟として過ごした時間はわずかでも、それがきっと血というものなのだから。
*****
尾上と黒崎がどんな会話を交わしたか、直も松本もその後を知らない。
何事もなかったように、せわしなく働く直の姿を、松本は頼もしく思いながら見つめていた。
出会ったときは、緊張のあまり椅子から転げ落ちた。
黒崎に傷つけられた心は、今も癒えているとは言い難い。何度も割れた皿で、指先を傷つけながら、すみませんと肩を震わせて泣いていた。
それでも、直は前を向く。
「直。楽しそうだな。」
「はい。すごく。」
顔を上げた直が、松本に満面の笑顔を向けた。
「好きだぞ。」
「おれもです。」
黙って揚げパンの生地をこねていた荒木は、力任せに大理石の調理台に叩きつけた。
「二人ともいっぺん死ね!」
「妬くなよ、荒木。お前にもそのうち、誰か最愛の男ができるって。」
「……おっと。」
荒木は、危うく生地を取り落しそうになった。
「何で、俺の恋人が男限定なんっすか?俺、昔っからおっぱい星人で、筋金入りの女好きで有名なんすよ。」
「そうなのか?尾上といい感じだったから、てっきりそうなのかなって思ってた。」
「言っておきますけど、俺は良識ある上司として尾上に接しているだけですからね。松本さんみたいに、面接初日にスタッフに手を出すようなことはしません。大体、店長ならもっと店長らしくしないと、他のスタッフに示しがつかないでしょう?雇ったパティシエに手を出すなんて前代未聞の事件ですよ。事件!」
「直。このカツ、切れ込みいれてんのか?」
「はい。歯の弱い人も食べやすいように、格子に細かく入れてあります。火も通りやすくなるって、荒木さんが……」
「そっか。……ん?荒木、なんか言ったか?」
「は~……」
荒木は脱力した。
このバカップルには何を言っても無駄なのだと、すでに諦めの境地だった。
「……もう、いいっす。好きにやってください。」
「直。荒木が好きにしろって。なぁ、ちょっとだけ、家に帰ろうぜ。」
「駄目です。まだ仕込み途中なんですから。」
以前にも繰り返された光景を、荒木はため息混じりに眺めるしかなかった。
本日もお読みいただきありがとうございます。(〃゚∇゚〃)
変わらぬ光景にほっとしながら、荒木は少し尾上も心配をしているでしょうか。
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