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パンドラの夏 1 

サッカーのクラブチームで活躍していた、従兄弟の蒼太(そうた)兄ちゃんが大怪我をして病院に運び込まれた。
チームメイトのスパイクが、膝を直撃してレントゲンで見ると半月板が見事に割れていたそうだ。

元々、膝に故障を抱えていたのを騙しながら続けていましたからねぇと、治療に当たった大学病院の先生が冷たく引導を渡した。

「両膝にボルトを埋め込めば一般生活は可能ですけど、選手として元通りに活躍できるかと問われれば、不可能としか言いようがないですね」
「サッカー選手は元々短命なものですから、引退後は指導者としてチームで働いて下さい」

チームのオーナーも今後の身の振り方を告げた。

夕暮れの病室、心配で心配でそっと覗いたら、心なし青ざめた蒼太兄ちゃんが手招きして、いつものように優しく笑った。

「円(まどか)。足が駄目になっちまった……サッカーをしてるお兄ちゃんが好きだって言ってたのになぁ。出来なくなって、ごめんな」
「ごめんねなんて……蒼太兄ちゃん……」

怪我をした蒼太兄ちゃんが泣かずに、側にいたぼくの方がぼろぼろ泣いていた。
怪我をした蒼太兄ちゃんは笑顔で、側にいたぼくの頭を撫でた。

そして次の日。
車椅子の蒼太兄ちゃんは、海の見える病院から何も告げずに姿を消したんだ。
怪我人の消えた病室で、ぼくはずっと窓から海を眺めていた。
寂しく笑った蒼太兄ちゃんがひとりぼっちでいる思うと、涙が溢れて止まらなかった。

蒼太兄ちゃん、ぼくね、競技場で走り回っている蒼太兄ちゃんが大好きだったよ。
蒼太兄ちゃん、ぼくね、ゴールを決めた蒼太兄ちゃんがぼくに向けてくれる笑顔が大好きだったよ。
蒼太兄ちゃん、それからぼくね、まだ言ってない大切な話があるんだよ。

ばぁかって笑うかもしれないけど、どうしても伝えたい事があるんだよ。
でも……。
一生懸命探したけど、蒼太兄ちゃんはどこにも見つからなかった。

放課後、部室でサッカー部の先輩達が噂をしてた。

「でかいギブスを巻いてたから、絶対そうだと思うけどな」
「ホストみたいな派手な奴等と、繁華街で一緒にいるのを見たんだ」
「蒼太先輩も、足駄目になったんで自暴自棄になったか」
「代表の話も有ったらしいのになぁ、パァだろ、あれで」
「まじっすか?足やっちゃお終いだとは思ってたけど、落ちるとこまで落ちたもんすね」

聞きかすった裏のない噂話を頼りに、県庁のある離れた大きな町を、ぼくは独り歩く。
酔っ払いが大勢いる、夜の街はちょっとおっかない。
迷い込んでしまった狭い路地裏、道幅いっぱいの人の群れとすれ違い様、どんと肩が当たる。

「ションベンくさい餓鬼が、こんなとこで何やってんだ、ああ?」
「すみません」
「あ!おまえ、ちょっと待て」

やり過ごそうとしたら、ぶつかった相手がぼくの腕を掴んで、ぐいと引き寄せた。

「ぶつかって、ご、ごめんなさい。ぼく人を探していて、急いでいたんです……」
「人探しだぁ?」

この人です、知りませんかと、蒼太兄ちゃんの写真を見せて、必死で問うた。
相手が、くすっと笑ってユニホームを着た蒼太兄ちゃんの写真をぴりと引き裂いて捨てた。

「あ。写真……」
「いいから、いいから」
「引退選手のユニホーム写真なんて、もう必要ないでしょ?この、お兄ちゃん?住所を教えてくれたら、見つけて連絡してやるよ」

住所を口にすると、バカだね~言うなんてと、男達は一斉に笑った。

「悪い人に、住所なんて教えるもんじゃないよ。架空の請求書が行っちゃうよ」
「そうだ。おうちに帰る前に、お兄さん、色々いけないこと教えちゃおうかな~」
「ちょっと、おいで」
「やっです」
「いいから、ほら」
「は、はなしてっ」
「いいから、来るんだよ!」

顔にふうっとお酒と煙草の臭いのする息を吹きかけられて、ぼくはむせかえりよろめいた。
背中を押されて、表通りを歩くぼくを見ても、満ち行く人はみんな見て見ない振りだった。
どう見ても、普通の人たちじゃない気がする、派手な一群。
こんなに簡単に囚われて、ぼくはどこへ行くんだろう。

「蒼太兄ちゃん、どこ……助けて、蒼太兄ちゃん……」

知らないうちに、小さく名前を呼んでいた。
不安で心臓がきゅうっとなるほど痛かった。
蒼太兄ちゃんに、逢いたかった。
蒼太兄ちゃんがいなくなって、ぼくの胸にできた大きな大きな埋められない穴に、びゅうびゅうと風が吹く。

「おまえは、サッカーをする蒼太兄ちゃんが好きだったんだろ?」

ぼくを連れてきた金色の髪のお兄さんが、正面に椅子をすえるとどかっと座り込んで、何故かそんな話を聞いてきた。
ぼくは、こくと頷いた。

「サッカーをしない蒼太兄ちゃんは、もうどうだっていいんだろ?」

違うよ、違う。

「サッカーの出来ないかっこ悪いお兄ちゃんには、用がないよなぁ。いなくなって、せいせいしたか?」

この人は、何を言ってるんだろう。

「そんなに好きなら代わりのサッカー選手、紹介してやろうか?はっきり言ってみな。もういらねぇよな、蒼太みたいなぽんこつ選手」

敵わないと分かっていたけど、ぼくは怒りに任せて無意識の内に拳を振り上げた。
何も知らないくせに!

「蒼太兄ちゃんは、ぽんこつなんかじゃないっ!蒼太兄ちゃんを悪く言うなっ……!」

どれだけの努力をしてプロのチームに入ったか、何も知らないくせに。
振り上げた拳は、一瞬で受けとめられてぼくはあっさり、捕らわれた。

「おい、おまえいい匂いだなぁ」

振りほどこうとしても、どんどん砂の中に落ちてゆくみたいに、ぼくはがっちりと腕の中に納まっていた。

「は、はなせっ!」
「なぁ、プロじゃないけどさ、俺もサッカーやるんだよ。フットサルじゃそこそこ、ランクも上位だし上手い方だぜ。いっそ、俺にしとけよ」

知らない、知らない、あんたなんか知らない。

「ぼくが好きなのは、あんたのやってるサッカーなんかじゃないっ。蒼太兄ちゃんが……やってるから……大好きな蒼太兄ちゃんがやってるから、サッカーを好きになったんだ!少しでも近付きたくて……側に居たかったから、始めたんだっ」

じたばたと抗いながら、蒼太兄ちゃんに伝えられなかった言葉をわめいた。
戒めが解けて、ぼくは床にどっと崩れ落ちた。
振り返った男が、ははっと何故だか笑った。

「ほら、もういいぞ。大好きな蒼太兄ちゃんを、連れて帰りな」

コツと乾いた音がして、ぼくの知ってる声がした。

「円(まどか)?何で、こんなところに……」

見上げると知ってる顔があった。
ぼくのおでこに、ぽつりと落ちてきたのは涙……?

「怪我した足と一緒に何もかも、なくしたと思ってたのに。一番失くしたくないものが残ってた……」

夏。

蒼太兄ちゃんの泣いた顔を、初めて見た。




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