青い海の底の浄土・4
あの健康で働き者だった兄が、どうしたものか。
飲まず食わずの童子に夢中になり、褥に臥した童の面倒を見る兄は、目の下に濃い隈をつくり、どんどんやつれて行くばかりだった。
相変わらず、ぼんやりと「主上・・・」と口にしては、兄に縋るばかりの童子であった。
「兄者。この有様は何としたことだ。」
「ええい、こやつは、もうこの家から追い出したほうが良い。もしかすると、人の命を喰らう狐狸、もののけの類かも知れぬ。」
「何日も、飯を食わずにそのように平気で居れるはずが無い。」
兄の胸元にひしと掻き付いた美童の、豊かな黒髪を掴んで引き剥がし、表に引きずり出そうとしても、弟の手を捩りそうはさせまいと顔色を変えるのは兄の方だ。
「何をする!哀れな童子に、そのような無体をするでない!」
「赤くなってしまったな、可哀想に。痛うはなかったか?」
「主上・・・」
そっ・・・と、滑らかな細い腕を壊れ物でも触るように撫でる、兄の姿に弟は腹を立て表へと走り出た。
「兄者・・・魔物の手に落ちたか・・・情けない。」
かうなる上は「魔」を払うしかないと思い余って、弟は死者の弔いに忙しい僧侶の元へと悲痛な面持ちで、再び訪れた。
妙な者を海で拾い上げて以来、兄者は気がふれたようになってしまった、と、深い苦悩を浮かべて若い漁師は語る。
側にはべって、片時も離れようとしないのは、一体何の思惑有っての事だろうか・・・と。
あれは人間のような生きている気配がしない、命を持たぬ妖(あやかし)か何かだろうかと問う真剣な瞳に、徳の高い僧は何やら思うところがあるようだった。
「名を告げたのだな?」
「はい。確かに、わたしが漏れ聞いたのは「あまがつ」という名でございました。」
「天児(あまがつ)と、名乗ったか。よしよし、それで大体の見当はついた。」
「兄は元に戻りますでしょうか。」
大きく頷くと、僧は傍らの墨を取り、文書をしたためた。
「よいか?そなたは夜更けにこれをもって沖へ行き、お忘れ物でございます、と船のへさきから叫んで参れ。」
「お忘れ物でございますと、叫べばよいのですね?」
「沖に行けば、おそらく何かの予兆があるだろうよ。拙僧の考えが正しければ、きっと兄の命は助かるから、心配は要らぬ。」
「あの、天児(あまがつ)と名乗ったは、おそらく龍神の持ち物じゃ。」
「龍神の・・・?」
弟には今ひとつ理解しかねる風であったが、兄を救いたい一心で、今はわらをも縋る心持で、僧の書いたものをありがたく押し頂いた。
そして夜半、月が中空に上がったころを見計らい、僧の言いつけどおり小船に乗り込んだ。
高く上がった銀盆のような満月は、きらきらと水面で照り返し、金波、銀波の細かな銀杏の葉を散らしたような凪である。
船は紙の上を滑るように静かに進み、ふと明かりを近づけて海底を見ると細かな気泡が浮かんでくる。
微かに弾ける時に、あぶくの中から話し声がしたような気がしたが、まさか、さような事はあるまい・・・とごちた。
******************************
いつもお読みいただきありがとうございます。
拍手もポチも、励みになっています。
しばらく続きますので、よろしくお願いします。
今日のお話は、兄ちゃんと天児がらぶらぶで弟、嫉妬めらめら~でした。(*^ー^)ノ 此花
- 関連記事
-
- 青い海の底の浄土・12 (2010/12/12)
- 青い海の底の浄土・11 (2010/12/11)
- 青い海の底の浄土・10 (2010/12/10)
- 青い海の底の浄土・9 (2010/12/09)
- 青い海の底の浄土・8 (2010/12/08)
- 青い海の底の浄土・7 (2010/12/07)
- 青い海の底の浄土・6 (2010/12/06)
- 青い海の底の浄土・5 (2010/12/05)
- 青い海の底の浄土・4 (2010/12/04)
- 青い海の底の浄土・3 (2010/12/03)
- 青い海の底の浄土・2 (2010/12/02)
- 青い海の底の浄土・1 (2010/12/01)
- 青い海の底の浄土<作品概要> (2010/12/01)