青い海の底の浄土・3
兄弟は顔を見交わし、密かに見守った。
「おそらくは、我らとは反目する、平氏の抱く天皇さま、もしくは上皇さまあたりであろうよ。」
「お側近くに仕えていた者に、間違いは有るまい。」
「寵童かもしれぬな。」
僧に報告し、検非違使所(役所、警察のようなもの)に知らせるべきかどうか、兄弟は思案に暮れた。
「ともかく早く、気が確かになると良いのだが・・・」
白い顔でとろとろと眠りについたまま、濡れた衣服を改める間も硬く目を瞑ったきり、ひたすらに眠るだけであった。
時折口走る「主上」と言ううわごとに、何度も夜中に眠りを妨げられて兄は蒲団を被り直した。
気が付くと、黒目がちの濡れた瞳が熱を持って、月明かりの中じっと自分に向けられていた。
意識を失っても絶えず名を呼び、焦がれる「主上」とは、いかなる姿をしているのだろう・・・
胸が騒ぐほどの、視線を向けられて兄は戸惑っていた。
熱い視線がとろけるように、兄の腕を求めていた。
明け方ようやく睡魔に捕らえられた兄の足元に、ころ・・・とどこからか糸手毬が転がってきた。
歌うように、幾つかの小さな声がする。
「やれ、うれしや。主上のお探しものが見つかった。」
「天児は、ここじゃ、ここじゃ。」
「見つけた印に、主上のお気に入りの手を一つ印に、もいでゆこうかの。」
眠気に負けて姿を見ることも叶わず、兄は睡魔の手に抱かれた。
ただ起きぬけの朝、身体だけがまるで泥のように重く、夢にしては妙に現実的だったと思い起こした。
糸手毬の金糸銀糸の煌めきが、月明かりを照り返して輝くのは、やはり現実であったように思う。
漁から帰ってくると、粗末な夜具に身体を半分に折るようにして、招かれざる客人は倒れていた。
何とか動こうとして、微塵も叶わなかったようだ。
「あっ。これ・・・大丈夫か?大事無いか?」
「粥も食わず、何日も意識もなかったのだ。しばらくは、横になって居なければ・・・。」
美童は、花弁のような薄い色の唇を震わせた。
「主上・・・わたくしの、手は・・・?」
ふと見ると腕に縋る貴人の、片方の手首が失われていた。
不思議なことに、刃物で切り取った血の形跡もないのだった。
元からなかったように、傷跡すらないのが不思議だった。
じっと見つめる瞳に、みるみる涙を湛えて直も問う。
「わたくしの手がありませぬ・・・ああ、お・・かみ・・・手がなくては、主上に触れることも叶いませぬ・・・」
貴人は身を捩り、声もなく静かに泣いた。
薄い肩を揺らして涙をこぼし、震えて耐える姿に哀れと思いながら、ふと胸がこみ上げるもので熱くなる。
物心ついてから、自分は過去にこれほどまでに、人を恋うた事などなかった。
その手が、自分を求めて縋る・・・
「名は?」
「お前の名は何と言うのだ?」
無骨な手で、精一杯の繊細さをもって抱きしめると、緩く背中を撫ぜてやった。
はらはらと、両の目から玉のように転がり落ちた涙が、次々に兄の着物に吸われてゆく。
「わたくしの名をお忘れか、天児(あまがつ)とお呼びなされて、お側で可愛がって下されたものを・・・」
「天児(あまがつ)・・・と言うのか。さて、余り聞かぬ名じゃな・・・」
「お呼びください。わたくしの、天児と・・・。」
「今は、横になって休め。あま・・がつ。」
そう名を呼ばれて、嬉しげに童は兄の胸に頬を寄せた。
誰かと間違うているのじゃなと、兄は、心の内でごちた。
慕う腕を、無下に払うわけにもいかず、兄はそっと美童を抱いた。
これほどまでに慕われる、主上と言うものがどこか妬ましいような気がしていた。
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天児に関しては、もう少しだけ伏せておきます。(*^ー^)ノ 此花
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