おとうと・4
本の好きな頭の良い子で、可哀想なほど聞き分けが良かったのも、誰も言ってくれない自分のことを薄々感じていたのかもしれない。
伏し目がちに過ごす詩鶴だったが、母によく似た風貌は周囲を魅了し、ため息をつかせた。
何処に居ても意識して気配を消すように目立たないようにしていた詩鶴の影は、薄く儚かった。
表情も硬く、時折天音が声を掛ける時だけ、誰もが蕩ける微笑を浮かべる。
天才外科医、スーパードクターと呼ばれる父を持ち、大きな総合病院の跡取り息子として将来も一見約束されたように見えた。
周囲が羨望する恵まれた環境の中で、詩鶴は孤独以外欲しい物は何も持っていなかった。
生気のない大きな目を伏せる詩鶴が、たった一人の理解者の天音さえ失って着の身着のまま家を後にするのはまだもう少し先のことになる。
天音が大学に入る年、詩鶴は天音と同じ難関の中高一貫校に合格した。
敷地内にあるお気に入りの場所で、二人は秘密の恋人同士のように別れを交わした。
散った花びらで、足元は薄桃色の敷物を敷き詰めたようになっていた。
「やっぱり、ここにいたのか。詩鶴、お兄ちゃんと同じ学校受かってよかったな。」
「うん。せっかく受かったのに天音お兄ちゃんは大学に行ってしまうんだね。」
「休みには帰ってくるよ。一人でも我慢できる?色々と…大変なこともあるだろうけど。」
薄い笑みを悲しげに浮かべて、うん…と詩鶴は頷いた。
「もう、慣れたし・・・。」
何も知らない詩鶴が、理不尽な嵐に曝され続けてもう何年も経っていた。
「ぼくは、一人で大丈夫。」
「おばさまは、この顔が嫌いなんだもの。仕方がないよ。」
「僕は、大好きだよ。詩鶴の綺麗な顔。」
覗き込むように、まつ毛のけぶる顔で見上げた。
「あのね、本当のことを言うと、詩鶴のお母さんがお兄ちゃんの初恋の人だった。」
「え?」
「だから、お兄ちゃんは詩鶴と一緒に居ると、時々照れてしまうんだよ。」
「初めて聞いた。」
「初めて言った。」
思いがけない打ち明け話に、ふと詩鶴の顔が明るくなった。
「ぼく、ずっと自分の顔きらいだった。お父さんもたまにあっても悲しそうな顔しかしないし、わけわかんない・・・。」
「でも、お兄ちゃんが好きだって言ってくれるなら良かった。ぼくのこと、普通に接してくれるの天音お兄ちゃんだけだもの。」
病院の看護師さんとか、挨拶してもきゃあって離れてゆくんだよと、口を尖らせる何もわかっていない従弟に思わず天音は苦笑したのだった。
余り愛を与えられない少年を、創造主が可哀想に思ったのかどうなのか、聖少女と見まごう作り物めいた美貌は余りに日常からは浮いていた。
自分に何も執着しない詩鶴は、時を経る毎に早逝した母親に似ていた。
そして、それが詩鶴の不幸の元になった。
詩鶴の母、詩津に執着した叔父の邪な気持ちが、封じ込めた過去とともに浮き上がってしまったのだ。
コップの底の澱が浮かび上がるように、決して浮き上がってはいけない気持ちは詩鶴に向けられた。
それは、天音が春休みになり帰る日を告げずに、東京から帰省した3月のことだった。
しばらく会えなかった詩鶴を、たまには連れ出してやろうと思っていた。
天音の家族の住む場所と離れている、母屋にそっと足を踏み入れて馴染みの家政婦の引きつった顔を見た。
玄関先のある紳士靴は、叔父のものだろうか。
詩鶴の母が亡くなって叔父は詩鶴にあまり関わらなかった。
余りに良く似た面差しに、重ねてしまうことを恐れたのか敷地内に広い自宅を持ちながら、叔父はほとんど病院に寝泊まりし自宅に帰ってくることはなかった。
もしかすると、関係が修復されたのか・・・?
一縷の望みが頭をもたげ、家政婦の強張った表情が否定した。
「詩鶴は上?叔父さんがいるの?」
「・・・いえ。あの・・・」
全てを言い終わらない内に、細い悲鳴が響いた。
「ぃやーーーーーっ!」
「詩鶴っ?」
駆けあがろうとしたのを、天音の腕をつかみ家政婦が止めた。
「何?」
「あの、差し出た口を挟むようですけれど、お二階へは上がらない方がよろしいかと思います。」
「なぜ?」
「あの・・・」
天音は焦れた。
「もう、いい!」
********************************
Σ( ̄口 ̄*) 天音:「し、詩鶴っ!?」
(´;ω;`)詩鶴:「天音お兄ちゃ・・・ん・・・」
拙作「新しいパパができました」の前の話になります。
詩鶴が生まれたところから、お話は始まります。
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