びいどろ時舟 1
流行り歌にも唄われた、絢爛な衣装だけを表から眺めていると、世俗の持つ廓の悲しい印象からは多少外れているようにも思う花街だった。
だが、廓全体を眺めてみると塀や石垣で周囲をぐるりと囲まれていて、閉ざされた場所なのには変わりなかった。
長崎丸山は他の遊郭と違って、鎖国の日本にあって、唯一外国人の出入りが許された限られた場所だ。長崎の町民や、海外貿易を行う上方商人なども多く出入りする。
花街の遊女達が比較的自由に、唐人屋敷や阿蘭陀屋敷「出島」といわれるこの特殊な土地に出入りを許されていたため、国際的な知名度も高い。
「ナガサキ、マルヤマ」と言えば、当時世界でも有名な花街だった。
丸山は、山女郎が身をひさぐ場所だけではなく、高級社交場でもあった。
最高位の花魁の中には、鏡の母のように、元は良家出身者も多い。
歌舞音曲、茶道華道、書道もひとかどに極め和歌、俳諧、小唄、長唄など、能楽も披露できる者も多く居る。
そんな才覚を披露する場を求めて、妓楼に籍を置くものもいた。
そのため、太夫のいる丸山の置屋は他の場所と違ってただの船員や商館員ではなく、役職付きの男を相手する高級な料亭も兼ねていた。
才能ある彼女等は、日本女性のたしなみと優れた芸能を持ち合わせた、外国人も認める庶民憧れの最高級の高嶺の花の存在だった。
何しろ長崎「出島」は特殊な地で、外国人女性の入植は許されない。
鎖国の日本国内には、例え本国から連れて来た妻でも同伴どころか上陸すら許されなかったので、無聊を慰める存在が必要だった。
外国人にとって押し込められたとしか言えない狭い不自由な地、「出島」では、唯一の慰めでもある遊女の出入りだけが緩やかに許されていたのだ。
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鏡の母、睡蓮花魁と阿蘭陀商館付き医師が、手に手を取って儚い恋に落ちたのは、時の長崎奉行が縁を取り持ったからということだった。
屋敷に世話係を連れての長逗留すら自由に許されて、鏡の母は寂しい異国人と夢のような短い恋をし、二人の子をなした。
遊女達は、日本行き、唐人行き、阿蘭陀行きと区別された。
鏡の母のように上級役人の紅毛人と情を交わし居留地で日本人妻として扱われ、特別な待遇を受ける者も居る。
実際は見た目の違う阿蘭陀人を相手にするのは、日本女性は喜ばない。
遊女が外国人相手に春をひさぐ値段は、数十倍にも膨れ上がったそうだが、鏡の母はまっすぐに人の本質を見る目を持っていた。
裏ではしたたかに、その美貌で数人の男達を手玉に取り、遊女らしく大層な金子を貢がせた。抱えの水月楼は相当金儲けをしたそうだ。だから紅毛人と遊女の幸せな日々に、水月楼のおかみも目をつむったのだが幸せは長くは続かなかった。
阿蘭陀人も唐人も商館の任期が切れると、速やかに帰国の途に就いた。母国に帰還命令が下り、現地の妻子は身を裂かれるような悲しい別れをする。
どれほど産まれた子を本国に連れ帰りたいと、千歳と鏡の父親が望んでも、混血児の渡航禁止の厳しい御定法の前には、引き下がるしかなかった。
出港の時を、じゃんじゃんと鳴る銅鑼が告げた。
もう時刻は、そこまで迫っている。
「さあ、父しゃまと、一時のお別れでござんすよ。」
泥の中でもきりりと美しく咲く姿で裾を引き、睡蓮花魁は優雅に愛する人に別れを告げた。
「睡蓮・・・。次会えるのは、早くても数年後だ。それまで、元気でいてくれ。・・・子供達を頼む・・・」
「あい、旦那様。お預かりしんす。」
いくら抱き合っても、どうしようもなかった。
沖を行く船影が見えなくなっても、駆け上がった高台から子ども達を抱いて長い袖を振る。見送る哀れな花魁の姿に、叶わぬ悲恋の先を思って人々は涙した。妻子を遺し、二度とこの地を踏まないものも多くいたからだ。
父親譲りの寂しい薄い灰茶色の目をした鏡は、狭い世界に閉じ込められて、今年数えで12歳になる。
丸山遊郭で生まれた鏡は、一度も遊郭外にでたことがなかった。
遊女の産んだ子どもは、一生、外の空気を吸えず遊郭に縛られて生きてゆくしかないと、幕府の御定法で固く決まっている。
望みどおりの女の子が生まれて4年後、再任された阿蘭陀商館長のお付き医師と再び情を交わした睡蓮花魁は、今度は自分と良く似た息子を産んで、その険しい将来を思って落胆した。
産まれたのが姉のように女の子なら、きちんと教育をし、賢く才覚のある立派な花魁にすることも出来たが、鏡のように男に生まれたものは悲惨だった。
どれほど利発な子でも、生まれつきの才能が有ろうと、男子に芽吹く機会はなく根腐れするような人生しか与えられない。
父が帰国するときに、山ほどの養育費を水月楼に預けたと言う話だったが、当然のように、まともな教育すら受けられなかった。
男に生まれた、それが鏡の不運だった。
それでも母親のいるうちは、良かった。
生きてゆくのに必要な、読み書きそろばんは幼い頃に、ほんの少し母が教えてくれた。
「いいかい?生きてゆくんだよ。決してあきらめてはいけないよ。うんと、辛いこともあるだろうが、しっかりと生きてゆくんだよ。いいね、鏡。」
「あい。」
七つのときに、母は鏡のことを心配しながらはやり病でなくなった。
鏡は母のいた水月楼にそのまま引き取られ、廓の男衆見習いになったのだ。
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