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びいどろ時舟 5 

両脇を抱えられるようにして、鏡は風呂場にずるずると引き摺られて行く。
必死に抗う鏡を認めて、仕事前の支度で忙しい遊女達は、そっと見ぬ振りをして襖を閉めた。
ここではそうして皆、降りかかる火の粉を避けて、自分だけの人生を生きている。自分の側に波風は立てない。それが一番賢い処世術だと、遊女たちは皆知っていた。

「おや。千歳太夫は、これからお支度ですか?」

新参の髪結いが、簪を挿しながら遊女の耳元にそっと問う。
鏡に映る髪結いに、ふっと笑いかけた。

「新さん。花魁は阿蘭陀屋敷で長の御逗留でござぉると・・・見間違いでございんすよ。」

「そうですかい。男衆さんに運ばれていた妓が、何やら似ていたような気がしたのでね・・・一度、廓一のお姿を見てぇと思っていたんですよ。」

慣れた手つきで、匂いのよい香油を年増の襟元に吸わせてやった。

「おや・・・ありがとぉ。良い香りだ、うれしいねぇ。」

「お声を掛けて下すったお礼です。別嬪さんの姉さん、どうぞまた、ご贔屓に。」

鏡越しに、ふと目が合う。

「男前の新さんは、女郎は買わんとね? 」

ああ・・と、口ごもり曖昧に頷いた。お茶を引く(暇な)女郎は皆、同じ事を聞く。

「実はね、姉さん。あしは餓鬼の頃に、大事な場所に行灯の油を被りましてね。お道具が引きつってひん曲がってんです。こうして髪結いをやってても、女子も抱けない役立たずになっちまったんですよ。」

「おや・・・そうだったのかい。」

「ええ。こんなこと、お恥ずかしくて誰にも言ったことないんですが、姉さんにだけ聞いてもらいます。他には内緒ですよ。」

そう・・・と、遊女は驚いた顔をして、赤い口が尖った。
これで明日には、誰も自分を誘わなくなるだろう。

髪結いが内心含んで言ったことを、噂好きの遊女は知らない。端整な髪結いが、誰の間夫にもならず通って来るのを不思議に思っていた遊女は、口元を綻(ほころ)ばせた。

「約束すっけんね、新さん。きっと、次も呼んであげますけん。」

「うれしいなぁ、きっとですよ。他所の髪結いに浮気しないで下さいよ。お待ちしてますからね。」

道具箱を抱えて、中庭に出たところで女将から声がかかった。

「ちょいと。もう一人、結えるかえ?」

おそらく今頃、無理やり湯浴みさせられている訳の有りそうなあの子に違いないと、髪結いは踏んだ。

「へぇ、どなたで?」

「新米にやらせたくは無いんだが、急な事情があってね、千歳花魁と同じこしらえにしておくれ。隅から隅まで同じにするんだ。できるかい?」

「ええ。そりゃあ、千歳花魁の髷は華やかで、できるものなら結ってみたいと思っていましたからね。腕が鳴ろうってもんです。」

「おお、そうかい。仕事賃は色を付けてやるから、しっかりやっとくれ。」

新参の髪結いは、もう一度上がり込むと荷を解いた。
一方、鏡は風呂場で、女将が阿蘭陀商館で手に入れたさぼんを使って、男衆の手で、爪の先までやすりで念入りに磨かれていた。遊女にするように、体毛を焼く線香を持って来た男衆が、つるつるの鏡に思わず同情した。哀れなほど、子供だった。

もっとも、ここまでくるには男衆が辟易するくらいの、余りにも酷い汚れで、せっかくのさぼんも泡立つことも忘れたようだ。
雑用に追われる鏡は、水浴びはしても、ゆっくり風呂に入ったことなどなかった。
何杯も黒く汚れた湯を零して、鏡は産まれたとき以来かもしれない温い湯に、耳たぶまで浸かった。

「なんだねぇ、いつまでもぴぃぴぃ鳥の雛みたいに、泣いてるんじゃないよ。顔が腫れちまうだろ?腹、括りな。」

風呂に顔を半分沈めて静かに泣く鏡に、女将は手桶でぴしゃと水をかけた。





(´;ω;`) 「さぼん(石鹸)の泡もたたないって・・・どゆこと?」

(〃▽〃) 「あ・・・あの~、ちょっとだけ、きたない感じ・・・かなあ?」

( *`ω´) 「むか~~・・・やっぱり~~」


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