びいどろ時舟 6
湯を使うと芯から汚れが落ちて、綺麗に磨かれたその顔は、女将も驚く千歳花魁と同じものだ。
「驚いたよ。やっぱり、姉弟だねぇ、芋版で刷ったように、瓜二つじゃないかえ・・・。ほら、よっく見せて御覽。」
よくよく眺めると、千歳よりはどこかやはり幼い顔のようだが、阿蘭陀人には区別は付かないだろうと思う。
「こうなると・・・。こう見目の良いのを見ちまうと、みすみす毛唐にくれてやるのは、惜しい気もするねぇ・・・」
髪結いは、化粧も買って出て器用に花魁のこしらえを作った。裁縫道具を借りると、赤い扱きをちくちくと縫っていくつも花弁をこさえ、紅い椿の花かんざしを作った。
鏡の短い髪に足す付け鬘は、最近髪の薄くなった女将のものが、いくつもあって間に合った。
「いくら何でも、花魁のような開いた頭は、この細い首には重くて可哀想だから・・・さて、どうしたものかな。いっそ、下げ兵庫(花魁の髪型)にして、肩の上に下ろしちまいますかね。」
うつむいたきり、ほろほろと玉の涙を零す鏡の耳元に、髪結いが囁く。
「困りましたねぇ、花魁。そんなに泣いちゃ、せっかくの化粧が落ちますぜ・・・こしらえも泣いちまったら、映えませんぜ。ちょいと、鏡を覗いて御覧なさいまし。大層、可愛らしい姿ですよ。」
「す・・・すまんば・・・」
返事の代わりに、ひくっと噛み締めた嗚咽が漏れた。傍にいる女将が見ていないのを確かめて鏡の耳にそっとささやいた。
「・・・逃げるかい?」
はっと、瞠った目で振り返った鏡の背後から、初めて会った髪結いがぐいと力を入れて、奥襟を抜く。
実際の花魁は化粧は自分でするし、着付けも引船の仕事だが、新しい結髪屋は、刷毛で器用に背中まで、手早く白粉を塗りつけた。鏡はあっという間に、千歳花魁と同じようなこしらえになった。
「若いと、さすがに水白粉の乗りも良いねぇ。良い腕だね、あんた。何なら、うち専属で働くかい?」
「お世辞はいいですから、おアシをはずんでくださいね、女将さん。ああ、それと、どうにも喉が渇いちまって。すみませんが水をいっぱいいただけませんか?こっちの方は、もうすぐ終わりますんで。」
待っておいでなと、女将が座を外した途端、こしらえ途中の鏡は涙を拭いて、ぐいと向きかえった。
ほんのりと生気を戻した、表情になっている。
「兄さん。あしを逃がしてくるっとかい?」
姿見に向けられた背後から、黄色いべっ甲の笄(コウガイ)を、花でも生けるように器用に挿してゆきながら、簡単に答えた。
「ああ。」
嘘のない、優しい目だった。鏡は、思わずほっと息をついた。
「どこへ逃がして、くれるっと・・・?」
廓からどこにも逃げ場が無いのは、誰よりも一番鏡が知っていた。丸山は、廓全体が周囲をぐるりと石垣で囲まれている。
「カピタンの国・・・かな?」
「どこでんよかよ。死病に罹った毛唐とみすみす心中すっくらいなら、どこへでん連れて逃げてくれんね。」
思いつめた顔をしていた。
つっと顎を持ち上げ、殴られた痕と、泣いた跡を隠すように、目元にあえかに広く紅をぼかして入れた。
艶めかしく華やいだ、色気のある目元になった。
薄い色の唇にも、そっと色を置きながら、顔を近づけて伝えたのは、坂ノ下の天満宮の裏にびいどろの甕(かめ)が置いてあるということ・・・。
「何とか抜け出したら、それに入って、俺が行くまで待ってな。いいかい?これから裏木戸を開けといてやるから、そこまでは自分で逃げるんだぜ。」
「できるかい?」と、髪結いは聞いた。
「びいどろのかめが、あるとね・・・」
鏡は繰り返し、坂ノ下の天満宮裏とごちた。
天満宮は、身代わり天神として遊女が詣でる場所だった。鏡も寝付いた姉さんたちに頼まれて、願掛けの梅干しの種(天神)を持ち、何度も参った事があった。
元は、丸山町乙名、安田某(なにがし)という者が、暴漢に襲われ倒れたものの本人に傷が無く、代わりに天神様が血を流して身代わりになったと言うので、「身代わり天神」という名が付いたらしい。
そんな話は、半分おとぎ話のようだと、子どもの鏡も思っていたが、遊女達は皆、縋るよすがが欲しかっただけなのかもしれない。
鏡に映った、美しい千歳花魁が頷いた・・・
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