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びいどろ時舟 8 

どうやら、商人はまだこの部屋に到着していないようだった。
鏡は命拾いをしたような気がして、ほっと息を吐く。

誰にも話したことはないが、鏡の胸の奥にはカピタン(阿蘭陀商館長)との約束があった。
先代の、阿蘭陀商館長から話を聞いていたのか、今のカピタンは、時々使いをよこして鏡を呼びつけた。

高い鷲鼻は、御伽草子のお天狗様のようで、怖くてまともには顔が見れなかった。高下駄を履いて木々の上に哄笑を響かせながら飛んでいくのではないかと思う。
でも、敬虔なキリスト教徒だという声の優しいカピタンは、決して恐ろしい天狗などではなかった。
金糸のような光る髪をして、鏡の傷だらけの手に、菓子と蓋つきの陶器に入った馬の油を乗せた。それは、とても獣くさく鼻がもげそうに臭かったが、しっとりと鏡のあかぎれの指を守ってくれてありがたかった。
鏡と姉千歳太夫の父、独逸人のお抱え医師を、出島に呼んだから半年もすれば会えるだろうと、血のような赤い酒をあおりながらカピタンは機嫌よくびいどろの脚の高い湯飲みを掲げた。

「鏡。もうすぐ父に会わしてやるぞ。辛い勉めも、もう少しの辛抱だ。」

呼ばれて聞いた通詞の言葉を、身を震わせて天にも上る心持ちで聞いた。

「お父(と)しゃまが、帰ってきなさるっと・・・?」

きっと迎えに来るよと、父親の大きな温かい手が、約束してくれたのは、いつだっただろう・・・。
七年も前に別れたきり、母の亡き後は、日々の暮らしに追われて、もう顔も薄ぼんやりとしか覚えていなかった。
本当のところ、鏡には紅毛人の顔の区別も、あまりつかない。髪の色が違うだけで、水夫も商人も皆同じ顔に見えている。だからほんの少し、父との対面は不安だった。

商館長が交代する都度、共に国許に帰らねばならない抱え医師は、独逸人で貴族ということだったが、鏡には自分が遊郭で生まれた遊女の子どもで、一生ここから外に出られないということしかわかっていなかった。
父は、鏡(かがみ)と千歳(ちとせ)の弟姉に、きっといつか会えると虚しい口約束だけをして、船上の人となったのだ。
阿蘭陀屋敷で、幼い頃短い穏やかな時間を過ごしたはずだが、幼い記憶からは抜け落ちていた。

鏡はぼんやりと思っていた。
父も男だから、どこかの遊郭で母と知り合ったように女を買い、遊女に無理難題を言うのだろうか。命を売り買いしておきながら、一人で死ぬのが怖い病気の武器商人のように、遊女の情けに縋るのだろうか・・・
父と武器商人がいつか同じような気がして、せっかく拵えてもらった白い頬の上をころ…と、滴が転がった。

鏡は女将の言いつけどおり、西洋風の高い寝台の上にきちんと正座して、紅毛人を待っていた。
「遅かね・・・もう、こんまま、来なければ良かとに。」

いつしか待ちくたびれて、鏡は寝台の上で眠っていたようだ。半時も経った頃・・・、ふいに、からりと襖が開けられた。

薄暗がりの部屋で、はっと顔をあげたら黒い人影が広がった。
暗い大きな影が、両側から支えられて仁王立ちになり、蒸気のようにしゅうしゅうとむせる息を吐く。

「ひぃーーーっ・・・!」

背筋を怖気が走る。
頭巾を被って顔を隠しているが、覗く髪の毛は異国の赤い髪だ。
小山のような影が、低くうなった。

「チ・・トセ・・ェ・・・」

濁った白目には血が入り、焦点の合わない目は、常軌を逸しているように見える。病のせいで既に、尋常ではなくなっているのかもしれない。
一瞬、ふっと気が飛びそうになった。
千歳花魁を抱く妄執だけでこの世に留まっているような、生きながら腐ってゆく瘡毒末期の恐ろしい姿だった。
出ている部分はどこもかも包帯で覆われて、腐りかけた血膿の臭いが鼻をついた。

「や・・・いや・・・っ!こがんこと、いやばい・・・!」

頭巾の隙間から手燭に照らされて覗いた顔には、あるはずの高い鼻がなく下瞼が崩れて垂れ下がっていた。
それでも妄執の中で千歳と名を呼び、鏡を抱きすくめようとする幽鬼の形相・・・。

支えの召使は、無言でいつしか消え失せた。





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2 Comments

此花咲耶  

tukiyoさま

> またこげん可愛いか子を~~~此花しゃんは鬼たい!

(*⌒▽⌒*)♪長崎弁で怒られたばい♪

大丈夫だよ~~・・・たぶん~。←ろくなやつじゃない。♪(=ФωФ)

コメントありがとうございました。がんばります(*⌒▽⌒*)♪

2011/07/14 (Thu) 23:10 | REPLY |   

tukiyo  

ひぃぃぃぃーーー

またこげん可愛いか子を~~~此花しゃんは鬼たい!

2011/07/14 (Thu) 22:12 | EDIT | REPLY |   

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