明けない夜の向こう側 1
上野にある地下道で、高い少年の声が響いた。
「逃げろーーーっ!」
「刈り込みだーー!」
逃げ惑う小さな影と、彼らに襲い掛かる捕獲者たちの足音が入り乱れて響く。
怒声と泣き声が、地下道の中で騒々しく共鳴していた。
「刈り込み」というのは、捕まえた浮浪児を、トラックに放り込み各収容施設に送り込むことだ。
まるで野犬狩りのように、一匹二匹と数えながら荷台に放り込まれた子供たちは、この先、劣悪な環境の収容先に放り込まれる運命にあった。
恐らくそこで待っているのは、粗悪な食事と、軍隊まがいの規律と無慈悲な激しい体罰。
そして、逃げないように衣服を奪われ丸裸にされ、鉄格子の入った窓のある狭い部屋に、何人も押し込められる。
必死に逃げ出した子供たちから、牢獄に繋がれた囚人のような非人道的な扱いを受けたと聞かされ、子供たちは尚更刈込みから必死に逃げた。
「そっちへ逃げるぞ!」
「くそがき!手向かいするな」
「行ったぞ!回り込んで捕まえろ」
「放せ!放せったら!」
「ちきしょうっ」
新堂櫂(しんどうかい)は、鋭い視線を上げると、すぐに傍らのぼろにくるまって眠る少年を抱え上げ、喧騒を背にその場を急ぎ離れた。
「……にいちゃ……?」
「しっ、陸。刈込みだ。今夜は獲り手の人数が多いみたいだから、すぐにここを離れるぞ
「ん……」
にいちゃと呼ばれた少年は、まだ11歳だ。
親元を離れて生きるには、まだ幼すぎた。背は高い方だが、筋肉はついていない。
抱き上げた少年の名は吉永陸(よしながりく)。まだ8歳だった。
二人に血のつながりはない。
陸の名前は、出会った時、衣服に縫い付けられた布が教えてくれた。
当時は皆、何かあっても家族の元に戻れるように、住所と名前を黒々と書いた小布を縫い付けていた。
空襲を避け、焼夷弾から逃れて来た上野の地下道で、二人は出会った。
櫂の父親は兵役にとられ、父に託された母親と弟を先日の大きな空襲で失った。
今も目をつぶれば、火の海に置き去りにするしかなかった、母と弟の声が聞こえる気がする。
「櫂っ!おまえだけでも早くお逃げ。翔也は、お母さんが連れて逃げるから、先に行きなさい!ほら、これを持ってゆくのよ。お金が入っているから!いいね、大切に使うんだよ!」
「母ちゃん。火がそこまで来てるみたいだ。向こうの方で誰かが叫んでる。おれが柱を動かすから、何とか出て来て!翔也!しっかりしろ」
「……にいちゃあ……いたいよ……」
「翔也!すぐに助けてやるからな!諦めちゃだめだ!」
母は兄を求める翔也をしっかりと胸に抱き込んだまま、潰れた家の梁の下敷きになって挟まれ、動けなくなっていた。翔也の半身も梁の下だ。
どれ程力を込めても、母と弟の上に乗った太い丸太は、微動だにしない。
辺りの倒壊した家のどこかから出火したらしく、ぱらぱらと火の粉が飛んで降ってくる。
熱い空気が頬を焼いた。
櫂の家まで炎の波が押し寄せてくるのも、時間の問題だった。
「おれ!すぐに人を呼んでくるから!」
櫂は大通りに出て、必死に行き交う人を捕まえたが、自分たちも逃げるのに必死で櫂の腕を振り払った。
「小父さん!お願いだから母ちゃんと弟を助けて!家の下敷きになって動けないんだ」
「坊。悪いが、小父さんも娘の所に戻らなきゃいけないんだ。悪いな」
「誰か!母ちゃんと翔也を助けて!誰か……誰かーーぁっ!!」
やがて、櫂の声は火の手から逃げる人々の波と、敵機来襲を告げるサイレンにかき消され、元に戻れぬまま、辺りは火の海になってゆく。
助ける術もなく、家影と共に母と翔也も恐ろしい炎の舌に飲み込まれた。
櫂には、紅蓮となって天まで昇る火柱を、ただ見つめるしかできなかった。
「母ちゃん……翔也……ううっ」
すすで真っ黒になった顔に涙の筋を拵えて、櫂は燃え残った近くの電信柱の下に座り込んでいた。
父から託された母と弟を一度に失って、櫂は呆然としていた。
辺りには炭化してまるで丸太のようになった黒い死骸がごろごろと転がっている。その中に、母と翔也の面影は探せなかった。
地下の防空壕に入ったものは、蒸し焼きになり、まるで土色のマネキンのような姿になっていたらしい。
出兵して以来、どこにいるかわからない父にも頼れず、親戚もない櫂には、行く当てもない。
生きているのが奇跡のような周囲の惨状だった。
浅草や、上野駅構内に身寄りのない子供たちが集まっていると噂を聞き、櫂はよろよろと立ち上がった。
櫂が向かったのは、もしかするとこの先、陸と出会うための運命だったかもしれない。
下町を見渡す限りの焦土と化した空襲で、民間人が推定でも8~10万人死亡し、けが人は4~11万人という犠牲者が出た。そして多くの戦災孤児を生んだ。
後にそれは、東京大空襲と呼ばれた。
お久し振りにもかかわらず、お読みいただきありがとうございます。
覗いてくださって、うれしいです。お知らせに拍手を頂いて、どきどきしました。
覚えていてくださってありがとうございます。
初めて覗いてくださった方でしたら、どうぞよろしくお願いします。
長い間、放置していた割に、筆が進んでいない悲しい事実が現実です。←情けね~(´・ω・`)
火曜、木曜、土曜、PⅯ九時を更新予定にしております。
BL小説になるのかどうか、相変わらず不安な展開ですが、健気でいじらしい少年が大好きなので大丈夫かな……
どうぞよろしくお願いします。 此花咲耶
※ランキングに参加しております。
よろしくお願いします。
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「逃げろーーーっ!」
「刈り込みだーー!」
逃げ惑う小さな影と、彼らに襲い掛かる捕獲者たちの足音が入り乱れて響く。
怒声と泣き声が、地下道の中で騒々しく共鳴していた。
「刈り込み」というのは、捕まえた浮浪児を、トラックに放り込み各収容施設に送り込むことだ。
まるで野犬狩りのように、一匹二匹と数えながら荷台に放り込まれた子供たちは、この先、劣悪な環境の収容先に放り込まれる運命にあった。
恐らくそこで待っているのは、粗悪な食事と、軍隊まがいの規律と無慈悲な激しい体罰。
そして、逃げないように衣服を奪われ丸裸にされ、鉄格子の入った窓のある狭い部屋に、何人も押し込められる。
必死に逃げ出した子供たちから、牢獄に繋がれた囚人のような非人道的な扱いを受けたと聞かされ、子供たちは尚更刈込みから必死に逃げた。
「そっちへ逃げるぞ!」
「くそがき!手向かいするな」
「行ったぞ!回り込んで捕まえろ」
「放せ!放せったら!」
「ちきしょうっ」
新堂櫂(しんどうかい)は、鋭い視線を上げると、すぐに傍らのぼろにくるまって眠る少年を抱え上げ、喧騒を背にその場を急ぎ離れた。
「……にいちゃ……?」
「しっ、陸。刈込みだ。今夜は獲り手の人数が多いみたいだから、すぐにここを離れるぞ
「ん……」
にいちゃと呼ばれた少年は、まだ11歳だ。
親元を離れて生きるには、まだ幼すぎた。背は高い方だが、筋肉はついていない。
抱き上げた少年の名は吉永陸(よしながりく)。まだ8歳だった。
二人に血のつながりはない。
陸の名前は、出会った時、衣服に縫い付けられた布が教えてくれた。
当時は皆、何かあっても家族の元に戻れるように、住所と名前を黒々と書いた小布を縫い付けていた。
空襲を避け、焼夷弾から逃れて来た上野の地下道で、二人は出会った。
櫂の父親は兵役にとられ、父に託された母親と弟を先日の大きな空襲で失った。
今も目をつぶれば、火の海に置き去りにするしかなかった、母と弟の声が聞こえる気がする。
「櫂っ!おまえだけでも早くお逃げ。翔也は、お母さんが連れて逃げるから、先に行きなさい!ほら、これを持ってゆくのよ。お金が入っているから!いいね、大切に使うんだよ!」
「母ちゃん。火がそこまで来てるみたいだ。向こうの方で誰かが叫んでる。おれが柱を動かすから、何とか出て来て!翔也!しっかりしろ」
「……にいちゃあ……いたいよ……」
「翔也!すぐに助けてやるからな!諦めちゃだめだ!」
母は兄を求める翔也をしっかりと胸に抱き込んだまま、潰れた家の梁の下敷きになって挟まれ、動けなくなっていた。翔也の半身も梁の下だ。
どれ程力を込めても、母と弟の上に乗った太い丸太は、微動だにしない。
辺りの倒壊した家のどこかから出火したらしく、ぱらぱらと火の粉が飛んで降ってくる。
熱い空気が頬を焼いた。
櫂の家まで炎の波が押し寄せてくるのも、時間の問題だった。
「おれ!すぐに人を呼んでくるから!」
櫂は大通りに出て、必死に行き交う人を捕まえたが、自分たちも逃げるのに必死で櫂の腕を振り払った。
「小父さん!お願いだから母ちゃんと弟を助けて!家の下敷きになって動けないんだ」
「坊。悪いが、小父さんも娘の所に戻らなきゃいけないんだ。悪いな」
「誰か!母ちゃんと翔也を助けて!誰か……誰かーーぁっ!!」
やがて、櫂の声は火の手から逃げる人々の波と、敵機来襲を告げるサイレンにかき消され、元に戻れぬまま、辺りは火の海になってゆく。
助ける術もなく、家影と共に母と翔也も恐ろしい炎の舌に飲み込まれた。
櫂には、紅蓮となって天まで昇る火柱を、ただ見つめるしかできなかった。
「母ちゃん……翔也……ううっ」
すすで真っ黒になった顔に涙の筋を拵えて、櫂は燃え残った近くの電信柱の下に座り込んでいた。
父から託された母と弟を一度に失って、櫂は呆然としていた。
辺りには炭化してまるで丸太のようになった黒い死骸がごろごろと転がっている。その中に、母と翔也の面影は探せなかった。
地下の防空壕に入ったものは、蒸し焼きになり、まるで土色のマネキンのような姿になっていたらしい。
出兵して以来、どこにいるかわからない父にも頼れず、親戚もない櫂には、行く当てもない。
生きているのが奇跡のような周囲の惨状だった。
浅草や、上野駅構内に身寄りのない子供たちが集まっていると噂を聞き、櫂はよろよろと立ち上がった。
櫂が向かったのは、もしかするとこの先、陸と出会うための運命だったかもしれない。
下町を見渡す限りの焦土と化した空襲で、民間人が推定でも8~10万人死亡し、けが人は4~11万人という犠牲者が出た。そして多くの戦災孤児を生んだ。
後にそれは、東京大空襲と呼ばれた。
お久し振りにもかかわらず、お読みいただきありがとうございます。
覗いてくださって、うれしいです。お知らせに拍手を頂いて、どきどきしました。
覚えていてくださってありがとうございます。
初めて覗いてくださった方でしたら、どうぞよろしくお願いします。
長い間、放置していた割に、筆が進んでいない悲しい事実が現実です。←情けね~(´・ω・`)
火曜、木曜、土曜、PⅯ九時を更新予定にしております。
BL小説になるのかどうか、相変わらず不安な展開ですが、健気でいじらしい少年が大好きなので大丈夫かな……
どうぞよろしくお願いします。 此花咲耶
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