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明けない夜の向こう側 13 

櫂も珍しく饒舌に話をした。

「先生は坊主のくせして、地獄に落ちてもいいから、生き延びろっていつも言うんだ。後悔などいつでもできる。生まれた以上、生きることが大切なんだって。今は誰も逃げたりしないけど、ここから誰かが逃げるたびに、先生はとにかく生きていてくれって本気で願っていた。……おれも陸も上野では毎日、転がった死体をたくさん見て来たよ。始末が追い付かないって、兵隊さんが言ってた。だから、陸はあまり話をしないんだ。口を開けば思い出して泣きたくなるからだと思う……」

「そうか……伊達に戦後の混乱を生き抜いてきたわけじゃないんだな。大した頑健な心身だ。社長もお喜びになるだろう」

「社長?陸の父ちゃんの事?」

「ああ。大きな会社を経営しているのでね。進駐軍にも顔が利くし、政府の中枢にも知り合いが多いんだ」

「ふ~ん……」

「君の事も知っているよ。とても優秀だそうだね。陸くんを連れて、これまで苦労してきたんだろう?」

じわりと目元が熱を持った。これまで誰にも、そんな風にねぎらいの言葉をかけてもらったことなどない。
櫂は素直に、心の内を話した。

「苦労なんて……おれはただ……陸を守りたかったんだ。弟を失ってから、陸の事を本当の弟みたいに思って来たから。多分、陸はおれの方が寂しいんだって知っていると思う」

「そうか。血縁でも中々分かり合えるのは難しいのにね」

笹崎は、戸惑っているだろう櫂の心中を慮った。
嵐のような世間に放り出され、肩を寄せて生きて来た雛のような二人が、突然現れた片方の親族の手によって引き離されようとしている。
陸の父親に仕える笹崎は、仕事とはいえ、自分がこの幼さの残る二人を引き離そうとしているのだと、複雑な思いを抱いた。
社長には、命を救ってもらった恩がある。
一生をかけて尽くそうと決めた覚悟は揺るがないが、幸薄い少年の人生を自分の手で壊しかねないと思うと、ちり……と胸が痛んだ。

「いいかい、櫂くん……?」

「はい……」

「望むと望まないにかかわらず、生まれつき、人には住む場所が決まっている。だけどね、そこには結界などないんだ。陸くんに会おうとする努力さえ惜しまなければ、君はどこにでも行ける。一旦、離れ離れになったとしても、陸くんといつか会える時が来ると、僕は思う。君がこれまで以上に頑張って、陸くんの居るところまで昇ってくればね……」

「おれが……?陸のいる場所に行く……」

「きっと、陸くんも君を待っているだろうからね」

笹崎の言葉は抽象的で、櫂には理解しがたかったが、それでも櫂は頷いた。
ささやかながら、置かれた過酷な環境を自分の手で変えて生きてきた自負はある。
これで終わりになるわけではない……
櫂の胸に、温かい一縷の望がともった。

一方、陸は施設長と父親に、思いを打ち明けていた。

「おれ……にいちゃが一緒じゃないと嫌だ。にいちゃと離れてどこかに行くなんて……おれ……顔も見たことない父ちゃんなんて知らない。にいちゃと施設にいるんだ。どこにも行きたくない。にいちゃとここにいる」

「陸……」

施設長は陸の必死の思いにかける言葉を探しあぐねていた。
勿論、陸がそう言いだすだろうというのは想定内だった。
陸は、櫂と離れ離れになると考えただけで、胸が潰れそうになっている。
我慢していたが、立っていられなくなるほど、悲しくて涙が出そうだった。

しかし、父親が陸を引き取りに来た時点で、二人の別れは決定的だった。
施設長は、容赦なく二人を呼ぶと厳かに告げた。

「櫂くんと離れたくないという陸くんの気持ちはわかるよ。でも、お父さんが君を引き取りたいと言っている以上、この先陸くんを施設に置いておくわけにはいかない。施設の経済状況は君たちも知っているだろう?春になったら、また孤児が二人入所することになっているんだ。正直、陸くんの食い扶持が減ったら施設は助かるし、陸くんの代わりに、入った子供がここで暮らせるようになるんだよ。どういう事かわかるね?」

陸の瞳は濡れていたが、泣いたりはしなかった。
自分の置かれている状況が、他の孤児にとってしてみれば羨望でしかないことも、わかっていた。

「……うん」

陸はこくりと頷いた。

いつも通り、自室の上下の寝台に横になった櫂と陸は、じっと暗闇に目を凝らし見つめていた。
青い空だけが鮮明だった終戦の日、この施設に流れてくるまでの間、互いだけが世界に存在していた。

「……にいちゃ……」

上の寝台から、小さな嗚咽が零れてくる。
どうか、幸せになってくれ。
それだけを念じて、寝返りを打った櫂は目を閉じた。
つっと流れた涙が、薄い布団に吸われていった。




本日もお読みいただきありがとうございます。
別れは悲しいね~……
(´;ω;`)ウゥゥ……「にいちゃ……」
(´・ω・`) 「陸……」


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