明けない夜の向こう側 2
櫂の背嚢(はいのう・背負う鞄)の中には、母親が持たせてくれた、わずかな食料が入っていた。
少量の米と小豆、芋が、独りぼっちになった櫂の命を救った。
母に貰った財布は肌着の中に隠し、誰かに荷物を奪われないように、細心の注意を払って櫂は、鞄を枕にして眠った。
集まってきた子供たちは、不屈の精神力を発揮した。
そうしなければ生きていけないと、本能で知っていたかのかもしれない。
昨日までそこで生きていた子供が、次の朝には何人も冷たくなっている景色にも、次第に慣れた。
親から与えられて当然の、「庇護」がない彼らの生きてゆくための選択肢は、拾うこと、恵んで貰うこと、盗むことの三つしかない。
上野の地下道には、あちこちから集まった数え切れないほどの子供たちが、飢えた野良犬のように虚無を抱えて群れを成して生きていた。
親を亡くしたのは、誰のせいでもない。
ましてや、子供たちのせいでもない。
彼らから愛する家族、両親を奪ったのは、国が戦争を始めたことにしか他ならないのだが、大人は誰も責任を取らなかった。
たむろする子供たちには、憐憫の情を向ける者すらない。冷たい蔑みの視線が送られた。
運が良ければ、明日も生きていられる。
ただ生きていくだけに、彼らは小さな命をすり減らした。
先にいた子供に倣って、櫂は冷たいコンクリートの地下道で、横になった。
拾って来たぼろを重ね着して、ダニと虱と蚤に食われながら夜の寒さと先の見えない不安に耐えていた。
横になった櫂の足元に、ある晩そっと這い寄って来た子供がいた。
飼い主を求めて必死に尾を振る子犬のように、陸は温かさを求めて櫂の懐に潜り込んできた。
目が合うと、屈託なくにっこりと笑った。
「お前、誰だ?」
「陸(りく)」
「母ちゃんはいないのか?」
「母ちゃん、深川の芸者さん……母ちゃん、どこ?」
「どこって、おれが知るかよ……参ったな。とんだお荷物だぞ、こりゃ」
「にいちゃ……」
陸と名乗った少年は、ふと涙ぐんだ。心細くてどうしようもないのだろう。
「翔也と同じくらいかな」
翔也と陸がかぶって見えた。
陸も同じように舌足らずで、櫂の事を「にいちゃ」と呼んだ。
垢にまみれた小さな陸に、自分を慕っていた弟の面影を見つけた櫂は、独りでも生きていくだけでも大変なのに、思わず抱き上げてしまった。
「陸」
「にいちゃ」
失った翔也が戻ってきたようで、櫂は不思議そうに見上げる陸を抱きしめて、泣きながら笑っていた。
抱き合えば、凍えていた心が、ほんの少し温かくなった気がする。
櫂の胸に書かれた住所には、深川と書かれていた。
一面の焼け野原になったはずで、陸がここまでどうやって流れて来たか本人にもわからなかった。おそらく誰か大人にくっついて、ここまで流れてきたのだろう。
「寒いだろ。くっついて眠れば少しはあったかいからな。ここに来い……陸」
「うん、にいちゃ」
陸はすりすりと、櫂の胸に頭をうずめた。
時折、大人が眠る櫂たちの顔を覗いて回る。そのたびに、刈り込みかと怯え飛び起きた。
そっと顔を覗いて回るのは、空襲ではぐれた行方不明の我が子を探しに来る人たちだった。
「次郎。誰か柳葉次郎を知りませんか」
必死に名前を呼び、独りずつ顔を覗き込み、背格好の似た我が子を求めていた。
「父ちゃん……?ほんとに父ちゃんなのか」
「生きてたか!次郎、次郎……良かった!」
皆、虚ろな目をして自分には決して訪れる事のない昌運を、眺めていた。
父親に貰った蒸した芋を握りしめて、少年の頬は上気していた。
今の地獄から抜け出ることの難しさを、そこにいる誰もが知っている。
「良かったな、次郎」
仲間は心からの羨望と祝福を送る。
そして胸が焼けるほど妬む。
本日もお読みいただきありがとうございます。
二人の主人公が、二話目にしてやっと巡り合いました。
火曜、木曜、土曜、PⅯ九時を更新予定にしております。
此花咲耶
※ランキングに参加しております。
よろしくお願いします。
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少量の米と小豆、芋が、独りぼっちになった櫂の命を救った。
母に貰った財布は肌着の中に隠し、誰かに荷物を奪われないように、細心の注意を払って櫂は、鞄を枕にして眠った。
集まってきた子供たちは、不屈の精神力を発揮した。
そうしなければ生きていけないと、本能で知っていたかのかもしれない。
昨日までそこで生きていた子供が、次の朝には何人も冷たくなっている景色にも、次第に慣れた。
親から与えられて当然の、「庇護」がない彼らの生きてゆくための選択肢は、拾うこと、恵んで貰うこと、盗むことの三つしかない。
上野の地下道には、あちこちから集まった数え切れないほどの子供たちが、飢えた野良犬のように虚無を抱えて群れを成して生きていた。
親を亡くしたのは、誰のせいでもない。
ましてや、子供たちのせいでもない。
彼らから愛する家族、両親を奪ったのは、国が戦争を始めたことにしか他ならないのだが、大人は誰も責任を取らなかった。
たむろする子供たちには、憐憫の情を向ける者すらない。冷たい蔑みの視線が送られた。
運が良ければ、明日も生きていられる。
ただ生きていくだけに、彼らは小さな命をすり減らした。
先にいた子供に倣って、櫂は冷たいコンクリートの地下道で、横になった。
拾って来たぼろを重ね着して、ダニと虱と蚤に食われながら夜の寒さと先の見えない不安に耐えていた。
横になった櫂の足元に、ある晩そっと這い寄って来た子供がいた。
飼い主を求めて必死に尾を振る子犬のように、陸は温かさを求めて櫂の懐に潜り込んできた。
目が合うと、屈託なくにっこりと笑った。
「お前、誰だ?」
「陸(りく)」
「母ちゃんはいないのか?」
「母ちゃん、深川の芸者さん……母ちゃん、どこ?」
「どこって、おれが知るかよ……参ったな。とんだお荷物だぞ、こりゃ」
「にいちゃ……」
陸と名乗った少年は、ふと涙ぐんだ。心細くてどうしようもないのだろう。
「翔也と同じくらいかな」
翔也と陸がかぶって見えた。
陸も同じように舌足らずで、櫂の事を「にいちゃ」と呼んだ。
垢にまみれた小さな陸に、自分を慕っていた弟の面影を見つけた櫂は、独りでも生きていくだけでも大変なのに、思わず抱き上げてしまった。
「陸」
「にいちゃ」
失った翔也が戻ってきたようで、櫂は不思議そうに見上げる陸を抱きしめて、泣きながら笑っていた。
抱き合えば、凍えていた心が、ほんの少し温かくなった気がする。
櫂の胸に書かれた住所には、深川と書かれていた。
一面の焼け野原になったはずで、陸がここまでどうやって流れて来たか本人にもわからなかった。おそらく誰か大人にくっついて、ここまで流れてきたのだろう。
「寒いだろ。くっついて眠れば少しはあったかいからな。ここに来い……陸」
「うん、にいちゃ」
陸はすりすりと、櫂の胸に頭をうずめた。
時折、大人が眠る櫂たちの顔を覗いて回る。そのたびに、刈り込みかと怯え飛び起きた。
そっと顔を覗いて回るのは、空襲ではぐれた行方不明の我が子を探しに来る人たちだった。
「次郎。誰か柳葉次郎を知りませんか」
必死に名前を呼び、独りずつ顔を覗き込み、背格好の似た我が子を求めていた。
「父ちゃん……?ほんとに父ちゃんなのか」
「生きてたか!次郎、次郎……良かった!」
皆、虚ろな目をして自分には決して訪れる事のない昌運を、眺めていた。
父親に貰った蒸した芋を握りしめて、少年の頬は上気していた。
今の地獄から抜け出ることの難しさを、そこにいる誰もが知っている。
「良かったな、次郎」
仲間は心からの羨望と祝福を送る。
そして胸が焼けるほど妬む。
本日もお読みいただきありがとうございます。
二人の主人公が、二話目にしてやっと巡り合いました。
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