明けない夜の向こう側 7
施設の子たちの学力は、めきめきと上がった。
そればかりか、徒競争や掃除さえも村の子には負けなかった。
歯を食いしばって努力した結果、やがて施設の子を見習えという声が、周囲や校長からも出るようになった。
施設の職員も驚いていた。
どの子も普通の子で、とりたてて優秀なわけではない。しかし、どの学年の子供もほかの子たちと比べると、際立っていた。
他の子よりも努力しただけだったが、自分たちにもやればできると自信につながった。
いつか施設の子に付けられた「野良犬」という蔑称を、彼らは自らの力で剥ぎ取った。
ある日、櫂は校長室に呼ばれた。
県知事がわざわざ様子を見に来るという。校長は上機嫌だった。
櫂に向かって、椅子をすすめると話始めた。
「ほかの施設に入所した子は、物を盗んだり村の子と馴染めなかったりするというのに、この村の施設の子は違う。わしも教育者として、鼻が高い。県知事さんが来たら、君のいる施設を見学に行くそうだ。何か頼みたいことがあったら、聞いてくれるだろうから、施設長さんと相談して考えておくといい」
何処かこそばゆい気持ちで、櫂はその場にいた。
「校長先生。頼み事は何でもいいんですか?」
「そうだな。何でも聞いてもらえるとは限らないだろうが、褒美をあげたいと電話で言っていた位だから……うん?何か希望があるのかね?」
櫂は躊躇していたが、思い切って切り出した。
「校長先生。……贅沢かもしれないけど、もしできるなら、おれは上の学校に行きたいんです。施設のみなしごが何を言うんだと思われるかもしれないけど、戦争前、おれの父ちゃんは医者でした。おれは父ちゃんみたいな医者になりたいんです。それが。おれの夢なんです」
「そうか……医者……ということは、君の父上は軍医少尉殿か。父上の行方は?」
「わかりません。戦死届も受け取っていません。母ちゃんと弟は、空襲で亡くなりました。何もかも燃えてしまって骨も探せませんでした」
校長も、櫂の生い立ちなどは初耳のようで、驚いていた。
学校に通ってくるから、面倒でも仕方なく戦争孤児の面倒を見ているくらいの気持ちでいた。
医者の子供なら、本来ならしなくてもいい苦労をしたのだろう。
汚れで黒光りしているような子供たちを十人ばかり、僧侶が引き取って廃院で面倒を見ると聞いたとき、教育者でありながら正直とんだ厄介事をもちこむものだと思った。
正直、学校に入れたいと言われた時には、断れるものなら断りたいとすら思った。
「それで、君は一人でも頑張っているのか。強い子だな。施設の先生が、櫂は皆や弟の面倒をよく見てくれていると言っていたよ。施設でも、よく勉強しているようだね」
櫂はこくりと頷いた。
「そうすれば、きっと父ちゃんも母ちゃんも喜ぶと思うから……それに、陸は本当の弟じゃありません。上野で知り合いました。亡くなった弟の代わりだと思っています。陸がいるから、おれは負けなかったし、陸の本当の兄ちゃんになりたいです」
「そうか。そういう事も、事前に伝えておこう」
医者になる夢は、これまで叶うはずもないと思い、口にしたことはなかった。
だが、もしも成績優秀者として、県知事の目に留まったのなら、何か慶事があるのかもしれない。
櫂は施設に帰ると、先生と呼んでいる施設長に話を打ち明けた。
「先生。おれ、今日校長先生に呼ばれたんだ。県知事って人が施設に来るって言ってた。その時、おれに何か褒美をくれるっていうから、上の学校に行きたいって話をしてみたいんだけど……大丈夫かな?」
「櫂!驚いたな。県知事がわざわざ来るなんて、すごいじゃないか」
施設長は、自分の事のように喜んでくれた。
櫂は不幸にして戦争孤児になったが、引き取られた施設では少なくとも不幸ではなかった。他の施設に暮らす子供と比べたら、貧しくとも愛情深い施設長に巡り合えただけでも、幸運だと思う。
「わたしもできるだけ力になるよ。櫂は本当に何でも頑張っているから、応援したいよ。もしも夢が叶ったら、どんなにいいだろうね」
決して期待しないように、自分に言い聞かせながら、櫂は部屋に戻った。
小さな寝息がいくつか聞こえる。
櫂はベッドで眠る陸の寝顔を覗き込んだ。
「……にいちゃ……」
「どうした?陸、まだ起きていたのか?」
陸の黒目がちな瞳が、揺れる。
「校長先生と話してたって言うから……にいちゃ、どこにもいかない?」
「陸?おれがどこかに行くと思って、心配していたのか?」
腕を伸ばして、陸が櫂の首に縋りついた。
何も言わないが、陸の鼓動は早かった。
胸の不安が伝わってくるようだ。
「おれはどこにもいかないよ。ずっと陸と一緒にいる」
「ほんとう……?」
「ずっと一緒だ。今までも、これからも。陸とおれは、兄弟になれって神様が引き合わせてくれたんだからな。もしもどこかに行く時には、きっと陸も連れてゆく」
「にいちゃ……」
「もう、寝る時間はとっくに過ぎてるぞ。おやすみ」
薄い綿の切れた布団に潜りこんで、櫂と陸は互いを抱き合って眠った。
明日は県知事が施設を訪問するというので、特別に湯を立てて貰い、皆でかわるがわる風呂に入った。
清潔な石鹸の香りがふわりと鼻腔をくすぐる。
それだけで、櫂と陸の眠りは深かった。
本日もお読みいただきありがとうございます。
いい匂いに包まれて眠る二人です。あした、いいことがありますように……
火、木、土曜日、更新予定です。よろしくお願いします。
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そればかりか、徒競争や掃除さえも村の子には負けなかった。
歯を食いしばって努力した結果、やがて施設の子を見習えという声が、周囲や校長からも出るようになった。
施設の職員も驚いていた。
どの子も普通の子で、とりたてて優秀なわけではない。しかし、どの学年の子供もほかの子たちと比べると、際立っていた。
他の子よりも努力しただけだったが、自分たちにもやればできると自信につながった。
いつか施設の子に付けられた「野良犬」という蔑称を、彼らは自らの力で剥ぎ取った。
ある日、櫂は校長室に呼ばれた。
県知事がわざわざ様子を見に来るという。校長は上機嫌だった。
櫂に向かって、椅子をすすめると話始めた。
「ほかの施設に入所した子は、物を盗んだり村の子と馴染めなかったりするというのに、この村の施設の子は違う。わしも教育者として、鼻が高い。県知事さんが来たら、君のいる施設を見学に行くそうだ。何か頼みたいことがあったら、聞いてくれるだろうから、施設長さんと相談して考えておくといい」
何処かこそばゆい気持ちで、櫂はその場にいた。
「校長先生。頼み事は何でもいいんですか?」
「そうだな。何でも聞いてもらえるとは限らないだろうが、褒美をあげたいと電話で言っていた位だから……うん?何か希望があるのかね?」
櫂は躊躇していたが、思い切って切り出した。
「校長先生。……贅沢かもしれないけど、もしできるなら、おれは上の学校に行きたいんです。施設のみなしごが何を言うんだと思われるかもしれないけど、戦争前、おれの父ちゃんは医者でした。おれは父ちゃんみたいな医者になりたいんです。それが。おれの夢なんです」
「そうか……医者……ということは、君の父上は軍医少尉殿か。父上の行方は?」
「わかりません。戦死届も受け取っていません。母ちゃんと弟は、空襲で亡くなりました。何もかも燃えてしまって骨も探せませんでした」
校長も、櫂の生い立ちなどは初耳のようで、驚いていた。
学校に通ってくるから、面倒でも仕方なく戦争孤児の面倒を見ているくらいの気持ちでいた。
医者の子供なら、本来ならしなくてもいい苦労をしたのだろう。
汚れで黒光りしているような子供たちを十人ばかり、僧侶が引き取って廃院で面倒を見ると聞いたとき、教育者でありながら正直とんだ厄介事をもちこむものだと思った。
正直、学校に入れたいと言われた時には、断れるものなら断りたいとすら思った。
「それで、君は一人でも頑張っているのか。強い子だな。施設の先生が、櫂は皆や弟の面倒をよく見てくれていると言っていたよ。施設でも、よく勉強しているようだね」
櫂はこくりと頷いた。
「そうすれば、きっと父ちゃんも母ちゃんも喜ぶと思うから……それに、陸は本当の弟じゃありません。上野で知り合いました。亡くなった弟の代わりだと思っています。陸がいるから、おれは負けなかったし、陸の本当の兄ちゃんになりたいです」
「そうか。そういう事も、事前に伝えておこう」
医者になる夢は、これまで叶うはずもないと思い、口にしたことはなかった。
だが、もしも成績優秀者として、県知事の目に留まったのなら、何か慶事があるのかもしれない。
櫂は施設に帰ると、先生と呼んでいる施設長に話を打ち明けた。
「先生。おれ、今日校長先生に呼ばれたんだ。県知事って人が施設に来るって言ってた。その時、おれに何か褒美をくれるっていうから、上の学校に行きたいって話をしてみたいんだけど……大丈夫かな?」
「櫂!驚いたな。県知事がわざわざ来るなんて、すごいじゃないか」
施設長は、自分の事のように喜んでくれた。
櫂は不幸にして戦争孤児になったが、引き取られた施設では少なくとも不幸ではなかった。他の施設に暮らす子供と比べたら、貧しくとも愛情深い施設長に巡り合えただけでも、幸運だと思う。
「わたしもできるだけ力になるよ。櫂は本当に何でも頑張っているから、応援したいよ。もしも夢が叶ったら、どんなにいいだろうね」
決して期待しないように、自分に言い聞かせながら、櫂は部屋に戻った。
小さな寝息がいくつか聞こえる。
櫂はベッドで眠る陸の寝顔を覗き込んだ。
「……にいちゃ……」
「どうした?陸、まだ起きていたのか?」
陸の黒目がちな瞳が、揺れる。
「校長先生と話してたって言うから……にいちゃ、どこにもいかない?」
「陸?おれがどこかに行くと思って、心配していたのか?」
腕を伸ばして、陸が櫂の首に縋りついた。
何も言わないが、陸の鼓動は早かった。
胸の不安が伝わってくるようだ。
「おれはどこにもいかないよ。ずっと陸と一緒にいる」
「ほんとう……?」
「ずっと一緒だ。今までも、これからも。陸とおれは、兄弟になれって神様が引き合わせてくれたんだからな。もしもどこかに行く時には、きっと陸も連れてゆく」
「にいちゃ……」
「もう、寝る時間はとっくに過ぎてるぞ。おやすみ」
薄い綿の切れた布団に潜りこんで、櫂と陸は互いを抱き合って眠った。
明日は県知事が施設を訪問するというので、特別に湯を立てて貰い、皆でかわるがわる風呂に入った。
清潔な石鹸の香りがふわりと鼻腔をくすぐる。
それだけで、櫂と陸の眠りは深かった。
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